十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

末黒野

2011-06-07 | Weblog
来し方の大末黒野となり果てし   井芹眞一郎

放たれた火は、瞬く間に広がって野を焼き尽くしてしまう。
あとには、ただ一面の末黒野があるばかりだ。
さて、ここに「来し方」を振り返って見ている作者がいる。
眼前に広がる景かもしれないが、心象風景だと解したい。
「大末黒野となり果てし」と、すべての大切な記憶や想い出を
無に還してしまうほどの潔さだ。しかし、余韻のある作品に、
決してそうではない、ノスタルジックな感慨が伝わってきた。
「阿蘇」6月号「雑詠」より抄出。(Midori)

4 コメント

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来し方 (今村征一)
2011-06-08 13:03:16
大先輩の句いつも鑑賞させていただいています。
来し方は末黒野のように果ててしまったが末黒野にはまた新しい命が甦る。新たな気持ちで未来への挑戦が始まると言う作者の意気込みが感じられる句と鑑賞させていただいた。
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阿蘇 (みどり)
2011-06-08 18:21:24
眞一郎先生のスケールの大きな作品、すてきですね~♪
阿蘇は、今新緑のもっとも美しい季節を迎えていますよ。
この時のボランティアの皆さんによる野焼きのお蔭です。
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御無沙汰しました。 (博子)
2011-06-08 20:11:06
 作者の「来し方」は、歩んできた道かなぁ。新しい萌を得るために大末黒野となり果てたのだから、心機一転の心情があるのかもしれないね。写生句としても、その大末黒野への感動を余すところなく伝えているように思いました。

 みどりさんは野焼きを見たのだったよね。私も見てみたいなぁ。
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野焼き (みどり)
2011-06-08 21:14:38
見たよ~♪
最初に見たのが、私の「阿蘇」での最初の師、眞一郎先生と一緒でした。
その時に見た野焼きがずっと心の残っています。
それは素晴らしいですよ。いつかきっと来てね。案内するよ♪
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