来し方の大末黒野となり果てし 井芹眞一郎
放たれた火は、瞬く間に広がって野を焼き尽くしてしまう。
あとには、ただ一面の末黒野があるばかりだ。
さて、ここに「来し方」を振り返って見ている作者がいる。
眼前に広がる景かもしれないが、心象風景だと解したい。
「大末黒野となり果てし」と、すべての大切な記憶や想い出を
無に還してしまうほどの潔さだ。しかし、余韻のある作品に、
決してそうではない、ノスタルジックな感慨が伝わってきた。
「阿蘇」6月号「雑詠」より抄出。(Midori)
放たれた火は、瞬く間に広がって野を焼き尽くしてしまう。
あとには、ただ一面の末黒野があるばかりだ。
さて、ここに「来し方」を振り返って見ている作者がいる。
眼前に広がる景かもしれないが、心象風景だと解したい。
「大末黒野となり果てし」と、すべての大切な記憶や想い出を
無に還してしまうほどの潔さだ。しかし、余韻のある作品に、
決してそうではない、ノスタルジックな感慨が伝わってきた。
「阿蘇」6月号「雑詠」より抄出。(Midori)
来し方は末黒野のように果ててしまったが末黒野にはまた新しい命が甦る。新たな気持ちで未来への挑戦が始まると言う作者の意気込みが感じられる句と鑑賞させていただいた。
阿蘇は、今新緑のもっとも美しい季節を迎えていますよ。
この時のボランティアの皆さんによる野焼きのお蔭です。
みどりさんは野焼きを見たのだったよね。私も見てみたいなぁ。
最初に見たのが、私の「阿蘇」での最初の師、眞一郎先生と一緒でした。
その時に見た野焼きがずっと心の残っています。
それは素晴らしいですよ。いつかきっと来てね。案内するよ♪