JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

我が脳天気に変化無し

2009年12月07日 | p-r

 ♪ 私は今、枯れ葉の中で 消えてゆく人を見ながら泣いているのさ
   通り過ぎる 冷たい風よ コートの襟に隠れて涙を拭いた
   あの人のうしろ姿を みたくない みたくない 哀しくなるのさ~(さようなら~)
   通りすぎる 冷たい風よ コートの襟に隠れて、涙を拭いた ♪

『枯葉の中で』であります。ジローズの歌?私は上品チエで聴いた覚えがありますが。

しかしまぁ、この季節になると思い出す歌がいっぱいあることに驚いたりします。『枯葉』、『落葉』二つが歌詞に入る歌だけで相当数あるんじゃないですかねぇ、しかも、あんまり明るい歌が無いのが特長です。「別れと枯葉」「ひとりぼっちと枯葉」・・・季節と合間ってじつに相性が良いんでしょうなぁ(笑)

いかに私でも、冷たい風に打たれながら、ひとりベンチで枯葉が舞い散る姿なんか見たら、そりぁちょっとばかりセンチ(言い方が古い)な気持ちになるもんであります。
これで時雨でもあれば「決まり!」みたいなね。(笑)

彼女と別れた枯葉の公園、時雨心を察するように、涙の時雨が降っていた。
いっそこの時雨のように、すぐに晴れるものなら良かろうに、涙の時雨が袖に染み、消えぬ袖の時雨へとかわる・・・・・・シクシクシク

なんちゃって
まっ、そんな若い頃の袖の時雨も、ヨダレの跡やら喰いこぼしの跡で、今やついている場所すらわからなくなっちゃってますし、今更袖の時雨もなさそうですしね。(笑)

ベンチで眺める枯葉もそうですが、ひとり夜聞く木枯らしの音なんてぇのも寂しさを誘いますねぇ。
今は字のごとく木や枯葉がざわめく音ではなく、窓ガラスを打つ音で木枯らしは感じたりしますが、よくよく考えてみれと、木枯らしが木や枯葉の音だとすれば、「枯れ木になろうとも、冬の寒風に負けはせぬ」というたくましき木の叫びでもあるわけで、我々の年齢であればこれを見習わなくてはいかんですなぁ。
「若者のように青々とした葉はなくとも、凜とした骨太の枝や幹は、若輩者などおよびもしない強さがあるんじゃい、木枯らしなんぞに負けるわけがない。」
ってな感じですよ。

えっ?そのブヨブヨ、ダラダラの身体の人に言われたくないって?
なにをおっしゃいますか、この柔軟な身体で(笑)冬の木枯らしを耐えきれば、ひょっとしてまた芽吹いて花なんか咲かしちゃうかもしれませんよぉ、え、そうすりゃアンタ、新たな袖の時雨を、来年の今ごろ・・・・・・

ほんと「春夏秋冬、いかに季節が変われども、我が脳天気に変化無し」でありますね。

さて、今日の一枚は、昨日聴いたズート・シムズの「枯葉」って手もあったんですが、これは紹介済み、ならばとこちらも以前、邦題「枯葉」(「WHERE DO WE GO FROM HERE ?」)で紹介したドン・ランディにしました。

私の中ではランディは、「クラシック畑からジャズ屋に転向して、けっきょくジャズクラブのオヤジに収まった、可もなく不可もないピアニスト」とのイメージが大勢を占めているのですが、この「可もなく不可もない」これが彼の良さだと私は思っています。

もし、私が飲み屋を始めたとしたら、ランディあたりをBGMにしておけば、けして文句は出ないだろうなぁ・・みたいな。
かといって、いかにも白人らしいサラサラ~~ペラペラ~~ばかりじゃないんですよ、何処かにちょっとだけ風味があるというか・・・う~ん、とんでもなく混ぜた納豆じゃないけど、醗酵していない大豆とも一味違う、そんな感じ?(ますます分からなくなりましたね。笑)

ともかく「これもまた良し」じゃありませんかね。

FEELIN' LIKE BLUES / DON RANDI
1960年録音
DON RANDI(p) HERSHEY HAMEL(b) GENE STONE(ds)

1.FEELIN' LIKE BLUES
2.SUMMERTIME
3.JA DA
4.FALLOUT
5.BUDDHA'S MOOD
6.CHEEK TO CHEEK
7.BLUES FOR MITI