JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

一を知ったら十を知りたい?

2009年04月08日 | s-u

今日も暖かい一日でした。それにしても、春の生命力というのは凄いものです。ほんの二、三日春らしい天候が続いたかと思ったら、モノクロの風景が一気にカラーの世界に変わってしまいます。



世の中には同じジャズ好きでも基本的趣味が全く違うという方は多くいらっしゃるわけで、

長男が生まれて間もない頃、とてもお世話になった焼鳥屋のご夫婦は、大のビック・バンド・ファンで、閉店時間が近づきお客さんが私しかいなくなると、突然、「バブちゃんならいいよね、かけちゃうよ」と小さな焼鳥屋には不似合いなスイング・ジャズをかけ、しかもお二人で踊り出していまうという・・・「同じジャズ・ファンなんだから」というオヤジさんの気持ちはあったとはいえ、私とは趣味趣向はまったく違ったそんなオヤジさんとお母さん(当時そう呼んでいたもので)、それでもそれはそれでとても素敵な光景でした。
いわゆるニュー・オリンズ・ジャズに特化した趣味の『J』のマスターは、ジャズ喫茶でもないのに多くのレコードを店に持ち込んで、私が行くたびにいろんなレコードを聴かせてくれました。私にとってはかなりのありがた迷惑ではあったのですが、ジャズ好きを自称していた私が、これほど知らないレコードやミュージシャンがいることには、ちょっとしたカルチャー・ショックを受けた記憶があります。

えっ?何を言いたいんだって?
だから、ジャズという世界はそれほど奥が深く裾野も広い、だから面白いと、まぁそう言いたいわけでして。
それをふまえた上で今日のお話なんであります。(前置き長げ~~~)

「バブちゃん、久しぶりジャン」
以前、美空ひばりのジャズ話で盛り上がった取引先の社長さんです。今日久しぶりに訪ねると
「バブちゃん、バブちゃん、白木秀雄知ってる? 白木秀雄
もちろん、日本が産んだ名ジャズ・ドラマーですから知ってはおりますが、ほら、いわゆる『和ジャズ』も私の得意分野とは言えないわけで、白木秀雄も、お耳にかかるというより、ほとんど古い『スイング・ジャーナル』へ掲載されたジャズ紀行みたいな文章でしかお目にかかっていないというのが事実です。

「ええ、知ってはいますよ、でも、ほら早死にしちゃったし、そんなにレコードも残ってないでしょ」
「がっははは、それが最近、復刻CDが出てんのよ」
と、数枚のCDを持ち出されました。

「ほんでもって、最近入手したのが、これ、この水谷良重、いや二代目水谷八重子か、彼女と結婚して間もない頃の二人の共演盤。・・・・聴く?」
そうでした、白木秀雄水谷良重と結婚してたんですよねぇ、それこそ『スイング・ジャーナル』には、水谷良重夫人もいっしょに撮った数々のジャズメンとの記念写真が掲載されていましたっけ(もちろん、私がリアルタイムで見たS.J.じゃありませんよ)

社長に「聴く?」と言われて断われる立場ではありませんので、聴いてきましたよ。もちろん私は初聴です。

なんでしょ、社長には申し訳ありませんが、私にはジャズというより、ムード歌謡?いや、それともまた違うなぁ、う~~~ん、ともかく、真っ昼間に事務所で聴く音楽じゃありませんね。(笑)
「社長、こりゃシラフじゃ聴けんでしょ」
さすがに言ってしまいました。
「そうかぁ????俺はなかなか好きなんだけどなぁ・・・・・そうそう、バブちゃん、バブちゃんの知り合いで、白木秀雄クインテットだけの演奏で水谷良重に捧げたレコードがあったんだけど、それを持ってる人がいたら録音してくれるように頼んでくんねぇかなぁ」
「いやいや、それは無理でしょ、その手の『和ジャズ』大得意ってぇのはいませんもん。私の知り合いじゃ社長が一番ですから。」

それにしても「一を知ったら十を知りたくなる」、これが『○○好きの性』なのでありましょう。(あはは、私だって社長のことを言えたもんじゃありませんもんね。)

「バブちゃん、CDは持ってかなくていいの?」
と社長が、無理矢理CD二枚を持たせてくれました。そしてもう一つ

彼の見る夢の色まで知りたがりました。たまりませんよね、こんな女房がいたんじゃぁ。「うるさいなあオマエは」とウンザリしながらも秀坊は優しく、まるで子供をあやすように甘やかしてくれました。

秀坊の女遊びを知ってしまったのは私が20歳で新婚4ヶ月のときでした。酒飲みがどうしてもお酒を止められないように、彼は女遊びが止められなかったんです。私がもう10歳くらい齢をとっていたら、後くされのない彼の女遊びに目をつむっていられたのかもしれません。

昭和34年(1959年)5月に水谷良重と結婚した白木秀雄は、昭和38年(1963年)5月に離婚、睡眠薬中毒で亡くなった彼が発見されたのは、それから9年後、昭和47年9月1日のことでした。


ホレス・シルバーと肩を組んで写真に収まった白木夫婦
(スイング・ジャーナル誌より)

さて、てなわけで、先ほどから借りてきた一枚「PLAYS HORACE SILVER」を聴いているんですが、やはり、ホンマもんも聴きたいということで、今日の一枚は、ホレス・シルバーです。
しかも、和製アート・ブレーキー、白木秀雄話からのシルバーですから、ブレーキーを外しちゃいけませんよね。それでとっくに紹介済みと思っていたらまだだった、このアルバムにしました。

このアルバムは、ブルーノートで唯一、シルバー名義で発売されたジャズ・メッセンジャーズのアルバムです。(えっ?もう一枚オレンジ色のがあるだろうって?あちらは「AND ART BLAKEY-SUBU」、「JAZZ MESENGERS」じゃありません。)
といっても、このアルバムの録音をしたときには、まだ「THE JAZZ MESENGERS」が誕生する前だったのですからおかしいっちゃおかしいんであります。
ご存じの通り、ブルーノート1500番台当初のアルバムは、SP盤としてすでに発売済みのものを再編集した上でLP化したというアルバムが多いわけでして、これもしかり。
LPとして売り出したとき、録音翌年2月末にクラブ「ブルーノート」でデビューをはたしたシルバーとブレーキーの双頭バンド「THE JAZZ MESENGERS」がすでに認知されていたために、(だって、ブルーノートの初12インチ・オリジナル・LPは「THE JAZZ MESENGERS AT THE CAFE BOHEMIA」だったんですから)同じメンバーでの録音だったこのLPには「THE JAZZ MESENGERS」の名が刻まれたのでありました。

まっ、この演奏が「THE JAZZ MESENGERS」かどうかなんてこたぁどうでもいい話で、ともかく演奏にはエネルギーがみなぎっています。
「あら、みんな出会っちゃったわねぇ」
っていう勢いを感じません?(笑)
ファンキーでソウルフルで、この時名前はなかったとしても、そこには「THE JAZZ MESENGERS」がすでに存在しているんです。

HORACE SILVER AND THE JAZZ MESSENGERS
1954年11月13日, 1955年2月6日録音
HORACE SILVER(p) KENNY DORHAM(tp) HANK MOBLEY(ts) DOUG WATKINS(b) ART BLAKEY(ds)

1.ROOM 608
2.CREEPIN' IN
3.STOP TIME
4.TO WHOM IT MAY CONCERN
5.HIPPY
6.THE PREACHER
7.HANKERIN
8.DOODLIN'