JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

味わったことのないエクスタシー?

2009年02月05日 | s-u

 ♪ 破れ単衣に 三味線だけば
  よされよされと 雪が降る
  泣きの十六 短い指に 息をふきかけ 越えて釆た
  アイヤー アイヤー 津軽 八戸 大湊 ♪

え?いつから演歌のブログになったのかって・・・・まぁまぁ

今日の昼食は珍しく大衆食堂のようなところで定食をいただきまして、テレビがかかってたんですねぇ。
「1985年2月5日、本日は高橋竹山の亡くなられた日です。」
みのもんたさんが出てましたから日テレ系でしょうか
「そうかぁ、今日は竹山の命日かぁ・・・・・」

私が高橋竹山の津軽三味線を始めて聴いたのはいつ頃だったでしょう?
ともかく衝撃的でした。それはコルトレーンに出会ったときと大差ない衝撃だったように覚えています。そのくせ、我が家にはレコード一枚とテープから起こした音源くらいしか残ってないんですけどね。(笑)

大学に入って一度だけ渋谷のジャンジャンに彼を聴きに行ったことがありました。
「じょんがら節」「よされ節」もうこの時点で私は行かされましたっけ、感動とか感激とか衝撃とかそんな次元じゃありません、まさにある意味エクスタシーでしょうか?他では味わったことのない感覚でした。
あれこそ、生で聴くべきものですよねぇ・・・・・

小学校に入ったが、3日でやめた。近在のボサマから三味線を教えられ、それからは勝手な弾き方で門付けをし、16歳で独り立ちをすると、また門付けを始めた。「門付けして歩いて三味線がうまくなれるもんでねえ。競争相手もなし、だいいち生活のために困って歩いているんだもの、上手も下手もあったもんでねえ。糸切れても代わりなもねぇもんだから、ただ結んでつかってな。(『津軽三味線ひとり旅』より)

三味線一本での門付け生活、一時三味線の世界から身を引いたり、復帰したりと、その経歴はまるでアメリカの古いブルースマンのようでもあります。
当時、小児麻痺でほとんど全盲に近かった者にとって、生きる術は限られたものだったのです。
そのな生き方、そして津軽の血が、口では説明できない感覚を彼の演奏に与えるのでしょう。

今晩はジャズのレコードを聴く前に竹山をあらためて聴いてみようと思っています。

津軽の泥くささというが、三味線もあの匂いは消されねえけれども、そのなかにちょっときれいな、みんなが聴いてくれるものを勉強してつくっていきたいという、わたしはそういう気でやっています。

さて、今日の一枚は、ニーナ・シモンです。
彼女のデビュー作であり、代表作でもあるこのアルバムは・・・・・・
あはは、歌ものに関しては、私がどうのこうの言うのは10年早いわけでして、じゃあどうして今日はこのアルバムを紹介しようと思ったのか。
じつは昨晩、いつものバーで飲んでおりますと有線だと思うのですが「I LOVES YOU, PORGY」が流れてきましてね。
ママには言いませんでしたが、なかなか良かったのであります。

ピアニストとしても優れた才能を持つシモン、エリントン・ナンバーの「MOOD INDIGO」なんかの弾き語りも良いなぁ・・・・
竹山の後は、これを聴きます。

LITTLE GIRL BLUE / NINA SIMONE
1957年録音
NINA SIMONE(p,vo) JIMMY BOND(b) AL HEATH(ds)

1.MOOD INDIGO
2.DON'T SMOKE IN BED
3.HE NEEDS ME
4.LITTLE GIRL BLUE
5.LOVE ME OR LEAVE ME
6.MY BABY JUST CARES FOR ME
7.GOOD BAIT
8.PLAIN GOLD RING
9.YOU'LL NEVER WALK ALONE
10.I LOVEE YOU, PORGY
11.CENTRAL PARK BLUES