JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

有っても苦労、無くても苦労

2008年11月15日 | g-i

庶民感覚がなにかと話題になる昨今、何をもって庶民と呼ぶかは難しいわけでありまして、辞書で調べてみれば[一般の市民。社会的特権をもたないもろもろの人]なんだそうですが、どうにも実際にはお金を持っている持っていないが大きな目安になっているようにも思います。(その目安からすると私などまさに庶民の中の庶民となるわけですけど)
もしそれが庶民の目安であるとすれば、例えばバブル期には『一億総中流』の意識であった庶民が、確実に『下流』に落ち込んでいるわけで、基準がどんどん下がっていることは間違いありません。
地方に波及する景気低迷の荒波は、長く続いたとされるいざなぎ景気など知らぬ間に襲いかかる津波のごとく大きくなりつつあります。「このまま年を越せるだろうか」との不安を抱えた『地方庶民』の不安は、庶民意識さえも忘れさせる勢いです。
でも、そんな中でしたたかに生き抜くのもまた『庶民の力』でありますから、お互い頑張ってまいりましょう。

そんな庶民の夢といえば政府のほどこし『給付金』などでは毛頭無く、
「三億とは言わないから、せめて7000本の百万円でも当たらないかなぁ」
そう、25日に発売になる『年末ジャンボ宝くじ』でありましょうか。
かく言う私もここ何十年も買っていなかった『宝くじ』を今年は買ってみようかなんて思っているわけです。

ところで、岩手の一関で起きた「宝くじ当せん女性殺害事件」は、その後どうなったのでしょう?当選金二億円はやっぱりあの犯人が使い果たしたのでありましょうか?
「くわばら、くわばら、三億当たったら、俺は誰にも言わずに質素な生活を続けていくんだ」
あはは、これは庶民であるかぎり不可能なことでしょうねぇ、「誰にも言わない」は別としても、大金を持ち合わせない庶民にとって「質素な生活を続ける」ことは逆に不可能なことなんでありまして、小室哲哉とまでは言いませんが、大金は奈落に落ちる原因にもなりかねないわけです。
「だから、百万でいいって言ってんじゃん!」

江戸でははやくから、井の頭池を水源とする神田上水と、多摩川水系の水を引く玉川上水とで、井戸水道は発達しておりましたが、水質に関しては現代のようなわけにはいきません。湧いてくるボウフラを食べさすために鮒を放流していたなんて話もあるくらい、そこで必要になるのが安全な飲み水であります。
かといって江戸時代に「コンビニでミネラルウォーター」てなわけにはいきませんから、多摩川の上流でいい水を汲みこんで、これを桶で売り歩くという『水屋』という商売があったそうです。
ところがこの商売、たいした稼ぎにもならない上に、飲料水といえば毎日のことですから休むことすら出来ない、それはきつい商売だったそうで
「独り者で患いでもした日にゃどうしようもねぇ、かといって嫁を取るには金もねぇ・・・・あ~~あ、金せぇありゃぁなぁ、楽もできるだろうに」
本所に住むとある水屋がそんなことを思いながら、一攫千金の夢を込めて湯島天神の『千両冨』(現代のスーパージャンボ宝くじですな)を買いました。

「夢じゃあるめいか、千両冨、大富が当たっちまたぁ!!!」

さて、大金を手にした水屋
「これで苦労も無くなるってもんだい・・・・・・でも待てよ、俺が水屋を急に止めちまっちゃあ、お得意さんは飯も炊けなけりゃ、茶さえ飲めやしねぇ、代わりを見つけるまでは止めるわけにもいかねぇなぁ・・・・かといって大金を持ったまま商売もできやしねぇし・・・・」
長屋住まいの水屋、大金を隠すといってもそうそう場所があるわけもありません。仕方がないので畳をあげて根太板を剥がし、床下の丸太に五寸釘を打って、風呂敷に包んだ金をぶら下げました。
「これで一安心、よし商売に出掛けるか」
ところが、その商売中も金が気になって仕方がありません。早々に得意先に水を治めると急いで帰ってきます。
おもてから釣瓶棒で真っ暗な縁の下を探るとコツンと堅いものに当たる「あ~良かった」てなもんですな、さらに、心配は商売中ばかりじゃありません。夜中寝ていると
「てめぇ、富くじに当たりやがったろ!四の五の言わずに金を出せ!」
強盗に入られる夢ばかり見続けます。
すっかり寝不足の水屋は、毎朝、ぼんやりした顔で縁の下を突いては商売に出ていくんですから、「どっかおかしい」と思われるのは当然で、向かいに住む独り者が「あいつぁなにか隠してやがるな」てんで、根太板を剥がしまんまと大金を見つけそのまま盗んでドロン。

商売から帰った水屋は、いつものように釣瓶棒で縁の下を探りますが、コツンともソツンとも金にあたる感じがない、慌てて部屋にはいると根太板は剥がされ、金は綺麗サッパリ無くなっています。
「ああ、これで苦労が無くなった」

いやいや、長くなってしまいました。落語『水屋の冨』でありますが、まさにこれぞ庶民なのでありますねぇ、
「やっぱ、宝くじ買うの止めようかな」(笑)
庶民に大金は不釣り合い、せいぜい1万2千円で踊れってですか?
あ~あ、なんだか寂しいけど「有っても苦労、無くても苦労」自分に似合った金を無駄遣いせずに質素に暮らしなさい、ということなんでしょうね。
「そのとおり!あんたの酒代が一番の無駄だから!」
「・・・・・・・」

さて、今日の一枚は、バリー・ハリスです。
じつはこのアルバム、最近手に入れたCDでありまして、正直、過去にそれほど印象に残った一枚では無かったのだと思います。

ハリスのピアノは、派手でテクニックがあってというピアノではありませんし、ある意味「サブで活きる」的印象の強いピアノです。「そのハリスのソロってどうなの?」みたいな感覚があったのでしょう。

やはり聴いてみても、その印象は大きく変わることはありませんでした、ありませんでしたが、ヘンにハリスの暖かみは伝わってくる一枚であるようにも思えました。
彼のアルバムなら「AT THE JAZZ WORKSHOP」「PREMINADO」を聴くべきだとの思いは否定できませんし、胸を張って勧めする一枚でも無いかもしれません。
ただ、読書の友、茶飲みのBGM・・・・・・
やっぱ、ハリスは「ソロでもサブで活きる」ですかね。

LISTEN TO BARRY HARRIS.....
1961年7月4日録音
BARRY HARRIS(p)

1.THE LONDONDERRY AIR
2.MUTATTRA
3.LOUISE
4.BODY AND SOUL
5.ASCENSION
6.ANACHRONISM
7.I DIDN'T KNOW WHAT TIME IT WAS
8.TEENIE
9.SPHERE
10.DANCING IN THE DARK