今朝、64年前に人類史上初めて「原子力爆弾」が広島に投下された「原爆の日」を記念して、平和を願う記念式典が開催された。
早朝に京田辺でも「原爆の日」を覚えての「黙祷の会」が開かれたらしいが、私自身は参加する予定を急遽取りやめて、テレビの実況中継を視聴しながら、被爆者ならびに多くの戦争犠牲者への黙祷と共に、改めての平和への希求を行った。
秋葉忠利広島市長は、元社会党の衆議院議員だったこともあって、積極的に「被爆地・広島」からの「平和へのメッセージ」を語り、英語でもオバマ米大統領の「核兵器廃絶への行動の道義的責任がある」とのメッセージに呼応して、「オバマジョリティ」という造語で、広島からの「YES,WE CAN」を発信した。
続いて小学六年生男女が、子どもからの平和へのメッセージを力強く語った後、「内閣総理大臣」としての麻生太郎氏が、壇上に厳しい表情で赴いて、原稿を読む形で政府を代表するメッセージを語った。
しかし、なんとも皮肉めいた感じで映っているようで、子どもたちの心からの言葉ではなく、原稿に書いてある「非核三原則を堅持します」というくだりも、先日明らかになった、米国との日本政府の「核持込の密約」などがあったことが明らかな中での、「眉唾もの」のメッセージとしか感じなかった。
その上、昨日公表された「原爆症患者の認定の拡大」についても、原爆の日にあわせてというよりも、総選挙を控えての「政治的パフォーマンス」としかうつらないタイミングとしかイイうがない「お土産」である。
長年の被爆者の苦しみと苦痛に対してのコメントはあったが、原爆症認定訴訟の裁判は長期化し、被爆者の高齢化と共に、多くの方が無念なまま、戦後息を引き取ったことを思うと、河村健夫官房長官の謝罪を含む会見だけでは十分でない。
本当に唯一の被爆国としてのニッポンが、戦後60数年の長きにわたって、自民党を中心とする責任政党の政府は、常に「米国の核の傘」の下で、甘んじていたわけで、ほとんど「核廃絶への積極的発言」や行動をとったことはなかったのである。
日米安保という、防衛のためのアメリカ頼みの属国と化した日本は、真の被爆国としての痛みと怒りを封じこめてきたために、多くの名もなき被爆者、関係者を苦しめ、今も後遺症や障害に苦しむ国民を見放してきたと言っても過言ではないのだ。
秋葉広島市長のメッセージは積極的な面もあるが、やはり「オバマジョリティ」などと言うお遊び的、アメリカ頼みの要望や期待だけではなく、日本人としての積極的な独自的メッセージとしての「核廃絶宣言」をしてわしいものだと思ったのである。
その点では、広島在住の小学生男女が投げかけた「素直な平和への希求」が一番印象的であった。
今夏、八月十五日には、私自身が広島に行って、原爆ドームを象徴とする平和記念公園で祈りたいと思っている。
早朝に京田辺でも「原爆の日」を覚えての「黙祷の会」が開かれたらしいが、私自身は参加する予定を急遽取りやめて、テレビの実況中継を視聴しながら、被爆者ならびに多くの戦争犠牲者への黙祷と共に、改めての平和への希求を行った。
秋葉忠利広島市長は、元社会党の衆議院議員だったこともあって、積極的に「被爆地・広島」からの「平和へのメッセージ」を語り、英語でもオバマ米大統領の「核兵器廃絶への行動の道義的責任がある」とのメッセージに呼応して、「オバマジョリティ」という造語で、広島からの「YES,WE CAN」を発信した。
続いて小学六年生男女が、子どもからの平和へのメッセージを力強く語った後、「内閣総理大臣」としての麻生太郎氏が、壇上に厳しい表情で赴いて、原稿を読む形で政府を代表するメッセージを語った。
しかし、なんとも皮肉めいた感じで映っているようで、子どもたちの心からの言葉ではなく、原稿に書いてある「非核三原則を堅持します」というくだりも、先日明らかになった、米国との日本政府の「核持込の密約」などがあったことが明らかな中での、「眉唾もの」のメッセージとしか感じなかった。
その上、昨日公表された「原爆症患者の認定の拡大」についても、原爆の日にあわせてというよりも、総選挙を控えての「政治的パフォーマンス」としかうつらないタイミングとしかイイうがない「お土産」である。
長年の被爆者の苦しみと苦痛に対してのコメントはあったが、原爆症認定訴訟の裁判は長期化し、被爆者の高齢化と共に、多くの方が無念なまま、戦後息を引き取ったことを思うと、河村健夫官房長官の謝罪を含む会見だけでは十分でない。
本当に唯一の被爆国としてのニッポンが、戦後60数年の長きにわたって、自民党を中心とする責任政党の政府は、常に「米国の核の傘」の下で、甘んじていたわけで、ほとんど「核廃絶への積極的発言」や行動をとったことはなかったのである。
日米安保という、防衛のためのアメリカ頼みの属国と化した日本は、真の被爆国としての痛みと怒りを封じこめてきたために、多くの名もなき被爆者、関係者を苦しめ、今も後遺症や障害に苦しむ国民を見放してきたと言っても過言ではないのだ。
秋葉広島市長のメッセージは積極的な面もあるが、やはり「オバマジョリティ」などと言うお遊び的、アメリカ頼みの要望や期待だけではなく、日本人としての積極的な独自的メッセージとしての「核廃絶宣言」をしてわしいものだと思ったのである。
その点では、広島在住の小学生男女が投げかけた「素直な平和への希求」が一番印象的であった。
今夏、八月十五日には、私自身が広島に行って、原爆ドームを象徴とする平和記念公園で祈りたいと思っている。