社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

倖田來未を過剰批判する勢力の目的とは(その1)

2008-02-09 22:11:22 | 結婚、恋愛

 倖田來未さんの「羊水が腐る」発言への非難の声が止まらない。テレビを通して謝罪会見を開くも、『謝罪になっていない』、『何故録画なのか』、『人を傷つけた罪悪感を感じてない』、『これが若い女性の意識なのか』など、ネット上での非難の声は根強い。また、対象の放送を行なったニッポン放送の関係者も処分されるなど、余波は広がっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080209-00000049-spn-ent

 更に、この話題は政界にまで波及。上川陽子少子化担当相は「妊娠と出産、女性の体について理解が十分でないと感じた」と述べ、更に「お産にかかわる問題はデリケートなことがあるので、社会全体が応援できるような雰囲気をつくっていくことが大事」と指摘した。

 しかし、一方でこうした非難の声に対して、『謝罪したのだからもう許してあげればいいのでは』、といった同情の声や、『過剰反応しすぎ』、『集団虐めと同じだ』、といった非難に対する非難の声も次第に大きくなっている。

 中でも、コラムニストの勝谷誠彦さんはある番組で「最近こういうブログの炎上などが凄く多い、これはある種のイジメだと思う。倖田さんは悪意を持って言ったのではない。こういうイジメのような世の中の動きは嫌いだ(要約)」と、過熱したネット世論を痛烈に批判している。

 これだけ賛否両論が出ると、大抵騒ぎは沈静化するのが今迄の傾向だが、今回の場合はそうでもない。非難派は逆に勝谷氏などの反非難派や、非難に晒される倖田に同情する擁護派に対しても更なる攻撃を強め、『いじめではない』、『傷ついた人の気持ちを理解していない』、『悪意が無ければ何をしてもいいわけではない』、『擁護派は偽善者』など、非難派の強硬姿勢はむしろ強まっている気配だ。

 では、何故ここまで非難の声が大きくなってしまったのか。その理由はフェミニズムの「性の自己決定権」に見られる、出産に対する過剰な拒絶反応が非難派に対して追い風となっているからのように思えてならない。

 当初、今回の件はネット上での批判が中心で、批判の内容も『腐っているのは倖田の頭』など直接的な攻撃が主で、フェミニズムは関与していなかったと思われる。やはり発言者の倖田も女性ということで、フェミ陣営も暫くは静観しようということだったのだろうか。

 しかし、騒ぎが大きくなり、倖田批判の声が優勢になるにつれ、フェミニズムも徐々に加勢してきたというのが私の実感だ。言わば批判勢力にフェミニズムが便乗した形だ。

 すると、批判内容にも変化が生じてきた。自らが高齢出産或いは不妊治療の経験者であると名乗る者がネット上に雨後の筍の如く現れ、今回の件で深く心が傷つけられたという趣旨の内容を書き連ねる投稿が相次いだ。

 しかしそれらの多くは、実際の経験者を名乗る者から『高齢出産や不妊治療に関し間違った記述がある』と指摘されたり、『自分も経験者であるが別に不快には感じなかった』、などその信頼性が疑われ、フェミニズムが成りすましている可能性が指摘された。

 だが、今度は妻が不妊治療をしていると名乗る男性や、高齢出産で産んだ子が今は小学生になったが、その子が悲しい思いをしているなど、フェミニズムは手を変え品を変え巧みに世論誘導を狙っているようだ。

 ところで、ネット上では誰にでも成りすましが可能なのだから、フェミニズムが高齢出産や不妊治療の当事者に成りすましていると考えるのは安易ではないかと思う人もいるだろう。勿論、100%の確証などない。しかしその確度を上げる材料は連中のコメントの中やその姿勢にも表れているのだ。だがその説明は次回にしようと思う。

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