社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

高市早苗少子化担当相が保守派に見切り? ~母親育児論に異議~

2006-11-09 13:03:00 | 家庭、教育
 「保育園に入れるより、母親が家庭で1歳ぐらいまで子育てできる社会システムへの方向転換が必要だ。」ある講演会における下村博文官房副長官のこの発言に対し高市早苗少子化担当相は不快感を示したという。「生活やキャリア確立のために歯を食いしばって働く女性がいる。一律に仕事をやめて家で子育てしろと言い切られるのは残念だ。」「子どもにとって母性が大事な時期はあると思うが、いろいろな人生、暮らし方がある。」と待機児童ゼロ作戦を継続する意思を示した。

 この高市氏の発言を巡って、保守系の掲示板などでは戸惑いの声が挙がっている。何故なら、高市氏は保守派の間で支持の厚い数少ない女性であるからだ。

 高市氏は夫婦同姓の婚姻制度を破壊する夫婦別姓制度には早くから反対意思を表明したり、管理職などへの女性優先の登用制度にも異議を唱えるなど、フェミニズムが進める女性政策とは一線を画していた。そのため、今回の下村氏の母親育児に関する発言に対しても理解を示すものと思われた。

 ところが、今回の高市氏の反応はフェミニズムが基本とする勤労女性養成政策をそのまま代弁するものであった。これでは保守派の期待は裏切られたことになる。まさに「高市、お前もか」といったところだろう。

 しかし、よく考えてみれば、高市氏も勤労女性である。その彼女が「女は家事育児に専念せよ」と唱えれば、「じゃああんたも家に居ろよ」と言い返されるだろう。少なくとも自分のこれまでのキャリアを否定するような意見を自分から言えるはずもないのだ。彼女も女性が社会で活躍することには概ね賛成のはずである。その点ではフェミニズムと部分的には一致しても何らおかしくない。

 それに今回の件はフェミニズムを批判する保守派の側が一枚岩ではないことも影響しているだろう。女性の家庭重視には賛成か、女性が男性を養うことを推進するのか、結婚するしないは自由意志なのか、同性愛を認めていいのかなど、これらの課題に関し保守派が何らかの形で統一見解を出した試しが一度でもあるだろうか。

 確固たる方針もなしに場当たり的にフェミニズムを批判しているだけでは何も状況は好転しない。そうした脆弱な保守派に対して高市氏が見切りを付けたという可能性もある。だとしたら、それは保守派自身の力不足と言わざるを得ないだろう。高市氏の今後に引き続き注目する必要はあるが、少なくとも保守派が国家観に関する明確な見解を示さないことには話にならない。今こそ保守派の結束力が求められるのではないか。

不条理な命の淘汰 ~本田美奈子さん一周忌に思う~

2006-11-07 11:37:03 | 芸能、音楽

 昨年に白血病のため38歳で亡くなった本田美奈子さんの一周忌追悼会が命日に当たる6日、美奈子さんの地元埼玉の朝霞市で行われた。難病患者の支援団体などが主催したこの会では、南野陽子さんや岩崎宏美さんなど生前親交の深かった人やファンなど約900人が出席し、「アメイジング・グレイス」の合唱などが行われたという。

 美奈子さんに関する報道では、昨年1月に病気が発覚、その後闘病生活を経て夏頃には退院という報道が流れ、回復に向かっていると思われていた矢先に突然の死去報道だったため、衝撃を受けた人も多かったのではないだろうか。フジテレビでは彼女の闘病生活から完全復活までのドキュメント番組を予定して取材していたが、皮肉にも彼女の追悼番組と形を変えての報道となってしまった。

 美奈子さんのファン層は彼女のアイドル全盛期を知る30代~40代の男性が中心で、バブル経済と男女雇用均等に見られる女性の社会進出に翻弄された世代でもある。アッシー君やミツグ君など女性に弄ばれる男性を揶揄した言葉が生れたのもこの頃で、現実の女性に幻滅しつつ理想の女性の姿を自分の好きなタレントに投影していた人も多かったのではないだろうか。

 美奈子さんは闘病中、自分が重篤であることを知りながらも周囲に対する気配りを絶やさず気丈に振舞い優しく接していたという。2chの芸能関係の掲示板では今でも彼女の人徳が語り継がれている。血も涙もない冷淡な世の中であるからこそ、美奈子さんの人徳に共感した人も多いのではないだろうか。

 いじめによる自殺など、命の尊さが問われているこの頃、他人の心を労わることについて改めてみんなが考え直すことが必要ではないだろうか。病死だろうが自殺だろうが、本当に死にたいと思っている人など誰一人としていないのだ。自殺も病気と同じで、周囲がその人の心を病に至らしめるから起きるのだ。その病原菌の発生源を撲滅しない限り、自殺がなくなることはない。

 昨年の美奈子さんの通夜の席で、親友の南野陽子さんが次の様な趣旨でインタビューに答えていた。「怠惰な人が沢山居るのに何故努力家の美奈子が逝ってしまうのか。(要約)」良い者が滅び、悪い者が堂々と生き残る今の腐敗した社会を南野の言葉は適確に表しているような気がする。

【主な出来事、話題】
・岐阜中2自殺、少女へのいじめ行為41件、全校調査で判明。(4日)
・高校アイスホッケーの試合でパック(球)が首に当たり選手が重体、北海道。(5日)
・下村官房副長官、待機児童問題で「母親は家庭で子育てを」。(5日)
・いじめ自殺を予告する手紙が文部科学省宛てに届く。(7日)


フェミニズムはいじめる側の味方? ~中日新聞のいじめ同情的報道~

2006-11-05 11:37:14 | いじめ、DV
 今朝のTBS系の番組で虐め問題を取り上げていた。この中で、小中学生の頃に虐めを受けていたというタレント2名にインタビューし、今虐めで悩んでいる子達への激励のコメントが放映された。だが結論的には、虐めに耐えることが将来への自分のためになるという内容で、果たしてそれが今現在虐めで苦しんでいる子達へ本当に届くのか疑問が残る。

 これに対し、ゲストのコメントの中で、虐められた側の報道が多いが、虐めた側への処罰を含めた対処に関しての報道がないことを疑問視するものがあった。虐め(での自殺)は殺人と同じ、犯罪行為である、しかし現状では虐めた側に何の処罰もないのが問題だ、という内容だった。こちらの方がよっぽど説得力があると思ったのは私だけだろうか。

 ところが、ここ数日の中日新聞の記事では既に立場を変えて、虐めた側への同情論が報道されている。中日では土地柄、岐阜県瑞浪市の中学2年の女子生徒の自殺を巡り連日報道されているが、本日朝刊の記事でも、虐めた側の4人の女生徒の1人が布団の中で泣いている様子を取り上げ、二転三転した学校側の説明が更に問題を大きくし報道が過熱したため、それが虐めた側の女生徒を苦しめる結果になったと被害者扱いして、学校側へ責任転嫁をしようとしている。

 しかし、そもそも女子生徒が自殺した原因は何だったのか、それを忘れてはいけない。いくら布団の中で泣いていようが、その女生徒は虐めた側なのだ。それを過剰に同情する中日の報道姿勢には甚だ疑問だ。女性を批判するのは男女共同参画のイメージ低下に繋がるから常に女性は被害者として扱いたいとでも言うのだろうか。あたかも、虐めた側も被害者だ、という言葉が今にも聞こえてきそうである。ここにもフェミニズムの図々しさが垣間見える。

 学校は虐めた側に対しても謝って欲しいと虐められた側の父親は言っているそうだが、これも違和感がある。自分の大事な子供の命を奪った相手に対して普通なら憎悪心が先に来るはずだ。それを考えれば180度反転したコメントにも感じられる。取材班は何度もこの父親と意見交換をしているだろうが、どういう過程でこうした言葉を引き出したのか知りたい。

 おりしも、一昨日の3日には、中日ドラゴンズのセリーグ優勝記念のパレードが行われ、沿道には35万人ものファンが詰めかけたという。それだけファンから慕われる中日であればこそ、新聞記事も多くの人から信頼されるものでなければいけないのではないだろうか。

【主な出来事、話題】
・自民党新人議員の会「83会」が造反議員の復党巡り事実上分裂。(10月30日)
・内山田洋さんが肺がんで死去、「内山田洋とクールファイブ」元リーダー。(11月3日)

いじめ問題に関する「免疫力」の必要性とは

2006-11-03 13:04:50 | いじめ、DV
 今朝のテレ朝のワイドショーで、虐めに関する討論を行っていた。本ブログの前回の論考で、虐めで自殺する子に対する批判意見が多いという話をしたが、今朝の番組でもそれに類する発言があった。虐めはどこにでもあるからむしろそれに耐えうる免疫力が必要である、虐められる側にも何か変なところがある、など、しかしこれで問題の解決に繋がるのだろうか。

 虐めというのはそもそも虐める側のストレスが根源として考えられる。ストレスに耐えられずに何かに当たる。それが虐めに繋がるのではないだろうか。従って免疫力が必要というのなら、虐める側のストレスをむやみに野放しにするのではなく、虐める側が耐えることに重点を置くべきではないのか。

 更に、ストレスの発生源についても考察する必要がある。虐める側の家庭環境にも着目し、子供にストレスを与えていないか検証することだ。両親が不仲であったり、共働きなど忙しいという理由で子供と触れ合う機会が少ないなど潜在的な問題はないか考える必要がある。

 そして、もう一つ重要な点は、他の類似した例と比較が出来ないかどうかということだ。例えば虐め問題を職場でのセクハラ問題などに置き換えたらどうなるか。虐められる側にも問題があるというなら、セクハラの標的となる女性にも問題があるということになる。しかし実際は男性側が100%悪とされ、職場は負われ、更に民事的刑事的訴訟になることもある。女性側にも多少の非があるなどと言おうものなら、フェミニズム系の女性団体などが大騒ぎして、言論封鎖されてしまう。

 虐められる側に免疫力を要求するという発想を、セクハラされる側にも同じように要求するというのなら、一つの論理としては通用するかも知れない。だが虐めの場合はされる側にも問題があるが、セクハラの場合はされる側に一切非はないというのでは明らかなダブルスタンダードだ。特に虐めの場合はする側がされる側を身勝手な理由で一方的に軽蔑したり敵視している場合が多い。これに対しセクハラの場合は得てしてする側がされる側に好意的な意識を持っている場合が多く、される側の意識だけを一方的に優先させるというのは、女性権力主義フェミニズムの独裁的な解釈に基づくものであり、あるべき姿ではない。

 このように、虐め問題もそれ単体の問題として考えると泥沼にはまり結論が出ない。従って類似の例と比較することにより矛盾のない一貫性のある論理に基づき最適解を見出していくことが必要であろう。更に虐め問題を考えることにより、セクハラのような他の類似の例に関する問題点を考え直す手がかりとしていくことも重要である。

【主な出来事、話題】
・同性愛、妊娠中絶の根絶目指し「お化け屋敷」で神の教え、若者に広がる、米国。(1日)
・大阪市の職員309人が住居手当総額5千万円を不正に受給。(1日)
・コンビニに女性運転の車が突っ込み男性客重傷、兵庫。(1日)
・「男女混合名簿」を巡り異論噴出、埼玉。(2日)
・北朝鮮拉致問題で曽我さん拉致に関与の工作員の女に逮捕状。(2日)

自殺者を批判する論調の真意は? ~中2女子生徒の自殺2~

2006-11-01 09:31:28 | いじめ、DV
 学校での虐めや未履修に関する問題が更に波紋を広げている。岐阜県瑞浪市の中2女子が自殺した問題では、虐めの存在を巡り学校側の回答が二転三転、全校集会では生徒に緘口令を引くなど隠蔽に終始、虐めた側の女生徒4名の両親が自殺生徒宅を訪れ謝罪し、学校側もようやく虐めの存在を認める形となった。

 また、鹿児島県では32歳の女性中学教諭が上司に虐められたと遺書を残して自殺、更に福岡県では小中学時代に虐められた恨みから、母校に爆弾を仕掛けたとの脅迫電話をしたとして37歳の男が逮捕された。

 一方、茨城県では未履修問題を抱えた高校の校長が自殺、更に埼玉県のある高校では豪州への修学旅行を世界史の単位として与えようとしていたことが発覚した。

 虐めや未履修の問題を教育問題として一括りにすることは出来ないが、原因の一つとして教育問題を考えるのは差し支えないだろう。そもそも教育というのは学校だけではなく、家庭や地域社会も教育の場なのだ。子供は生れたらすぐに託児所へ、そして保育園、学校と全て外部に任せて、女性は働くことに喜びを感じましょうなどといった安易なフェミニズムの政策に歯止めをかけるためにも、今回の問題に関して安倍政権は真剣に取り組んで頂きたい。

 しかしながら、未履修の問題はさておき、今回の一連の問題で気になるのは、自殺を巡る問題の扱い方だ。例えばマスコミの報道で、全校集会で命の大切さを生徒に説いたなどという報道を見かけるが、だとすれば自殺した人は命を粗末にしたということなのか、いかにも死者に鞭打つような説明で違和感を感じる。

 ネット世論にもそれに近い論調がある。例えば2chのニュース速報+板でも、この程度の虐めで自殺するなとか、自殺は他人の迷惑を考えてないなど、虐めた側の問題を棚に上げて自殺者を批判する論調が少なからず見受けられる。

 これは今回の虐め自殺だけではなく、JR福知山線脱線事故で婚約者を失った女性が自殺した件でも、同様に自殺者を批判する論調が目立った。(*1)

 自殺者を批判したところで何が教訓として得られるというのだろうか。特に今回の場合は直接的な虐めが原因なのだ。自殺者を批判する者達の核心がどこにあるのか、何らかの権力が働いているのだろうか、引き続き様子を見ていきたい。

(*1)《関連記事》
・弱い者虐めで憂さ晴らしをするネット世論 ~福知山線事故の後追い自殺2~(本ブログ2006-10-18)

【主な出来事、話題】
・天皇が来る意味を問う毎日記者発言巡りネットで騒動。(10月31日)
・ブッシュ米大統領、日韓などの核武装論に反対意思。(10月31日)
・覚醒剤使用で元プロ野球選手を逮捕、高知。(10月31日)