この高市氏の発言を巡って、保守系の掲示板などでは戸惑いの声が挙がっている。何故なら、高市氏は保守派の間で支持の厚い数少ない女性であるからだ。
高市氏は夫婦同姓の婚姻制度を破壊する夫婦別姓制度には早くから反対意思を表明したり、管理職などへの女性優先の登用制度にも異議を唱えるなど、フェミニズムが進める女性政策とは一線を画していた。そのため、今回の下村氏の母親育児に関する発言に対しても理解を示すものと思われた。
ところが、今回の高市氏の反応はフェミニズムが基本とする勤労女性養成政策をそのまま代弁するものであった。これでは保守派の期待は裏切られたことになる。まさに「高市、お前もか」といったところだろう。
しかし、よく考えてみれば、高市氏も勤労女性である。その彼女が「女は家事育児に専念せよ」と唱えれば、「じゃああんたも家に居ろよ」と言い返されるだろう。少なくとも自分のこれまでのキャリアを否定するような意見を自分から言えるはずもないのだ。彼女も女性が社会で活躍することには概ね賛成のはずである。その点ではフェミニズムと部分的には一致しても何らおかしくない。
それに今回の件はフェミニズムを批判する保守派の側が一枚岩ではないことも影響しているだろう。女性の家庭重視には賛成か、女性が男性を養うことを推進するのか、結婚するしないは自由意志なのか、同性愛を認めていいのかなど、これらの課題に関し保守派が何らかの形で統一見解を出した試しが一度でもあるだろうか。
確固たる方針もなしに場当たり的にフェミニズムを批判しているだけでは何も状況は好転しない。そうした脆弱な保守派に対して高市氏が見切りを付けたという可能性もある。だとしたら、それは保守派自身の力不足と言わざるを得ないだろう。高市氏の今後に引き続き注目する必要はあるが、少なくとも保守派が国家観に関する明確な見解を示さないことには話にならない。今こそ保守派の結束力が求められるのではないか。