まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

少々昂じた書生論のようだが・・・   2008 あの頃から

2023-11-25 07:43:53 | Weblog

 

             ベンガルの哲人 タゴール



中華民国(台湾)のカウンターは北朝鮮か。ブッシュ政権末期、台湾は国民党政権になり新任の馬総統は大陸との関係交流を一段階上げたようにみえる。

その台湾と貿易関係にある北朝鮮は米国ヒル代表に対して核開発の凍結を伝え、ライス国務長官は敵対的関係と制裁の解除を予告している。

それに呼応するように外務省は北朝鮮交渉当局者との会談に入り、どのような経緯か拉致家族や関係者には分からぬまま、国民には唐突に思える制裁解除の手続きを始めた。
しかも、その舞台装置はヒル次官補が再三にわたり事前会見に、おいて「拉致」を条件とする、いや日本政府になり代わって拉致家族に伝えるメッセージのように聴こえたのは妙に回り舞台の駆動に似た感じがした。
これは北朝鮮を影響下におき、世界のATMと揶揄されている日本の助力で陣営の間断材としてみているかのようだ。
今までの友が先祖帰りしつつあるからともみえる。

国民に説明しなければならない政府当局者が、外国高官に其の任を委ねるような順序だての後に来る役者と舞台は、万景号と拉致被害者の帰国と国交正常化なのだろうか。
いや、正常化を否定するものではないが、東北アジアのグランドデザインを鮮明にし、かつ理解判別が乏しいかもしれないが、国民に勇気を持って示せないものなのか、その危惧を感じるものである。

我国はいつまで大国の後を追い足下に置かれなくてはならないのか。あの日本海へのミサイル発射によって脅かされると、MD(ミサイルディフェンス)のためのミサイル購入に数千億を支払い、大国の意向が変わり、忘れやすい国民の喉もと過ぎれば援助に数兆円、何たる国家になったのだろうか。

いつもの事だが、米国の後追い対策に政府外務省の拙速さが見える。現状追認が倣い事のようになっている政府だが、「欧州の情勢は不可解」と迷言を残して総辞職した戦前の政治状況と情報解析に拙い政治家、官吏の醜態は変わらないようだ。

いまアジアは、良くも悪くもアメリカの影響下、あるいは支配下にある。

歴史上、アジアに食指を動かしたのは大英帝国によるインド、中国、オランダによるインドネシア、フランスによるインドシナ(ベトナム)、遅れをとったアメリカはフィリッピンとそれぞれが未開で野蛮と思っていた亜細亜から彼らのルールによる貿易や為替を通じて富を掠め取った。
そんな姿を先進国と模倣した日本も追従したが、チームから弾き飛ばされた。

今の理解では届くものではないが、あの時代は彼らのサロンに参加するには鹿鳴館の洋風仮装衣装や模倣のような憲法、そして軍事力と自国以外の版図を持つことが欧米の認知度だった。
繁栄と成功の尺度は、秤の形状や目盛りの尺度まで西洋化されなければサロンの一員とは認められなかった。今どきの黒髪を茶髪に、賓客にはフランス料理、看板も資本主義、民主主義と、けなげにも彼らの模倣が平和と繁栄のセキュリティーのように思っているようだ。

植民地主義がアジアを席巻した頃、オランダは国家予算の40%近くをインドネシアから収集している。ちなみに投資の回収ではない。インフラ設備にある道路や学校をつくりインドネシアを発展させたわけでもない。

いくらか野蛮性が文明の衣をまとい始めると、そのコスト高の為に彼らは撤退し、コントロールの手段だけを残した。インドネシアと東チモール、南北ベトナム、南北朝鮮、インドもしかり、イラクとクゥエートも分断され、まるでチェス盤を愉しんでいるように民族融和の障害を遺している。
冒頭に記した北朝鮮も東西冷戦の理由としても、機に応じて対中国、韓国、日本のカウンターとして動かされているようにも観える。それは現実の分析ではなく、近未来の結果として翻弄される近隣諸国の姿が映し出されるからである。
つまり、理屈では読み解けない独特のソフトとノウハウのもとに行なわれる企てのようだからだ。

敢えて区切るとすれば、戦前は彼らの国に無いもの、香料、陶磁器、紅茶など一次農産物や文化的文物だったが、戦後は復興に伴う購買の欲求から金融を餌にアジアを消費地として、しかも独立の端緒にみられる専制に似た集中的権力に向けて、自由と民主というアジアにとってはある意味では、゛きわもの゛を挿入しながら、人々を物質的欲求に昂進させ、国家のあるべき姿である固有の連帯さえも融解させている。民衆には金を貸すから品物を買え、しかも後払いの分割を歓迎すると・・ 妙なシステムに慣れ親しんでいる。

「太平」は戦争のない世界、「平和」は戦争の合間だという。また中国はその策謀を「平和演変」とも云っている。確かに北東アジアの国々は巧みな技法を駆使した外交を行い、一過性の現状を解消、もしくは先延ばししてきた。
しかし、明確であるべき意思が、どこか舅、小姑に遠慮して消化不良に陥っているようにみえる。それは常に「種」を残しているようにもみえる。
昔、岡倉天心が「アジアは一つ」と唱えたが、考えれば、゛一つにしてはならない゛あるいは、書生論かもしれないが、共通エリアに棲み分けられた民族同士の互恵、互助を良かれと思わない人々が厳然としていると天心は言っているのだろう。


翻って情緒的にも「ほど」を弁えた民族であった民情も、それらのチームの渦に翻弄され、資本集中と目標設定のあった統制的経済の終焉と相俟って、消費欲望の多様化と進捗は、おのずから複雑多岐な民情を生み出し、かつ巧妙な消費プロパガンダによって、その用とする金融は生活様式を変えるほど消費物質の流通を促し、その相乗作用は読み違えた繁栄を発生させ、国家経済はもとより、勤労、倹約などという民族の矩をも後戻りできないような状況に陥っている。

よく、組み込みは得意だが、ソフトは別段の感性ある欧米人には適わないという。
また彼らの意思に沿ったシステムやルールによって構成されたグランドのデザイン力は、つねに人間の陥りやすい、行き着くところを俯瞰し、かつ時間を管理している。

その能力を駆使した北東アジアのグランドデザインは、ソフトパワーとハードパワーを交互に使い分け、そのエリアにある国々の事情を特別な意志をもって観察しつつも、煩わしさを隠しながら、その企てを詳(つまび)らかにはしない。

またそれを補っている勢力がこの地域には多く存在するのも阿諛迎合を性癖とする民族の、侵入を誘引する事情でもある。
それは、自らの政策行動を絞めることでもあり、ついには大国に寄生する国家となってしまうだろう。

中国が龍になりかけている現在、アジアは脅威とみて伏してハードパワーを引き込むのか、それともアジアの意志によってソフトパワーを構成するか、あるいは中華民国(台湾)と北朝鮮を、龍を取り巻く駒としてバランスをとるかのような考えに同調するか、各国が胸襟を開く機会が到来している。

先ずは左右両派に纏わりついたかのような残滓を払拭し、その地域内の棲み分けを確認して民衆に目を向けることだ。その下座観がなければ歴史の俯瞰も無く、ましてや栄枯盛衰から読み取る民族智の恩恵も無いだろう。

これはアジアにとって千載の機会であり、潜在する民族情緒を共通グランドによって融和させるために歴史の要求する節でもあろう。
逆賭すれば、今その良機は眼前にある。  

 

「逆賭」・・・ 先を見通して今を行う 先見性

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-06-24 21:26:03

教えていただきたいのですが

安岡先生の本のなかに

「蕩々」と「稜々」

・・・いつか
調和
することが
できるのでしょうか。

返信する
同化と調和淡交 (孫景文)
2008-06-25 10:46:26
調和することで利交、熱交、詐交、淡交と様々ですが、似て非なる民族でも、国を超え一定地域を範囲として括る意図や目的に対して、括られる側の範囲のセキュリティーとしての調和、連帯があります。

調和は力関係において迎合や誘引とも考えられますが、一方の力でボーダレスになっては意味は在りません。

文中でいう平和の為の調和でなく、太平の為の地域的連帯を希求するべきでしょう。

スパイラル的に循環する歴史を観照すると、止まり、逡巡する、譲る、このことで現実の外交や戦争も刻まれているようです。

何か、優柔不断で切り口の違う夢情のようですが、人間の所作は似て非なる事柄を敢えて浮き上がらせるより、調和する意志を同方向に示しあうことが必要かと思います。

たとえ「力あるものは善」と考える人々と平行線だとしても保持すべきものと考えます。
返信する
ありがとうございました。 (Unknown)
2008-06-28 09:05:53


ニュースなど
表面的な報道に

わたしのようなものはうれいてしまいます。

そんな中で
教えていただける
場があることに

感謝しております。

返信する

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