まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

観人の妙「飼い犬に手を咬まれる」とき

2023-11-29 03:06:41 | Weblog




同郷、道縁、政治で言えば派閥などでよくあることだが、ここでは、゛咬まれた゛ときの咬むほうと、咬まれた側の応答に、愚かさと賢さをみるときがある。

時代の推移と共に老、壮、青、小が入れ替わり、夫々のステージが変化してくるのは常ではあるが、無常観(一定ではない)をどのように消化するかは栄枯盛衰の流れを、どう捉えるかによって大きく左右され、不消化は怨嗟、反目になり、うまく消化すれば人生に重層された許容なり度量として賢く自身に内包される。

一方、咬んだほうは高邁、狡猾になり、人との関係を計算高く見るようになる。とくに理解が半知半解であっても歓心を買うことにずる賢くなり、たとえ相手に道理が整っていなくても利のために追従し、かつそのような考察や行動が習慣化して軽薄な人物になってしまう。

また、一方では往々にして理想を語り、大言壮語して生真面目さを装い、見るものを底の浅い人物として固定されてしまうようだ。




             

       ジープに乗る左 菅直人 市川房江

  


                       関係サイトより転載



以前、市川房江氏と菅直人の関係について同様なことを記したことがある。
政治の部分のことだが、若き野にして粗のごとき青年を可愛がって、手とり足取り教えたがその厳然たる埒(らち)である、間合い、囲いの許容を越えて、隣の飼い主や反目する飼い主に歓心を売り、ついには埒外のさもしい権力に尻尾を振る、ここでは犬のバーバリズムではあるが、人間の信念や道理からすれば「許せない」状態になってしまう。
いわゆる「野にして粗にして卑ならず」ではなく、市民という衆を用とした一種の権力を窺がう「卑」だったのである。
しかも、上っ面の半知半解なりに口舌巧みで、何よりも未熟さゆえの清風の錯誤が社会の軽薄な夢を怨嗟、反抗に乗せて上昇させた。

明治の気骨は、中央集権のもと俯瞰した国家観とともにそこに共存する人々を「国民」として、平和安定と繁栄のための連帯と調和をもとに養われている。
またその制度なりシステムが徐々に劣化し、人間の欲望の交差がスムーズに進まなくなり、かつ速度や量のコントロールが効かなくなり、ひいてはそのしわ寄せが弱い立場に積み重なることを憂いて、既得権益や劣化した構造に対して改めて一般生活の原点から考え直そうとする市井の国民のための運動がおこった。

公害問題の田中正造、神社合祀による神域自然破壊に抵抗した南方熊楠などは国家権力というより国家の機能に関わる人間、つまり立身出世の風潮に堕する官吏や、それらが起こす法治上の罪無き不作為の連鎖に対する已む無き行動であった。

今はどうだろう。かの思想にいう階級闘争や無責任な私情から発する嫉妬が「国民」を分化した「市民」という名において行なわれているようにもみえる。

言い換えれば国家国民を大義として謳う既得権力と、一方では異なることを前面に市民を屏風なり己のガードとして、平等、人権、平和という恣意的なファッショを用し、ここでは反論さえ許すまじと、便宜的大義を前面に出すような簡便左翼運動が起こり、安逸の世から人々がそろそろ気がつき始めた既得権者に対する嫉妬の代弁者として社会的位置を占めるようになった。

つまり明治の田中や南方が一部の困窮を不特定多数に照らして為政者に対して、しかも人権と平等などの理解が乏しかった世情において衆を恃まず行なった烈行にくらべて余りにも魂の熱情が感じられない運動家の発生だ。








関係サイトより転載


そのウエーブやムーブメントの行き着く先は往々にして政治権力に志向する。
田中は議員を辞め、南方は自身を名利から遠ざけた。以下に記す市川房江も赤尾敏もその点の矜持は同じだ。だから無条件な信頼もあり時節のヒーローでもあった。

それは経験情緒を重責された人物によってはじめて成されるものだ。市川氏と仲の良かった赤尾敏氏も浮世の勝手な左右のレッテルには頓着せず、自身に合った行動をとっている。共通していることは人と共に可能性を抱える許容がある。

大塚の赤尾氏の道場にはキリスト、日蓮の掲額と山口おとや氏のデスマスクが安置してある。
なぜキリスト、日蓮なのか・・・、筆者は問うた。

「彼等は命を懸けて語った。いまは命をとられなくても語らない」

山口二矢氏のデスマスクは・・・
「彼は僕の話を学生服を着て隅っこで聞いていた。詳しく語ったことは無いが、僕の精神を彼は受け取った。行為には色々な姿があろう。赤尾が指示したんだろうというが、僕は人の行為は責めても命の大切さは分かっている。だだ、考えが乏しく立場は弱くても、そのような国民を路頭に迷わすようなバカな政治家は許せない。山口君は僕の話を聴いて決起した。僕の責任でもある。だから何といわれようと大切にしたい」

゛オレは指示していない゛゛知らない゛と口舌巧みに逃げることは簡単だが、こと青年の志操堅固を育みの原点として、たとえ行きずりの縁であっても迎えるものには誠心誠意応える姿勢は明治人の至極当然の行動であり導き方だった。

赤尾氏と肝胆合い照らした市川氏も同様であった。
たとえ若輩で口舌巧みな青年でも、゛何か゛を見たのである。それは善き変化を期待し、かつ、単なる知学反抗と教養を具えた反骨の気概をもつ人物にしようと、良なるお節介゛を行なった。




                    

             大丈夫とカイワレを食う 菅直人


                         関係サイトより転載



市川はその青年を「許せない」と呟いた。
周囲はそれを「恩知らず」と感じていた。だだ、観る目がなかったと思いたくなかった。
期待は正しかった。そして繋げることを期待して、゛青年の臭い゛を荒削りの、゛薫り゛として錯覚したのだ。

尽くして欲せず、施して求めず、これが運動家としての矜持だろう。
特に市民を旗印にしにしているなら尚更のこと、彼の政党のように弱者救済に名を借りて階級闘争ならぬ分裂を促し、且つ、゛さもしく゛も゛卑しい゛人々を増殖させるなど、呼称は左翼市民のように取り纏められてはいるが、半既得勢力イコール自民党だっただけで、いまは姿形も捕捉できないような官吏や食い扶持議員、労働貴族に対して、よりその狡猾になった群れに増殖した。

今なら赤尾、市川は連携して挑むに違いない。
赤尾氏は笑いながらこういった。
「市川とオレはババアとアパッチのようだ」

市川はそれを理解した。
志操なり行動はその関係性を論ずることより、結実させる連続性にある。
人を観るにも、得るにもその行動性が重要になる。とくに市民のありがちな怠惰な既得権、あるいは権力機構に巣をつくる食い扶持既得権などに抗するには、己の欲を省きつつも、それらの既得権者の群れも国民の一翼として眺める鷹揚さも必要になってくる。
あの上杉藩政改革の旗手も鷹山と称したのもそのせいか、器量でみる許容の広さなのだろう。

また、その度合いと許容の問題を考えるとき善悪は問わず生き様として営みを忖度する心が必要になってくる。それが度を越した忖度は看過無作為となるが、判断は善悪の高低ではなく内省の精神の乏しくなった「愚かさ」の多少に向かわなくてはならない。
なぜなら、「愚かさ」は、人心のにいう情緒性の豊かさが乏しくなっとき乱れるものだからだ。
忖度は関係の継続性であり、恩を還す、つまり人々に巡らせることなのだ。

市川とて己の心は克服するとしても、公に貢献する人物として青年に白羽の矢を立て、しかも結果として口舌に乗り、従来の同志の道を遮ったことに己の人の見る目を責めつつも、至情に感応しない青年の似非日本的にも映る心根に慙愧の念を抱いたに違いない。

為政者の流れにも同じことが言える。
佐藤から意中の福田ではなく田中、田中派から竹下派、咬むほうも咬まれるほうも大義はある。そこに個人的な事情や仲間の事情はあるだろうが、つねに、゛裏切り゛゛恩知らず゛が付いて回る。
また、ほとんどといっていいほど「金」に纏わるハナシが添えられる。

経済界とて三越も服部時計も重役の計略による役員会の反乱だ。罷免されたほうからすれば飼い犬に手を咬まれたと思うに違いない。

職人とて手塩に掛けて教えた従業員がいつの間にか親方の客をとり独立する。往々にして義理や人情をそえて継続していた取引先が代替わりしたときが勝負になる。しかし結果は良いとは限らない。状況が悪くなっても親方には戻れない。しかも親方と取引先が復旧したら何もかも虚ろな状態になる。

縁の巡りは自然の循環と似て多くの純利を生み出す。計算で届く経常利益は無駄な行為と経費、とくに蛙が大きく見せようと腹を膨らませて破裂するのに似て己の柔軟ささえ無くしてしまう。

中川一郎氏がゴルフ談義で総理立候補をにおわせれば、田中角栄氏は「元気で泳ぐ池の鯉も陸に上がったらお終いだ」と、厳しさを隠して優柔な応答をしている。

昔は離れていくものに罵詈雑言を投げかけるような野暮はいなかった。人物なら当然な度量であり、一種の我慢だった。騒ぐのは周りである。

ただ、上手く立ち回ってもそんな人間が「長(おさ)」になったら、他に対する印象は事のほか軽薄になる。家族も会社も政治も数値評価や目垢の付いた見栄えではない。

あの時の青年よ、今からでも遅くない、国家の集積養土となった森羅万象と協働した人間の生死を想起して報恩の心を興し、己を内観することだ。幾らかは鎮まりをもった思索なり観照が叶うだろう。

口舌はその後でも決して遅くない。

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1 コメント

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死生観 (松原)
2010-09-02 16:43:22
数十年、忘れそうになっていた、人間としてのあり方を、思い出させて戴きました。ありがとうございます。人は、年をとれば生臭くなる物ですが、赤尾先生は、いつまでも青年のように純粋でした。あの時代は、いたるところに無欲の師がいらっしゃいました。私も、忘れずに生きていきます。

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