まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「人間考学」 選挙、その笛を吹く人たち   9 1/11再

2017-10-17 09:43:13 | Weblog

            岩木山神社内

笛吹き」といえばハーメルンの鼠捕りが思いつく。
色とりどりの服装で鼠捕りを請け負う笛吹きの物語だ。
笛に浮かれ誘き寄せられた鼠が川で溺れ死ぬが、市民は笛吹きに報酬を支払うことをためらったために、子供達(130人)を笛で誘い洞窟におびき出され二度と帰ってくることはなかったという悲劇が記されている。

今どきのマスコミ表題では、゛鼠捕りの報酬を払わなかったために笛吹きは怒り、130人の子供達を拉致した゛と事件は踊るだろうが、その末尾に助かったのは足の不自由な二人と盲目とろうあ者の四人であると記事が結ばれたら趣は変る。

ハールメンの笛吹きについては多くの隠された歴史がある。
ペスト患者の隔離、十字軍の徴兵、あるいは開拓者として植民地に向かった、など様々な説が「鼠捕りの笛吹き」によって追い立てられ、誘われ、連れ去られた、と後世の諸説に登場する。

そして笛吹き男は悪魔だと・・

 

           

 


今もそうだが子供達は思索や観照に薄い。いや大人に成るにつけ失くしてしまった素朴さと純情さゆえに疑うという問題視がない。それゆえ「笛吹き」の奏で方一つで誘われてしまう安易さもある。

昨今では大人とて「笛吹き」には容易に誘引されるのが倣いだが、とくに耳障りのよいスローガン、あるいは商業的キャッチフレーズに思索も観照も効かなくなる。

騒がれている派遣労働者の解雇だが、景気のいいときは仲介業者に登録し゛やりたいこと゛を選択肢として職業の自由を享受し、気ままな渡り派遣が流行っていた。
若者は先輩を範として、゛職業はフリーター゛と好きな趣味に没頭できる、そんな社会がしばらく続いた。規則や時間に縛られる社員を避けている人もいた。

それは規制の緩和や職業の自由選択を謳う「笛吹き」が歓迎された頃でもあった。

紹介業と仲介業との違いだが、高度成長期には山谷や釜崎では労働仲介業者がトラックに労働者を満載して現場に送り出していた。もちろん体が丈夫で能率が上がりそうな人間が優先だが、繁忙期には道具を入れる腰袋を提げていれば誰でも集めるといった大工事が多くあった。つまりニンク(労働者の頭数)数稼ぎである。巨大なドームや宗教施設が建てられたころである。

彼等には選択肢は多くないが、世の中を見る目が有った。
これが続くわけは無いということを・・・

「笛吹き」だが、ハーメルンの門に記されている碑文には、マグス(ラテン語で悪魔)と刻まれている。
「笛吹き」は語ることなく、身体を揺すりながら派手な衣装で懸命に笛を吹き、人を誘い込んでいる。「笛吹き」にとっては鼠も人間も同じである。

困ったことに現代は笛吹きに誘引されるだけではなく、「笛吹き」待望する風が吹いている。ハーメルン市民と同様に報酬を払うつもりも無く笛の音を待っている

ちなみに筆者もキーボードを奏でているが、利もなく甘美さも無く、鼠すら寄っては来ない。ハーメルンの物語には足の不自由な二人の子、と盲目とろう者の二人が残されたというが、世情に疎く不器用で変わり者ゆえ未だに誘いは無い。

外のチェンジ、内の改革、巷にある道路鼠捕りも、必ず痛みと報酬が付きまとう。
踊らされるか、躍らせるか、年頭の獅子舞も笛に踊り、些少の金子(銭)でおとなしくなる。

 

          

 


ちかごろ笛吹きが多くなったことが気がつく。
数多講演会の人集め、選挙の票集め、阿諛迎合的性癖といわれる日本人だが、群れの安心感は独立意思の涵養とは異質の似非知的教養の姿である。

だが、それさえも労務なり、時間なり、報酬を払わなければ悪魔になることは今でも同じようだ。

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