まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

或る日の郷学

2008-03-24 15:43:24 | Weblog
                  津軽弘前のりんご


この会は35回もやっているのですが、私がこうやって話をするのは、じつは初めてです。
いつもゲストをお呼びしてやるんですが、一番はじめは80歳位の方(佐藤慎一郎先生)でしたかな。
それから宮内庁のかた(卜部亮吾皇太后御用係)とか、色んな方をお呼びして学校でやらない勉強といいますかね、郷学と言いますが江戸時代の塾と藩校の間にあったようなもので、たとえば明治維新、日露戦争以後見ても解るように児玉源太郎、秋山真之のような人はもう出ないと思います。

学歴偏重ですと、ああいう人は弾かれます、女郎屋で金使って借金こしらえて、戦争が起きたからちょうど良いいやと言って向こうへ行って旅順の攻略を成し遂げたり、あるいはいつも豆かじって居眠りしてる秋山がバルチック艦隊をやっつけたり、いわゆる頓智にちかい本当の直感です。
いわゆる知識で学んでもの積み上げたものがあのような人物になった訳ではありません。彼らがどうゆう勉強していたかとゆうことになりますと、塾・藩校、つまり郷学なんです。

たとえば、田舎へ行けば一生懸命畑を耕しながら勉強したり、吉田松陰なんかはとことこ東北の方まで歩るって萩まで帰れば若い連中が集まってきます。皆さんそうゆう情報はないですから、そのような話をすると興味深く聞いてそこで感動・感激を通じて学ぶ、このような単にものを講釈して知識を得るのではなく、なにか感動と感激を通じてものをやる。それは体験を語ることなんですね、「話」は舌が言う、吾を言うが「語り」です。それと吾の心は「悟り」です。

いろいろな人に会って、いろんな環境、大きい山を見て広い海を見てそのような情緒を蓄くわえたうえで、子供や近在の方がたを集めて、農民も含めてたくさんの方がたを教育していった、教育とゆうか教化していったということです。

今ビデオ見ていただきました。先ほど大塚さんが天皇陛下の話をなさって頂きました。
明治維新以後、なぜこんな国になってしまったのか、昭和20年のあの体たらくを見ますと官製学校暦で勅任官になって高級官僚、高級軍人ことですが、今でゆうと官制の高学校歴みたいなもので、しかしながら満州崩壊のおりに一番最初に逃げたのは高級官僚・高級軍人、いわゆる高学校歴の人達です。 

そこで、この人たちは何をしたかとゆうと、ソ連軍がもうすぐソ満国境にくるよ、といった時に電話線を切って逃げるんです。残るは開拓民ですね、「お前、満州に行けばすごく成功するよ」と言われて一生懸命に働いた東北の次男の方々が多かったそうです。この守るべき方々を置いてぼりにしたのは高級軍人、高級官僚の人達です。じゃあ学歴とはなんなのかといというと、まあ学歴とはそれは学校歴ですね、学校に在籍しただけの話です。

それは、人間の教育とはどうゆう事なのか、あの当時満州にいた方々が嘆き悲しむというか、その時に思い出した言葉にこういう言葉があるそうです。
「物知りの馬鹿は無学の馬鹿よりもっと悪い」と言うんです。ものを知ってるだけに、もう本当にやることが悪くなる。

あるいは「我、汝らほど書を読まず、されど汝らほど愚かならず」僕は、お前ほど本は読まないが、お前ほど愚かじゃないよということを思い出したというのです。
その高級官僚、高級軍人をみましてね、開拓民を護る立場の人たちが一目散に逃げて帰って、戦後日本ではまた同じような地位に立って懐を増やした人たちが相当おります。
日本及び日本人の誇りもなければ、いや、いたたまれない。

あるいはこれは誰も語ることもないですし、戦後、誰も書くこともなかったんですが、実は満州国に財産がありました。勿論日本とは違いますね、国と国ですから、じゃ負けた後に満州国の財産は何処にいったのか。満州にあった設備はソ連が持ち去り、日本国内にあった動産、不動産はどこかに消えてしまった。誰もこれは語りもしないし、書きもしない。これを掠め取ったのが日本に相当いる訳です、財閥でもなんでも。

この事実を私も聞き及びまたその現場に立ち会った人たちもおりますし、又その人たちの名前も存じております。有名な方々です皆私服を肥やして満州国の財産を懐に入れたと土地や建物やいろいろあります。有名なビルも銀座の近所にでかいのが建っております。
こうゆう事も誰も問題視することなく今この平成の御世に来ているのです。

先ほど大塚さんが明治以降、何故こんなになってしまったのか、これを私の感想を述べるよりは中国の古典を引用してお話したいと思います。

中国はよく4千年の歴史と言いますが、その中で様々な思想家も出ました。あるいは読書人と向うでは言いますが知識人もでました。その方々の中でこれは日本に合うなと思う事を引きますと、先ずは世の中が「偽、私、放、奢」と4字で言いますが。
偽り私と放埓、贅沢の4つが人の姿に顕著に出てくると国家が滅ぶといっています。
この逆が、明治初頭あるいは江戸時代に欧米人が来た時に初めて日本に来て感じた、日本人が勤勉・正直・礼儀・忍耐だっていうですね、いや素晴らしいですね。
実はハリスが下田のお寺に投宿の一日目の日記にこういう事が書いてあります。「この国に果たして我々が来て、今私達がやろうとしている事が果たしてこの国の人たちに幸せになるだろうか」。当時のアメリカは素晴しかったですね。
でも植民地にしようと思っていたんでしょうね、きっと。

まあその証拠に東京湾にそれぞれありますね。金沢八景とかいろいろありますが皆に英語の名前が付けてありました。セントルイスベイとか、海の深さを計ってもう自分達の国だと思って皆英語の名前を付けています。

当時、そういう状況の中でハリスは、「果たしてこの国に人たちに対して我々が行なおうとしている事が果たしてこの国の人たちの幸せになるだろうかと」、これは大変見識あるアメリカ人ですね、まあ唐人お吉もきっと幸せだったのかなあとどこかで変な気持ちもあるんですが。
重箱の隅を突っついて人物を見ると色々在りますけど、ハリスにして緊張の一日は純粋ですね。

国家が衰亡するときに人々の行いに兆候として出るもののなかに「偽、私、放、奢」という、四患といいますが、これが出るとなかなかこれは直らない。これは法律では直らないですね、心の中を偽り派手に見せて大きく見せる、或いは私というのはプライベートだけですからパブリックが無い、そこいら中ゴミを散らかしたり、あるいは名誉を欲しがって勲章を欲しがってそんなことやっているのもこの類です。放埓(ほうらつ)というのは、自分の心が放たれてしまう。

孟子さんの四端(したん)というのがありまして、惻隠の心の仁のはたなり、行動にでなくても陰ながら可哀想だな、不憫だと思う心、そこには仁が存在するんです。
或いは是非の心、「智の端なり」これは誰にも教わらなくても生まれた子供たちが備わっているものと孟子は言っている。良いか悪いかの判断、誰にも教わらなくても自分自身がそれを判断できるように成長の過程の中にあるこれを「智の端なり」これが知識の一番初めですよ、
或いは「羞悪の心、義の端なり」。「シュウオ」と言うのは忌まわしいものや、邪まな事を見てこれを直さなければ、正さなければいかんとこれが「義の端なり」です。正しい心で義を遂げる心は教えられなくても童心は持っているということです。

端的に言えは、例えばホームで子供が落ちそうになった時、どんな人でもこれを助けますね、はっと手が出ると思うんですよ、大久保で亡くなった韓国の方など、ああいうことを維持されている方だったんですね。誰に教わった訳じゃなく維持している人達だったのです。維持でき無いと、怖いから止めようとなるんです。でも本当は落ちそうになったら助けてやりたい行動は、どんな人も生まれながら助けたい気持ち起きる。これが生まれながら誰にも教わることない「義」であり「智」であり「仁」というものです。

いちいち、学校先生がコウしなさい、アアしなさいと言うとよけいひねくれかえる人たちもいますが、本来は持っているものがいつのまにか放心と言って、心が放たれてしまう。
孟子はこう言っています。この四つの心というのはもともと持っているのが、成長することによって、たとえば受験で言えば競争、或いは地位や名誉や財力、学校歴、こんなものを追い求める為に本当の生まれながらの良識とかを無くなってしまう。これをもう一回取戻すのが本当の勉強でだと言うんです。なにも新しいものどんどん積み重ねるのが勉強じゃありませんよと説いています。

今は私事にある心の問題でしたが、それともう一つ社会とか国がおかしくなる。これは『敬重』と言って、敬われる人物が出てこない。というよりどんな人を敬まってよいか解らなくなっている。ですから人格と何ら関係ない学閥、財力、名誉、地位で人を見てしまう。本当に敬まわれないから途中から満州で逃げ帰ったようなことをやる訳です。  

こういう状況が現れることは漢の時代に記された五つの寒いと書いて「五寒」(ごかん)といいますが、これが現れたら国は滅ぶ一歩手前だということです。ほかに『内外』、内外と言うのは自分の国の内側の欠点を補う為に外で危険あおったり、例えば家庭が上手くいかないから外で遊んだり、いわゆる人間が基本を「脚下照顧」と言って足元を見なくなってくるこの状況です。

これは国にもありますね今は、国内で大変困って自殺もこんなに多いのに、よそ様のところにミサイル防衛とか何とかで何兆円、トランスフォメ-ションで座間からこっち行くのに何兆円、皆さん六兆円ここで借金を抱えたようなもので、今年一年そんなのを平気で見過ごしている興味なくなっている。
ワールドカップがそんなに良いのかって感じがしますけど、『政外』といって政治のピントが外れる、本当はこれをして欲しいというのが外れている。それから『謀弛』これゆるむ、はかりごとがゆるむ、これはもう全てフォーカス、フライディイもそうですが、内面がこうゆるんで来ると大事なことが漏れてくる、規律がとれなくなってくる。

最後に『女』(ジョレイ)これは悪い言葉じゃなく、昔の女性は母の強さがありました。ところがこれが昂じてくると女性が烈くなってくる、まあ勿論男がだらしなくなってくるのもちょうどこの時期なんです。この「五寒」にいう五つの兆候が現れたらその国は終わりだと言うんです。中国では滅びる直前そうだと言います。今の日本が当たっているかどうか私の感覚ではどうも少しは当たっているような気がします.。

それと荀子という人が説いていますが、永い歴史を持つ中国はに繰り返し訪れる栄枯盛衰に孔子や孟子など、多くの知識人がおりますが、この旬子が2千4百年ぐらい前にこんな事を言っています。

国や社会が衰亡して人間がおかしくなって来る時どんな徴が現れるかと言いますと、その『服は租』、こうゆう物がきらびやかになってきて男なんだか、女なんだか分からくなってくる。それから『行いは雑』、一つのことに集中出来ない。例えば真剣なこの世の中の事を話していたら、サッカーでゴールなんていうと皆そっちも向いてしまう、いわゆるそういうような人間になってしまう。或いは『声楽は淫』という、ここでも音楽をよくやるんですが、今の歌詞が淫靡になってきているとか、音やメロディが綺麗じゃないドンドンドンドン、リズムで人間が騒いでいる、これは2千数百年前に言ったんですよこの人は、そうするとどうゆう結果が起きるか言うと男女の問題で言うと、男は親を捨て女に行く。

果たして2千数百年前に説かれたように、国がおかしくなるとゆう兆候は日本に今当てはまっているかどうかは古典から学ぶべきことが多いようですが、なるほどやっぱり何千年の歴史の中で何回も何回も繰り返し行なわれているあの国の状況を見ると、なるほどという気がしないでもありません。

これから本題にはいりますが、実はあの戦争。私たちが親から聞いている戦争ですね 私戦後生まれですから肉体的衝撃はありませんので、ただ満州に行かれた方とか沢山の方々にお会した上で色々な事を推測しまして、また事実その方々にお会いしてお話を聞いたその中で、大塚さんが話したようにこの国の在り方のなかで、どうも昭和20年まで、或いは今もそうですが暗雲があった、言い換えれば忌まわしい風が日本中に吹いていた。

この暗雲は何かと言いますとね、今の官僚が政治家を使っているようなもので、当時軍官僚と言いまして、軍人が日本中を席巻していた訳で日本の政策や、或いは大臣を出そうとしても軍人が反対すれば出せなかったそんな時代です。こうゆう時代はですね実は権力者というのは何を成すべきかを陛下が危惧されていた、陛下だけでなく近衛文麿、西園寺公一、吉田茂、細川さんのお父さんとか、安岡正篤、尾崎ホツミ、この人たちは連携は取らないのですが、偶然心を一つにして振り払おうと思ったのが国家の暗雲なんです、今と同じです。

それは何故かと言いますと話はちょっと別になりますが、聖徳太子や秦河勝が17条の憲法をつくりました。何故作ったかと言いますと、あれは蘇我とか物部の武力をもった人達が大きな権力を持って国を壟断していた。この時にこのままでは人間の尊厳を壊してしまう恐れがあったんです。それから祈り護るという役割のある天皇制の継続性、つまり縦軸を構成する綱維を壊してしまう恐れがありました。

人間の尊厳を壊してしまうから、その崇高な理想の元に憲法作成という頓知が働いたのでしょう。強い奴がいると、私が今日お祈りするから、『君は役割りだからそこに座ってくれ、ついでに目印に悪いんだけど赤いの着てくれ、青いの着てくれ』と、これは少々乱暴ですが要する官位12階ですね。
天皇は権力がありません、権威はあっても祈願する人「祈護」する人ですから、こちらは豪族です、力はあってもそこまで祈る立場ではない。君達はこうしなさいと並べた、これが官位です、色で並べたんです。このようなやり方で制御した訳です。

いわゆる憲法はなんということは無い、力の強いもの、権力者の制御なのです。今の権力と称せられる政治家官僚、教育者、宗教家あるいは知識人、裁判官、医者もその類です。こうゆう人たちが今の権力なんです。この権力を制御することが憲法なんです。ですから我々は民法や刑法みたいな泥棒したとか人を殺めたとかということじゃないんです。

しかも廃棄したわけではなく明治までは17条はあったはずです。
誰も論じませんがね。今でも生きていますよ、いまどきの言葉で廃棄していないなら・・・
ことに民族の当たり前な生き方が自堕落にならないように理想とした目標はシンプルのほうがいい。人間の歴史の継続性は習慣性といってもいいものです。つまり勤勉、正直、礼儀、忍耐、それだけです。こちさら宗教や古典に委ねる必要はありません。教義や解釈で争うだけです。

以下次号

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