至る処 青山あり」 佐藤先生の故郷 青森県津軽 岩木山
S 佐藤先生 Wモト夫人 M 某通信社上海 T 筆者
≪土壇場の人間学≫
S よく分からんが、非常時は公が中心だね
T その非常時に「私」が中心になるから問題です。関東軍が満州崩壊の折に居留民を残して、しかも電話線を切って逃げる これも「私」優先ですね
S 学生がね 大人が居ないからって米だの醤油だの持っていった 子供を騙して金もっていったことも僕知っている だけど日本に帰ってきたとき何にも言わずに僕は仕事を与えたんだ
T 男が国家だとか社会を考えることが薄くなっている
S 今はね 地球とか宇宙を考えなければならなくなっているが、国家とかを大事に考えないと、また゛駄目だ まだまだ駄目だ やはり国に対する考え方は大事なんだ 歴史とか連帯とか排他的はいけないけどね
M 独りでは何も出来ないしね
T リーダーは財や地位や名誉だけでは成り立つものではないですね 人を許し、公を考えるリーダーが居ないと、またあのような惨禍になってしまう
菊池九郎さんのお母さんが庄内藩に使者で赴く息子に、堂々と行ってきなさいと、死装束をさせるわけですよ 今時なら、どうしてうちの息子が、たとえ大勢のためとおもっても死ななければならないのかと、反発しますよね 誰だって息子を死なせたくはないですよ でも男文化の気概や覇気 優しさの忠恕は女性には理解しずらいところがありますね
S お婆ちゃんね お婆ちゃんの謂う通りなの お婆ちゃん一つも間違ってないの
ただね 人間っていうものはね皆死にたくないの だけど死んでもやらなくてはならないものは確かにあるんだ そうゆうものが人間にあるんだ ちょっと生き方が違ってくる
お婆ちゃんの言うとおり 一つも間違ってない お婆ちゃんのお陰で我が家は在る
M 給料がよくて 車もあって 3DK,4DKの部屋があって 息子は有名校に行って、会社は一流企業に入るというのが理想のパターンですよ
W ハハハ(奥さん大笑い)
T 考える幅もいまの風潮を基本とした己の意思ではなく、歴史と将来の考察の基に考えるべきで、家でいえば先祖、現在の自分、将来に立つべきところの考察を総合した分別が必要になってくる 個人の範疇では解けない答えですよ。その意味で、目に見えない何かが家庭を維持しているとする ならば、それに殉ずるのも男に与えられた仕事ですよ
いわゆる財や名誉の維持ではなく、家庭や国家のなかでの魂の継承が無ければ、何で国家や家庭と言えるんでしょうか
歴史の贖罪があったとしたら、現在の自分もそれを内在して自裁しているものでないからこそ、反発や怨嗟が他国からあると思うんです
S ぼくが書いた終戦後のこと、宝田さんが活字にしてくれたんで安心しましたが、あのなかでね 僕の家に避難民が居たわけだよね そのなかでお産した女の人が居た 学生が来て、叔母さん、って言うんだ なんだ君の叔母さんか、って言ったら僕の叔母ですというんだ 君、いまどうしている、と聞いたら、女房と二人っきりだというんだそれで、できたら この叔母ちゃん連れていって看てくれと言ったんだ
そうすれば困った人が大勢いるからまた看てあげられる、といったら、いゃ、うちの女房は身体が弱いから駄目です、と言うんだ 連れて行かないというんだ それで僕は、犬畜生、帰れ!といったんだ 四、五日して彼はすみませんでした、と連れて行った もっとひどいことがあるの・・日本負けた後の新京 もっとひどいことがある、惨憺たるものだ
W どこに居たとき?
天安門広場の敷石
5月26日
≪高級軍人、官僚の土壇場の醜態≫
S 新京、満州の新京!
監獄の中だって、僕は簡単に餓鬼道に陥ったと書いているけど もっと汚い・・ 死ぬまで嘘つくんだよ! 犬畜生とどう違うか、犬は嘘つかないよサルだって蛇だって嘘つかない 動物でも嘘つかない 人間は目を落とすまで嘘つくよ・・
これね 僕、体験した話だけど書けない みんな満州国で有名な人だよ 半分は青森県人だから、なおさら書けない(笑い) 上っ面だけ書いたけど、あんなものではないょ 深刻だよ
T 私たちだって土壇場になってみなければ分からない
S おれは自分で死んでみないからわからない 余計に書けない
オレ、何やるか分からん
T 歴史の真実、異国での日本人の土壇場の姿を知らなければならない
教科書の歴史では中国も半知半解だし錯覚もする 手本も無ければ人間は駄目ですね 人に習うことですね かといって人格とは拘りのない附属性価値の欲望をまねてもいかぬことだし
M 明治、大正、昭和の断絶がすごいですね 同じ日本人とは思えないくらいですね いまは気楽に愉しく生きることが目標みたいで・・・
T 生まれてくるときは一緒ですよ その後の環境、習慣学修によって大きく違いますね。 官製学歴を経て大人になったときに忌避され棄てられた人間学というカリキュラムの存在を知ります いわゆる塾藩校にあった人物から学ぶ情緒を養うカリキュラムです 地位や名誉、はたまた財を求めるために亡くしてしまった純情を取り戻すことこそ学問なんです 元々あったものが放たれてしまう、これを元に復帰する、それが学びなのです それは、いまの官製の学校教育には見られません
S 僕はね 旅順郊外の水師営というところで小学校の先生をしていたとき 言葉も何も分からなかったけど、乃木大将のことみんな知っていた あのステッセルと会見したところの近所だった 僕の小学校は日本人といえば乃木大将だった
T 乃木さんが子供に言ったそうですね
君たちの国で外国の軍隊同士が戦争をすることは悲しいことだ、と。 これは優しさです (武士の忠恕) 当時は併合までは考えてはいなかった はじめから策略じゃない日露戦争では朝鮮の人たちが率先して武器弾薬を運んでいます それは明治維新と日露におよぶ変革の中にアジア民族が共鳴するも のがあったからですよ
S 言葉も分からなかったが、料理屋にいくと店の人が乃木さんの話をするんだね 意味分からんけど、ホットするんだね
T トルコにいくと東郷さんですよね フィンランドには東郷ビールがあります
S その頃は本当の日本人が居ったんだ 僕、中国人好きになったのは乃木さんのお陰だよ 子供たちは皆なつくんだ よく子供たちと遊んだこともあった
W どこで
S 水師営だよ
孫文 宋慶齢
≪宗家の姉妹≫
T そういえば、宋姉妹のテレビ見ましたか
S 僕の叔父(山田純三郎)は宋美齢のこと、あまり好きではなかった
悪口も何も言わなかったんですが・・・
蒋介石と僕の叔父はすごく親しかった 叔父は孫文の側近で蒋介石の革命の先輩に当たる 一時期、蒋介石とすごい喧嘩した 宋美齢との結婚式にも出なかった 叔父が、妾にせい! と言ったんだ 蒋介石は本妻を離縁して結婚すると言うんだ 宋美齢から出された条件が、クリスチャンであること、本妻であること、もう一つあった蒋介石は偽のクリスチャンになって本妻をアメリカに追い出して結婚した 叔父は終戦まで喧嘩していた ところが僕の叔父は上海にいた、重慶から上海の司令官から、『山田先生を守れ』、と電報が来た やはり蒋介石も分かることはあったんでしょう 宋美齢という人はそんな綺麗な人ではないね そのあとつくった妾さんは綺麗な人だった
T まともなのは宋慶齢でしたね 三姉妹は上から順に、金と国と権力ですね 出てきますね 人相が・・・。長女は孔財閥、慶齢さんが孫文夫人、その革命の正統性と金だけのために美齢と結婚する、それだけではないですね 非難はあったが孫文の意思を忠実に守ろうと言う深慮はありましたね その後の日本への不抵抗が招いた西安監禁事件 戦後の報怨以徳の発令など純情なところがみえますね アメリカの援助を得るために結婚したとも思えますが、国民党を腐敗させ没落させたのも宗家の長女と三女ですね
S 僕の叔父は悪口を言わなかったが、策略を警戒していた
(山田は)孫文の奥さん 宋慶齢とはすごく親しかった
長女と美齢は中国のお金、みなかっぱらうんだ
T 腐敗が無ければ共産党にはならなかった 台湾に着てから、新生活運動という整風運動を行っているし、息子の経国さんは、大陸から逃げなければならなかった理由は国民党の腐敗にある、と施政を注意していますね
≪為政者≫
S 僕も伯父と一緒に蒋介石にお世話になったが、財産はアメリカでは寂しいね
T サンフランシスコに住んで、ジャンボに故宮博物館のものを積んで還る まるで民族財産が自分の物みたいにね
W そんなんじゃね みんな国民の物だといえばいいのにね
M 若い頃はいい顔していますね
T 古今東西 指導者は面構えがいい 蒋介石も貧相で小作りだったら成れなかったろう
S そうかもしれないね
T 孫文もいい顔していた 北朝鮮の金日成もいい男ですね 身体も大きいし押し出しもいい でもヒーローは一代限りですね 近頃、日本の政治家や宗教者は財を貯めると外国に隠しますが、中国は共産党の党員が資本主義の牙城、アメリカに子供も財も送りますね 体面上の食い扶持は共産党ですね 権力者は権力がなくなれば財もない そんなことで貯められるときに溜め込んでおくのでしょうね 中国、台湾もみんなアメリカに持っていくでしょ
S 僕の親父が蒋介石に呼ばれていったとき、政府要人が外国に送金しているリストを見せてもらった 叔父も僕も確かに見た 蒋介石に、あんたの部下はこうゆう人が居るんですよ、と見せた人がいた 不動産とか貯金とか、丁度叔父がいるときに報告に来た みんな、蒋介石万歳やりながら金を移しているんだ 市場経済を始めてからは有るでしょう でも、その前は毛沢東も周恩来も無かった
僕が調べている 僕は、周恩来は好きでない 毛沢東の命令を実行するのが総理でしょ 周恩来が命一つ賭けたら数千万の民衆が殺されなくても済んだ それを己の人生を全うするために諫言できなかった 僕は嫌いだ 中国の歴史であれだけ人を殺してしまったものはいない だけど金だけは溜め込んでない もっとも国全体が己のものだから 林彪も劉少奇も貯めてない (当時の)中国共産党はそのところはいい 国民党はみんな溜め込んでいた 自分が働いている国を信用しない みな外国に送る いつ敗れてもいいように 僕もアメリカに貯金しておくんだった(大笑い)
M 香港はどうですが
T 若い人は外国に行っている とくに返還が間近になるとカナダやオーストラリアに行ってしまう 年寄りは、仕方がないといって残る これが独特な諦観ですね。天安門事件が一番のネックだったんでしょうね 改革開放を謳う中国の人民解放軍の兵隊が若者に向かって水平乱射ですよ でも台湾が控えているので、そう乱暴なことは出来ないでしょうね
S 日本に来た留学生、荷物を何十個も抱えて帰る 勉強はたいしたことはないが、秋葉原のことはよく知っている 税関はどうするんだ、ときいたら、この荷物の一部を官吏にやればいいんですよといっていた 賄賂社会だね 留学費用も稼げるというんだ
T 日本がこういう状態じゃ、そのぐらいなことしか考えられない 学ぶものと言ったって、教える日本の体たらく、以前、バングラディシュのダッカ国立大学出身の子の身元引き受けをした際、日本人の衰退する繁栄の経過を学ぶチャンスだ、と教えました 貧しくともバングラディシュのほうが人間に威厳がある 欧米に右顧左眄せず自国の教育がある 経済の成功は一過性なので、衰退する日本の日本人を観察して自国の国づくりに活かしてくださいと促したんです
極東軍事裁判
東條家とラダ・ビノード・パル
≪亡国の徴≫
S 僕はいま死に際(ぎわ)に、日本は目標がないとおもう
このままいったら滅ぶ 国在って人なしだ 残念で仕方がない
M 良い悪いは様々ですが、日本は滅びると・・・
T 僕は有り得ると思う 政府は目標を示していない 物的なこととか天変地異ではない、これは現象です 感性、情緒がもつ国力ですよ 人は人でなくて、何で国家が国家成りえようか、と清末の読書人、梁巨川が言っていたようなことですね。 民情の動きを大きな歴史のスパンで俯瞰することですよね
江戸時代は二本差しでも殺人事件は稀だった いまは毎日のように殺人、詐欺、汚職 これが繁栄とともに理想とした国家社会だったのか、そうではないはずだ また、国家目標ではない 軍事、経済の数値の多少は手段であって目標ではない 生命、財産を守るだけが政治ではなく、日本人の歴史の残像に培われた情緒、魂を嗣ぐことが目標にならなくてはならない
S 悪くなっていくのが目に見えるね なんだか寂しくてしょうがない 非常に大きな苦しみにぶつかれば反省するのかなぁ 今日の毎日新聞だけど、戦時中の淫売婦がなんだか補償しろといっていたが、新京では日本人会の会長が日本の女性を騙して集めてロシアと中共に差し出したんだ 僕たちが留置場に入っても、一遍も来なかった 平山福次郎だ!
T 田中真紀子さんが帰国運動しているが、返して欲しい気持は今の気持だが、当時の婦人の誇りを引きちぎって売り飛ばした平山も悪いが、帰れない境遇におかれた御婦人の気持も忖度(ソンタク・・思いははかる)しなければならない 多くの日本人を救い、犠牲にもとに成り立った隠れた行為を静かに見守ることと、憐憫の情をあらわすことが大事ですね。語り継ぐことは必要だが、表立つたことは控えるのも、当時の女性に対する情でしょう 帰りたくても帰れないものを、政治家は、すぐそれなら帰そう、と深い考えがない
大同学院の生徒 梁 立法院院長 筆者 丘昌河氏
S とにかくね、ロシア兵はトラックで男をかっぱらってくんだ 女の兵隊は襟首捕まえて男をかっぱらって、帰ってきたら口唇梅毒だ 陰部を舐めさせる ひどいもんだ 僕は心配しているが、日中友好で金貸しているけどみんなまやかしだ 鉄道、鉱山などに借款しているが、みな息の掛かった日本企業が仕事を取って政治家にキックバックなんだ これでは貸しても帰ってこない 悪行を握られている みな中国人 僕に知らせてくる
もう三年ぐらい前かな 中曽根さんが北京に行って帰ってきたら、すぐ竹下が行ったんだ。何で行くんだ、といったら 関係会社の使いですよ、というんだ 中国側要人はいくら幾らと、ぜんぶ金だ それ中国人から聞いてはじめて分かった (国務院の要人が佐藤宅に来訪している)
中曽根さんが始めて北京行くとき呼ばれてね 『あんた行っても相手にされませんよ』、といったら、北京は十何年も鳴らしたことのない礼砲を鳴らして迎えたんだって 公使が日本に帰ってきて講演してね、礼砲に感激したといっていた
オレ、ばかたれ 三年も四年も北京にいてなにも中国人の気持がわかってない、と怒った二十発鳴らさなければ金貸さないぞ、といえば二十発鳴らすのが中国人だ 困ったもんだょ 発表できないし 政治家も企業も汚いね 国を売っているよ 何千億だよ・・・
T 中国に役に立ってない・・
S いゃいゃ 儲けそこなったやつが僕に知らせてくるんだ( 笑い)
あいつらこんなことやっているんだ、ということだ
儲けたやつは知らん顔している いゃ、もう中国人が来て話聞くと本当に厭になってくる 国民の金を何千億かして、政治献金はオレですよ、ということだ 福田さんは綺麗なもんだった 取り巻きは色々いたが
M 色紙もありますね
S 偉い人は色紙など書かないよ 僕は偉いから書かない(大笑い)
T 賄賂の認識が違いますね しかし日本の場合は税金ですからね 中国では仲間意識と掟の確認で賄賂を人情として渡すが、日本の政治家は違う
S 発表すると日本の恥だし 僕ね 具体的なこと知っている
M いままでどんな政治家が立派だと・・・
T 戦前は財閥のバックが無ければ総理もなれなかった 番頭みたいなものだからね 権力は情報と金がついてくる 孫文は私腹は肥やさなかったが、お金は集まった 孫文の周りにだって革命といいながら儲けに走ったものはいたが、本人は綺麗だった
S 孫文は死ぬまで自分では金に手を付けなかった 遺言を作るときも、山田さんちょっと、と宋慶齢に呼ばれて、一国の総理が亡くなったんだから遺言を作らなければ、となった
弘前市
王精衛が準備したものが読み上げられ、これでどうですかといったんだ孫文が署名している遺言書は、本当は息子が署名したんだ 孫科だ 孫文は意識不明で何も出来ない 僕の叔父はずっと見ているんだ 叔父が蒋介石に招待されて台湾行ったときに要人にそのことを説明した 僕が通訳した そして署名は息子が、親父の字は癖があって難しいなぁ、と何回も練習して真似たんだ
そして奥さんに対する遺言を遺した みな慶齢にやる、と読んだんだ そのなかに、上海の家は遺す、と書いてあったが、みんなで大笑いしたんだ それは上海の自宅は借金の抵当に入っていてもらっても何もならん、貰ったほうが困る、と泣いていた人が孫さんらしいと笑ったんだ 何にも無かった 本も読むと人にやった 頭山さんにいたときも同じだった
T 大業をする人の特徴ですね
S 頭山さんのところにいたときに会計やったのは僕の叔父だ 金に手を付けなかった 周囲は色々だ 世界中の華僑から送ってくる金は上海の叔父の家だった 弾薬もだ それをすぐ近くに住んでいた蒋介石の家に叔母が乳母車で運んだ そのときの蒋介石のお妾さんはとても綺麗な人だ その後、本妻を離縁して美齢と一緒になったが、なぜ離縁したか、叔父に言い訳に来た その理由は一寸言葉に出せない(肉体的なこと) 本妻の子が蒋経国
参考<同志 戴天仇と朝日館の日本人女性との間に産まれたのが蒋緯国。叔父が革命の先輩の戴さんの子だからと、蒋介石の養子にした。来日すると佐藤氏と会っていた。印象的だったのは、天安門事件の時、胸に喪章を付けていた。>
T たしかロシアに・・・
S 留学して打倒蒋介石をやった お母さんを離縁したから憤慨したんだ
殺したのは重慶爆撃した日本だ
あまり詳しいことはしゃべらないほうがいい(笑い)
明るい話がいい
M 歴史の真実ですね 何年ぐらい前ですか、台北は
S 昭和二十七年だったか八年だ゛
M その後は
S 何回も行っている 蒋介石に呼ばれたのがソレだ そのときに色々な秘密を要人に話したからはじめて分かったのです いろんな話があるよ
荻窪酔譚抜粋を閉じる前に
いやはや・・そんな嘆息が漏れそうな作業だった
登場人物もよく語った 失念も錯誤もあろう
総量はこの抜粋の数倍もある酔譚である。
明治生まれの八十代と戦後うまれの四十代、奇客を交えての遊学であった
涅槃(ネハン)に旅立つ直前まで足掛け七、八年の集大成だった。齢二十五より二十七年間の御厚誼ではありましたが、初対面の言葉は『今度、いらっしゃい』、 そして最後は病床で、『あとは頼みます』と、背で聴いた言葉があった。
゛あった゛というが、聴こえなかったのか、夢想のうち耳を塞いでいたのかは不明だつた。
あの、満州崩壊の折、馬車百両に食料を満載して届けてくれた偉人、王荊山の長女が聴き逃さなかった言葉だった 太々(母)も齢七十を越している
王荊山の遺児と孫に挟まれて
「私は聞こえた、寶田さんに伝えるように言っていたよ」
病室にとって帰る騒々しさも無く、覚悟の哀別だった
急転を聞き一夜、四股をさすり、指を絡ませるように過ごした二人だけの刻は、黙すれば鮮明に蘇る魂の継承だった。淡くも恬淡な風が薫る明治の雄の児との暫しの別れは、再復はそう遠くはないことを告げるようだ
それは、つねに指呼の間にあるように添い、涅槃の酔譚を待つような心地である
どこまで嗣ぐことができうるかは定かではないが、それまでは、あの孫文が山田良政に感謝をそえ、全中華人民を代表して頌徳碑(讃える石碑)の結びに記した、「日中友誼に敢闘したその精神を、東方に嗣もの、あらんことを」を、師弟の銘として、かつ誓いとして人生を求めたいと願っている
多くの有志が酔譚の作成に関わってくれた。体験することの無かった歴史の残像を、臨場感を以って学んでくれた
応答の妙や明治人の気骨、異民族の文化と生活、政治外交史の真実と未来の推察など、官製学校歴にうつつを抜かす現代知識人の幼児性が洞察できるようになった。
恥ずかしげも無く紙面に躍らせている備忘録だが、いずれか利他の増進のために活用して頂きたい
また、これは資料偏狭に基づくアカデミックな記述ではないために、学究的批判に耐えうるものでないことを承知している。然し、拙い文作ながら思索や観照には十分耐えうるものであると自負している。
本稿「請孫文再来」(天下為公)の参考として酔譚の抜粋を添え、「話」ではなく、「語らい」の用にしていただければ幸いである
願くば、 我欲の具に不用なることを念じる
そして、暫しの鎮まりと閑居の刻を戴きたい
筆者自歴
冠位褒章歴ナシ、記すべき官制学校歴ナシ、数多の成文あれど商業著作ナシ 世俗無名に座し、と教えられればそれに随い、貪るな、と諭されれば貧を悦こび、枯木寒岩を装いつつも、浮俗に浸ることを一片の学として朋と遊び、時として独り逍遥しつつ清風の至るを悦しみ、齢を重ねている処士なり 頑迷の誹りあるも、学ぶ処、唯、先人万師の追隋なり
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