うちの近くに、
本当に歩いて3分ぐらいのところに、
公民館があって、
そこに談話室やら小さな図書館、自習室があります。
ずっと気になってはいたのですが、
しばらくは正教師試験のために、
TCUの図書館に通い詰めだったので、
今になって、ぼちぼちそちらを利用するようになりました。
公民館があって、
そこに談話室やら小さな図書館、自習室があります。
ずっと気になってはいたのですが、
しばらくは正教師試験のために、
TCUの図書館に通い詰めだったので、
今になって、ぼちぼちそちらを利用するようになりました。
本当に小さな図書館で、
子ども用の本が半分という感じなんだけれど、
ふと目に留まったのは、
子ども用の本が半分という感じなんだけれど、
ふと目に留まったのは、
神谷美恵子(1914年 - 1979年 )さんの講演や遺稿がまとめられた本でした。
(『神谷美恵子 いのちのよろこび』 <人生のエッセイ4>日本図書センター、2000年。選文集)
神谷美恵子さんは精神科医ですが、
その半生をハンセン病患者と共に生きました。
その半生をハンセン病患者と共に生きました。
神谷美恵子については、ずっと興味があり、
若いころは、彼女の著書をいろいろ読みました。
結婚したばかりの誕生日、
夫53氏が、私が神谷美恵子のファンと知って、
彼女の著書『生きがい』を買って来て、
若いころは、彼女の著書をいろいろ読みました。
結婚したばかりの誕生日、
夫53氏が、私が神谷美恵子のファンと知って、
彼女の著書『生きがい』を買って来て、
プレゼントしてくれたのですが、
あの時は、なんだかがっかりしたな~(笑)
あの時は、なんだかがっかりしたな~(笑)
もうちょっと気の利いたプレゼントはできないものかなと(^_^;)
今なら、嬉しいプレゼントなんだけどね。
彼女は若い頃に、
医者である叔父に連れられて、
ハンセン病患者の療養施設に行ったのですが、
そこで大きな衝撃を受け、
自分は将来医者になって
ハンセン病患者の療養施設に行ったのですが、
そこで大きな衝撃を受け、
自分は将来医者になって
彼らを援助したいとの志を与えられました。
けれども語学など、
賜物を多く持つ才女だったことや、
まわりの反対があったり、
後に結核を患ったり、
結婚、育児の生活に入ったりで、
その志が現実のものになるには、
長い、長い年月を要しました。
けれども語学など、
賜物を多く持つ才女だったことや、
まわりの反対があったり、
後に結核を患ったり、
結婚、育児の生活に入ったりで、
その志が現実のものになるには、
長い、長い年月を要しました。
でも、最後はこの志を遂げ、
精神科医としてハンセン病患者に仕える人となります。
精神科医としてハンセン病患者に仕える人となります。
今回手に取った本には、
今の私に響くことがたくさんちりばめられていて、
なんだか2時間ぐらい読みふけってしまい、
本来やろうとしていたことは何もできなかった(笑)
なんだか2時間ぐらい読みふけってしまい、
本来やろうとしていたことは何もできなかった(笑)
せっかくなのでその時のメモを
下に少し抜粋して貼り付けます。
下に少し抜粋して貼り付けます。
「結局、人間、一生の間で何かぜひしたいと思ったらそれをがむしゃらにやろうと思ってもすぐできるという条件がそろうわけではないので、時期を待つというその忍耐といいますか、根気といいますか、それもずいぶん必要じゃないかと私は思っております。」
「若い時は、いろんな偉人伝などを読んで、それぞれ感銘して誰かのようになりたいとあこがれるもので、私も確かにそういうあこがれの遍歴を持ちましたけれども、結局それぞれの人の持っている性質とか、それから生い立ちとか、もちろん能力とか、その他いろんな条件がありますね。
…人と出会いとか、いろんなことがそろってはじめて一種の必然性が生まれてくるわけで、どうしてもそうならならざるをえなくてというような必然性が生まれてこそはじめて何かにぜひ、ということが起こるんじゃないかと私は思うわけでして…」
「だいたいもともとは内気でなんにも社会に出る気はないし、そういう勇気もなかったほうで、ひっそりかくれて家庭の中にいるっていうのが自分だと初めはずっとおもってたんですけれども、なんだかこんなことになってしまいました。41歳ぐらいから少し社会活動をやりだしたっていうのは、大変遅い芽の出し方ではないでしょうか。おそくてもいいから求める気持ちというか、探究的な態度っていうのか、そういうことがやっぱり人生で一番大事じゃないかと思うのです。ちょっとおこがましいのですけれども。」
「家を持つ女にはいろいろな時期があるのだから何よりも粘りと弾力性を持ち、細く長く志を遂げていく工夫が必要と思う。」
「サン=テグジュペリは遺稿となった対策『城砦』の中で「交換」という思想をしばしば述べている。人間は何かの仕事に打ち込んで、自分のすべてをそれに献げることによって、自分の生命をそれと交換するのだという。そのしごとが大工の作業であろうと、刺繍の仕事であろうと、なんでもいい。ともかく我を忘れて努力をつみかさねるうちに、そこにその人間よりも永続的な価値のあるものが生まれ、その人間はやがて年老いて死ぬが、死ぬとき、「その両手は星で一杯なのだ」という詩的なことばが記さされている。」
「こういう人たちに接するのに、どうしたらよいか。どういうことばを彼らに述べうるか。特定の宗教の伝道者と精神科医とは立場が違う。もし患者がすでに何かの宗教や信念を持っているのならば、それを尊重するのが一番いいと思う。そうでない場合は、まず相手の心の世界を知ることに努め、それに通じることばをみつけるべきなのであろう。そのことばは、何よりも人間の生と死と宇宙を支える、超自然的な力への信頼をもたらすきっかけとなるべきものでなくてはならないと思う。この信頼がなくては、人間はほんとうは一日たりとも安心して生きていけないはずなのだ。
いずれにせよ、極限状況的なものに直面した時の人間の心情には、普遍的なものがあると思う。ただ、それを乗り越えるための手がかりとなることばは、決して出来あいのものでよいはずはなく、その時々に、相手によって、ふさわしいものを探り求めなくてはならない。」
「生きがいある生涯を送るためには、なにかしら生きがいを感じやすい心を育て、生きがいの感じられるような生き方をする必要があるのではないか、と思われてきます。もちろん、人間の心は絶えず生きがいを感じるようにはできていないので、一生のうち何べんか“ああ、生きていてよかったなァ”と感じられるような瞬間があればありがたいとすべきでしょう。絶えず生きがいを感じて喜んでいるというのは、むしろ普通ではないのではないかと考えられます。」
「さて、こういうことを承知の上で、生きがいを感じやすい心とはどんな心かと考えてみますと、それは結局、感受性のこまやかな、謙虚な心、何よりも、“感謝を知る心”だろうと思われます。欲深い、勝気な心の正反対です。感謝を知るというのは、何か特に他人が自分によくしてくれた場合だけでなく、自分の生というものを深く見つめて、どれだけの要素が重なりあって自分の存在が可能になったのかを思い、大自然に向かい、ありがとう、と思うことを言っているのです。不幸な境遇にある人にそれを求めるのは無理ではないか、と思う方もあるでしょう。けれども私は、慢性の厄介な病気にかかり、一生家族と別れて暮らさなければ人や、目の不自由な人などにも、こういう人のあることを知っています。私は宗教の形式はあまり好きではありませんが、真の宗教心、かたちにとらわれない宗教心とは、こうしたものではないかと思っています。皆さんもこういう自由な、本質的な宗教心というものについて少し考えてみてください。それは人間の心が持っている最も大切な働きだとおもうのです。」
「生きがいとは“いきているだけのねうち”ということでしたが、この“ねうち”が自分にもっともはっきりと感じられるときの一つは、自分の存在が何かのために、誰かのために必要とされていると自覚されるときでしょう。それも、ただ飾りのようなぐあいに必要とされるのではなく、他人では代用できない任務や責任負った者として必要とされる時に、一番強く意識されるでしょう。」
まだあるけど、この辺で。
豊かな時間でした。
感謝主!