農夫の応援歌
畑仕事をしながら時々歌が出てくる。歌は頭の中で流れることが多いが、たまには口からハミングとして出てきたり、覚えているものはちゃんと歌ったりしている。
畑仕事をしながら出てくる歌はいくつかあるが、その1つに「何でこの歌?」と自分でも不思議に思うのがある。確か、私が小学生の頃に流行った歌、園まりの『逢いたくて逢いたくて』。1番しか覚えていないので、1番ばかり繰り返している。ちなみに、
愛した人はあなただけ 分かっているのに 心の糸が結べない 二人は恋人
好きなのよ好きなのよ 口づけをして欲しかったのだけど
切なくて涙が出てきちゃう
私の記憶が正しければ以上が1番の歌詞。園まり、当時まだ20歳前後だと思うが、こんなに色っぽい人は他にいないと、少年の私は股間を熱くしていたと覚えている。
畑仕事をしながら出てくる歌で、「これは当然」と思う歌もある。それは『汗水節』、アシミジブシと発音する琉球民謡。これも1番しか覚えていないが、実は最近、その1番でさえ間違えて覚えていたことに気付いた。出だしの「あしみじゆながち」が、私の記憶では「汗湯水流し」で、「汗を湯水のごとく流し」という理解であった。正確には、
汗水ゆ流ち 働ちゅる人ぬ 心嬉しさや 他ぬ知ゆみ
ユイヤ サーサー 他ぬ知ゆみ スラーヨー スラ 働らかな
となる。『汗水節』は『正調琉球民謡工工四』の第一巻に収められている。出だしの「汗水ゆ流ち」は「汗水を流し」という意。「ゆ」は沖縄語で、格助詞の「を」にあたる。
私の不十分なウチナーグチ(沖縄語)知識でその意味を述べると、
汗水を流して 働いている人の 心嬉しさは (そうでない)他人の知るものではない
となる。ちなみに、「ユイヤ サーサー」と「スラーヨー スラ」は囃子言葉。歌詞は6番まであり、大雑把にいうと「働いて、お金を貯めよう、働いて60歳になっても元気でいよう、子供には学問をさせよう、社会のために尽くそう」といった内容。
『汗水節』は『沖縄大百科事典』に解説があり、作詞は仲本稔、作曲は宮良長包で、1929年に発表されたもの。宮良長包は有名な沖縄の作曲家で、私でも知っている。彼の作品に『えんどうの花』があり、これはウチナーンチュの多くが知っている。
1929年と言うと、もう戦争の足音が聞こえてきた頃だろう。そんな社会で作られた歌、世のため一所懸命働こうといった内容はそんな社会の雰囲気を映しているのかもかもしれない。しかし私は、少なくとも1番の歌詞についてはそんな雰囲気をちっとも感じないまま歌っている。難儀な作業を、少しでもその難儀を軽減させようと歌っている。実際に心嬉しさはある。作業を終えて家に帰ってからを想像すると心嬉しい。
畑仕事を終えるとクタクタに疲れているが、夕方家に帰って、畑の作物を料理している間は「美味しいだろうな」と想像し幸せを感じている。シャワーを浴びてサッパリして、テーブルに料理を並べて、ジョッキにビールを注いでいる間も幸せ。そして、自分で作った料理を食べて美味いと感じ、ビールをゴクゴク飲んで幸せの最高潮となる。
ビールのために農作業という難儀な仕事をしているとも言えるが、確かに、草刈や耕す作業などに面白さは無いのだが、種を播くと、芽が出るかどうかの楽しみがあり、芽が出ると、育つかどうかの楽しみがあり、花が咲き、実が着く楽しみがある。収穫したものをいかに料理するかの楽しみがあり、食べる楽しみがある。畑仕事は、お金にはちっともならないが、天が人間に与えた「幸せに生きるための仕事」と、私は思うのであった。
記:2017.11.18 ガジ丸 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『正調琉球民謡工工四』喜名昌永監修、滝原康盛著編集発行