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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

人生の仕上げ仕事

2007年05月11日 | 通信-社会・生活

 今週のコラムにも書いたが、このところずっと忙しかった。やりたいことが常にいっぱいある私は、常に忙しいと言えば忙しいのだが、母親が体調を崩して、一ヶ月ほど前から入院したのである。で、週末見舞いに行ったり、実家へ行ったりしている。父も脳梗塞だったか脳溢血だったか忘れたが、以前に患っており、食事や風呂、トイレなどに他人の手を借りるほどでは無いが、今も右半身が少し不自由である。母の入院している病院は実家から近いので、そのついでに実家へ寄り、父の様子を見ている。

 父は77歳、母は78歳。この歳になってパソコンを始める。見上げた心意気である。父はまあ、ほとんど外出をせず、人と会うこともあまり無く、で、暇を持て余して、パソコンでもやるかという気分みたいだが、母へは、私が勧めた。
 母は、自分の親を褒めるのも何なんだが、私にとっては口煩い人でしかなかったが、周囲の多くの人に、きっと尊敬されている。他人のためによく働くのである。私が子供の頃には、経済的に恵まれない親戚の子供を家に預かったりしていた。今でも、父の面倒を見ながら、ほとんど毎日外出し、ボランティア活動に忙しい日々を送っている。
 自分も高齢になっていることを忘れ、そうやって一所懸命動いているうちに、その無理が祟って持病が悪化したみたいである。我慢強い母が、その我慢が効かないほどに。
 母の持病は、詳しくは述べないが、実は30年も前に発病したとのこと。それを私は、3週間前に母の主治医から聞いた。初耳であった。母にそのことを聞くと、それは誰も知らないことらしい。父(母の夫)も、母が信頼している叔父(母の弟)さえも知らないらしい。母は、誰にも言わず、30年間、一人でその病気と戦ってきたらしい。

 主治医とも話し合った結果、まあ、とにかく、あまり働き過ぎないようにしようということになって、ボランティア活動なども、極力減らすということを母に約束させた。母は回遊魚みたいな人である。動いていることが生きていることみたいな人である。それを、動くなと言うからには、他に何か楽しみを、あるいは目標を持たせなければなるまい。ということで、老母にパソコンを勧めたというわけである。

  さて、オジーオバーのパソコン講座、パソコンで年寄りが何をするかと考えた。「そうだ、自伝を書かせよう」と閃いた。戦中戦後の激動の時代を生きたきた二人だ。波乱万丈の物語があるに違いない。それはたぶん、二人にとっても思い出を語り合う良い機会になろう。二人の人生の仕上げの仕事にもなろう。ということで、先ずはワードを覚えさせることにした。文字を入力することさえできれば、年賀状や手紙も書けるし、インターネットを繋げばメールもできる。オジーオバーのパソコン生活はバラ色になる。
 オジーオバーのためのパソコンマニュアル作りは、ということで、パソコンの電源を入れる、切るから始まって、ワードを立ち上げ、文字を入力する準備までの内容とした。その先がまた大変なんだが、一応そこまでのマニュアルは作りは終えている。
          

 今週のコラムにも書いたが、そんなこんなで忙しかった中私は、ホームページの刷新にも取り組んだ。何もこんな時にとも思うのだが、予定していたことであり、予定通りに実行したのである。お陰で、畑仕事がなおざりになっているというわけである。
 なお、今週のガジ丸通信の記事は本編の他に17題あり、本稿の前にさっき既にアップしたが、それらはガジ丸HPの『沖縄の雑談』で既に発表したもので、それをこのブログに移したもの。全て古い記事である。

 記:2007.5.11 ガジ丸


マネリズム、マンネリズム

2007年05月11日 | 通信-文学・美術

 高校の頃の一時期、美術クラブに所属していたこともあって、美術には興味がある。旅に出ると、ほとんど毎回、美術館巡りをしている。面白そうな企画展などがあったりすると、それを主な目的として旅程を組んだりすることもある。これまで全国の美術館をあちこち観て回った。その多くの美術館で、私は概ね満足を得ている。

 先だって、友人に誘われて沖展(確か、正式名は沖縄美術展覧会)へ出かけた。高校生の頃に初めて行って以来、これまで何度も観ている沖展ではあるが、油絵には特に興味があって、じっくり観てはいるのだが、感動を受けた経験はあまり無い。みなさん上手なのだとは思う。が、自分は何もできないくせして批判めいたことを言わせて貰えば、独自の感性を持った作品が少ないのだと思う。どこかの誰かのマネじゃないの、と感じる。
  何度行っても、いつも同じような印象を受け、マネリズムのマンネリズムだなと感じていたため、沖展へ出かけるのも5、6年に1回ほどとなっていた。前回行ったのは3年前位だと覚えている。でも、今回出かけた。訳があった。誘ってくれた友人というのが、若くて、可愛い女性だったからである。展示内容など、どうでも良かったのである。

 友人のH画伯は、正式に油絵を学んではいない。美術学校にも通っていないし、そういった趣味の教室で学んだこともまったく無い。多くの絵を観ている私から見れば、友人としての贔屓を多少加味したとしても、彼の絵は下手である。ところが、である。彼の絵は下手なのであるが、オリジナリティーがあるのである。観て、面白いのである。これは、友人としての贔屓目は抜きにしての感想である。彼の絵を観ていると、学校は技術を教える場所であって、感性を教える場所では無いのだなあ、とつくづく思うのである。
          

 記:2006.5.2 ガジ丸


アキが来た

2007年05月11日 | 通信-音楽・映画

 「夏は来ぬ」を「なつはこぬ」と読む国語が苦手なH画伯でも、童謡「春が来た」を「はるがこた」などと読んだりはしない。今でこそふてぶてしい面構えをしているが、彼も小学生の頃は無邪気な子供で、「はーるがきーたー、はーるがきーたー」と歌っていた。中学生になると生意気になり、音楽の授業でもまともに歌うことなどしない。「うーのはなーのにおうかきねに」なんて、真面目に歌ったことは、たぶんあるまい。
 季節には敏感であって欲しい画家であるにも関わらず、彼は季節にあまり頓着しない。彼にとって絵とは、そこに描くものがあって、それをただ描くだけのことらしい。
 季節に頓着しない彼はまた、ウチナーンチュらしく面倒臭がり屋でもある。面倒臭がり屋はたいてい飽きっぽい性格をしている。よって彼は、「アキが来た」という文字を見たら、おそらく、「秋がきた」よりも「飽きがきた」と連想するであろう。しかし、表題の「アキが来た」は「飽きが来た」では無く、そして、「秋が来た」でもない。

 飽きの来ない歌を長く唄い続けているシンガーソングライター、亜紀が来た。1年ぶりの来沖。今週の火曜日、那覇でライブがあったので、聴きに行った。この1年、ガジ丸HPに時間を費やし、ゆっくり音楽を聴くことも少なく、彼女のCDも半年ばかり聴いていなかったので、久しぶりの鈴木亜紀となった。
  旅するピアノ弾きと自称する鈴木亜紀はその通り、旅をし、ピアノを弾いている。それだけで無く、詩を書き、曲をつけ、歌っている。若い女の感性を素直に、真っ直ぐ表現している。真っ直ぐな表現はしかし、作る方も難しいようだが、聴く方も難しい。
 心というものを表現するには、いったいどれだけの言葉が必要で、どんな言葉をどのように組み合わせたらいいのか、私には手に余るようなことである。心を表現するにはむしろ、言葉の無い音楽の方が適しているのでは無いか、むしろ、言葉よりは絵の方が適しているのでは無いかと、思ったりもする。フツーの表現は、ここでも難しい。
 飾りの言葉をたくさんちりばめて、美味しそうに見せる歌が世間には多くあるが、そういった歌が多くの人々に受け入られていたりするのだが、彼女は、飾りの無い表現に果敢に挑戦し続けている。彼女の歌は、言葉一つ一つに一所懸命が感じられて、私にとっては聴いていて気持ちがいい歌となっている。
          

 記:2005.9.30 ガジ丸


寝相の悪いドジ野郎

2007年05月11日 | 通信-その他・雑感

 昨日(9月17日)の朝、目覚めたら右腕が痛かった。ていうか、痛くて目が覚めた。肘から手首にかけての内側に痛みがある。右腕を体の下に敷くような変な寝方をして、痺れているのかと思ったが、そうでは無い。打撲か筋肉痛のような痛みがある。肘から先をちょっと動かして力を入れると激しく痛む。スズメバチにでも刺されたかと思って、腕に傷跡が無いか確かめたが、何も無い。原因不明の右腕痛、あっ、もしかしたら、ひょっとして、脳梗塞とか脳溢血による症状か?右半身不随になる前兆か?と不安になる。
 起きてから、痛みはなお酷くなっていった。雲子の後、右手でお尻が拭けない。生まれて初めてのことだと思うが、左手でお尻を拭く。ちゃんと拭けたか不安。

 右手で歯ブラシが使えない。持つことはできるが上下左右に動かすことができない。左手での歯ブラシはとても不自由に感じたので、右手に持った歯ブラシを、右手は動かさずに顔と口を動かして歯磨きをした。これもたぶん、初体験。
 パソコンのキーボードが叩けない。右手の指を動かすと激痛が走る。右手は手首が動かないように人差し指だけを使い、後は左手の指でカバーする。慣れないことなので作業がはかどらない。イライラし、鬱陶しい気分に陥る。
 パソコン作業は諦める。いつもより早い時間、午後3時頃に散歩に出る。平年並みの気候に戻った沖縄の9月は暑い。午後3時の太陽は厳しくて、散歩は1時間半ばかりで切り上げる。それでもたっぷり汗をかいた。汗のかきついでに畑作業をして、さらに汗をかいて旨いビールを飲もうかと、ヘラを握ったとたん右手に激痛。畑は中止。

 鬱陶しい気分に戻って、パソコンもできないし、この後どーすんべと考えていたら、知人のGさんから飲みに行かないかとお誘いの電話が入る。おー神様ありがとうという思いで即座にOKし、その夜は、Gさんと飲み屋のママさんとで楽しい時間を過ごす。
 右手の痛みは酒を飲んでいるうちにだんだん弱くなっていき、手首だけに少し残るだけとなった。手首だけということは、おそらく寝ている間に手首を捻ったということなのだろう。夜、暑苦しかったので何度も寝返りを打ち、何かの拍子で手首にタオルケットが絡まったまま逆方向に寝返りをしたりして、手首が捩れたのかもしれない。こんなことって普通にあることなのだろうか。あるいは、とんでもないドジ野郎なのか、私は。
 しかし、もしもこういうことが普通にありえるなら、寝相の悪い肥満体の人は大変だ。痩せている私でさえ、捻挫のような症状になる。肥満体の人は寝ている間に骨折、なんてこともあるのではないか、と思って、早速、肥満体の友人Mに電話して、訊く。
 「そんなことは無い。生まれてこの方経験したことは無い。」との返事。そりゃまあ、考えてみればそうだ。自分で自分の腕を押しつぶして骨折したなんて、そんな笑い話、私も聞いたことがない。やはり、ただ単に、私がドジ野郎だっただけのことであろう。

 記:2005.9.18 ガジ丸


さっき消えたオジサン

2007年05月11日 | 通信-その他・雑感

 庭先で、その家の父親、母親、小学生の男の子の3人が、庭の木を見上げながら何やら話している。ちょうど通りかかったおまわりさんが、それに気付いて、
 「どうかしましたか?」と声をかけた。おまわりさんが家に近付くと、その家の犬が激しく吼えた。が、「静かに!」という主人の命令で、犬はすぐに大人しくなった。
 「いやー不思議なんですよ。このように、うちの犬は人の気配に敏感で、私が止めない限り他人にはひどく吼えるんですよ。それがウンともスンとも言わないなんて。」
 「え!どろぼうにでも入られましたか?」とおまわりさん。
 「いやいや、泥棒といえば泥棒なんですが、盗られたものは庭のバンシルーの実3、4個で、それも、どうせ家族で食べるということもほとんど無いものですから、何の被害も無かったと言ってもいいんですがね。ただ、庭に他人が入ってきて、それをこの犬が気付かなかったということが不思議でしてね。」
 「犬の習性に詳しくはないですが、おそらく、たまたま鼻の調子が悪かったんじゃないですか。」とおまわりさんは言い、「それでは、被害届を出さないんでしたら、私はこれで失礼します。」と、軽く敬礼して去っていった。
 「さあ、俺たちも中へ入ろう。飯にしよう。犬もたまには調子の悪い時もあるさ。」と父親は言って、女房と息子を促した。その時、男の子が目を輝かせた。
 「わかった!」と、何か閃いたかのように言った。
 「犯人は、さっき消えたオジサンだよ。」
 「さっき消えたオジサンって、あの人はおまわりさんじゃないか。」
 「違うよ。殺気消えたオジサンだよ。そういうオジサンが近所にいるんだ。猫や犬だけでなく、チョウョやトンボやバッタも、そのオジサンが近付いても逃げないんだ。」

 私はもちろん、人の家の庭に黙って入って、その庭のバンシルーやらシークヮーサーなどを勝手に採るようなことはけしてしない。が、最近、私の体から殺気が薄れていっているのではないかと感じている。写真を撮ろうとチョウやトンボやバッタに近付いても、彼らがさっと逃げることは無く、私が十分に写真を撮れる時間を作ってくれるのだ。
 私が使っているデジカメはあまり上等では無い。画素数も少なく、ズームも3倍しかない。しかも、ズームの使い方が下手らしく、ズームで撮った写真の多くはボケてしまう。だから、できるだけズーム無しで撮るようにしている。小さな虫の写真は、よって、虫に近付かなければならない。最初の頃はそれがなかなかできなかった。近付くと虫たちは逃げていった。それが最近、近付いても逃げないのだ。そのうち、私の周りに虫たちが集まるようになるかもしれない。「殺気消えたオジサン」と噂になるかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 

 記:2005.7.27 ガジ丸