ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

発明017 42半ジャーと万事急須

2007年05月18日 | 博士の発明

 先日のチャントセントビーチでのキャンプでガジ丸が持ってきたウルトラの米が、その後もしばらく話題となった。ガジ丸によると、あと5、6粒は残っているらしい。
 ウルトラの米を炊いて、三角に切って、握らないお握りにして、それをユクレー屋のメニューにすれば、話題になって楽しかろうとマナが考え、ある日、
 「ねぇ、ウルトラの米を炊ける大きなジャーができないか博士に訊いてきて。」と、いつものようにカウンターで飲んでいた私とケダマンに頼んだ。ウルトラの米が炊ける大きなジャーがあれば、世界中の飢餓に苦しむ人々にも朗報となる。私も興味がある。ということで、翌日の昼後、ケダマンと二人で博士の研究所を訪ねた。

 「大きなジャー、それなら既にあるよ。」と博士は我々の問いに答えた。
 「えっ、それって、ウルトラの米用に作ったんですか?」(私)
 「いや、ウルトラの米って、私もこのあいだ初めて見たばかりだ。それ用ってわけじゃない。何年か前に、店に来る客がいつでもお茶が飲めるよう、一日に使う十分の量が沸かせる大きな魔法瓶を作って、とウフオバーに頼まれて作った。」
 「あー、ジャーって炊飯器のことじゃなくて、魔法瓶のことですか。そういえば、魔法瓶のこともジャーって言いますね。」
 「そうジャー。」
 「ちゃん、ちゃん、って、話のオチがついて、おしまい。」(ケダマン)
 「いやいや、駄洒落は私のクセだ。そのジャーで米は炊けないか?」
 「大きなって、どのくらい大きいんですか?」(私)
 「42リットル半の容量がある。」
 「ほう、それだけあれば、もしかしたらウルトラ米1粒を炊けるかもしれないですね。それにしても、何ですか、42リットル半って中途半端な数字は?」
 「そのジャー、名前を42半ジャーと書き、シニハンジャーと言う。ウチナーンチュなら解ると思うが、死に損なうという意味だ。死に損なうほど難儀をした時にシニハンジャーしたなどと使う。名前が先に思いついて、容量を決めたわけだ。」
 「そのジャーを使うと死ぬほどの難儀をするのですか?」
 「うん、42半ジャーはボタンを押せばお湯が出るようになっているが、そのボタンを押すのに大きな力が要る。なにせ、中には42リットル半も入っているからな。」
 「ほう、それでは、ウフオバーには辛いでしょう?」
 「あー、『何でまた、こんな大きいの。風呂に入るんじゃないからねぇ、力要るし、これだったら鍋で湯を沸かした方がはるかにましさあ』って言われたよ。」

  「それ、面白そうだな、使ってみようぜ。」とケダマンが言うので、倉庫から42半ジャーを出して、水を42リットル半入れて、沸かした。ケダマンがボタンを押した。
 「うー、博士の言うとおりだ。こりゃあ力が要るぜ。」と言い、ケダマンは全体重をかけてさらに強く、思いっ切り押した。湯が出た。湯はたっぷり出た。ケダマンが力を緩めた後もしばらく流れ出た。すぐには止まらないみたいである。
 「博士、それ、一押しで何リットルくらい出るんですか?」(私)
 「力の入れ具合で変わるが、出たと思って、さっと手を離しても最低2、3リットル、ヘタすると5、6リットルは出てしまうな。」
 「ということは、5、6リットルは入る急須が必要ですね。」
 「おー、それは抜かりが無い。別に万事急須という名の急須を作ってある。見た目は1リットルの容量も無いように見えるが、この急須、いくらでもお湯が入る。上部に異次元と繋がる穴があって、余分な湯はそこから異次元へ吐き出されるようになっている。」
 「万事休すの事態に、万事飲み込む急須ってわけだ。」(ケダマン)
 「カッ、カッ、カッ、そうじゃ、そういうことだ。」と上機嫌に笑う博士に、根が真面目な私は、ついつい余計なことを言ってしまった。
 「博士、それって水の無駄使い、電気の無駄使いと思いますが。」
 博士の顔が、笑顔から無表情に変わって、そして、ぼそっと言った。
 「ふむ、・・・そういえばそうかもな。・・・酒でも飲むか?」
     

 魔法瓶としては役に立たない42半ジャーであるが、ウルトラの米を炊く炊飯ジャーとしての道がまだ残されている。もちろん、湯を沸かすだけの魔法瓶と、米を炊く炊飯ジャーとではその目的を達する仕組みに多少の違いはあるので、そのままでは使えない。
 「よし、炊飯ジャーとして使えるよう改良してみよう。」と、酒を飲んでちょっと元気を取り戻した博士が約束してくれた。しばらくすると、「世界を飢餓から救うのジャー」という名前まで考えて、上機嫌になっていた。切り替えの速い人である。
 ウルトラの米については続きがある。これは次回の瓦版で報告する。

 記:ゑんちゅ小僧 2007.5.18


イスキアのおむすび

2007年05月18日 | 通信-沖縄関連

 今週の火曜日は5月15日だった。多くの倭人にとっては何でも無い日であろうが、多くのウチナーンチュにとっては、ちょっと特別な日である。
 我々の世代にとっては、「通貨がドルから円に替わった」、「車の通行方向が右から左に替わった」くらいが大きな出来事であったが、もっと上の世代のウチナーンチュにとっては、「差別されてきた日々から開放された」という大きな日である。
 5月15日は沖縄の本土復帰記念日。1972年のことである。35年が経った。今週はそういう大事な日があったのであるが、話は、それとは関係の無い話。

 ガジ丸HPに何度か登場している美人妻のIさんは、模合(相互扶助的意味合いのある飲み会)仲間であり、私とたまにデートしてくれる奇特な人でもある。まことに有り難いことだと思っているが、彼女の店に私はめったに行かない。
 Iさんの店はおむすび屋さんである。とても美味しいおむすび屋さんである。なのに、私は彼女の店にめったに行かない。さっき、メールして訊いたら、開業したのは2004年12月との返事。1年経つか経たないかくらいかと思っていたので、ちょっとびっくりし、「月日は光速で過ぎて行くのね。何もしなくても歳は取っていくのね。」という返信をした。で、その2年5ヶ月の間に、私は彼女の店に4、5回しか行っていない。
 彼女に対して「まことに有り難いことだと思っている」のに、店へ行かないのには訳がある。月1回の模合を含めて年に20回も無い飲み会を除いて、私はほとんど外食をしない。弁当屋で弁当を買ったり、コンビニでおにぎりを買うこともまれにしか無い。自分が食べるものは自分で作って食べることにしているからである。「何か欲しいものある?足りないものある?」と体に問いかけ、必要としているものを摂るようにしている。

 先々月(3月)の模合で、彼女が大きな企画を立て実行するという話を聞いた。先週の土曜日にあった今月の模合で、その企画のチケットを模合メンバーに売った。チケット販売の時期にあるということは、もう大詰めということである。彼女の企画は、内容が世界的な規模の話、人間の生き方の根幹を問う大きな話である。彼女の友人たちの協力がいくらかあったかもしれないが、概ね彼女一人で企画し、準備をしてきたみたいである。
 そんな彼女の努力に敬意を表し、ほんの少しでも彼女の手助けになればと思い、今週のガジ丸通信は彼女の店の宣伝。彼女が企画した大きな催し物は、私もたびたび通っている桜坂劇場で7月22日に開催される。その宣伝は来週、別途やる。

  彼女の店は、上述したようにおむすび屋さん。ただのおむすび屋では無い。ちゃんと代金を頂く・・・という「ただ」では無くて、そんじょそこらのおむすび屋さんでは無いということ。コンビニのおにぎりとは訳が違う。
 もしも、近くを通ることがあったなら、ぜひ、店に寄って、彼女のおむすびを食べてみてください。違いの判る人なら、「うむ、これは確かにタダモノでは無い」と、きっと納得できるでしょう。あんまり食べていない私が言うのである。違いのあまり判らない私が言うのである。そんな私でも判るということなのである。確かなのである。
          
          

 記:2007.5.18 ガジ丸