ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

師匠の必要

2018年06月14日 | 通信-社会・生活

 腰痛持ちとなってからはご無沙汰しているが、私は若い頃からギターを弾いてフォークソングなど唄っていた。オジサンとなってからはサンシン(三線)も弾くようになり、何曲かはテキトーに弾けて、テキトーに唄っていた。それはまったく独学によるテキトーであり、若い頃から弾いていたギターだって独学のテキトーだ。
 テキトーはウチナーグチ(沖縄語)ではテーゲー(大概)と言う。テーゲーは「ほどほどに」という良い意味でも使われるが、例えば建築現場などで、「ィエー、テーゲーシーサンケー!」と先輩から怒鳴られたりする。ィエーは「おい」、サンケーは「するな」という意で、全体では「おい、いい加減なことするな!」といった意味になる。

 見た目も心もソーウチナーンチュ(ソーは全くといった意)の私は、沖縄の伝統的気分であるテーゲーが身に沁みついている。ちょっと話は逸れるが、うつ病に関する本の1冊に沖縄のテーゲー気分に癒されたといったようなことを東京人の作者が語っていた。
 さて、テーゲー気分の沁みついた私は、ギターもサンシンも私としては「ほどほどに、軽く」という気分でやっていた。なので独学であり、それもそう熱心には練習しない。ギターについて言えば「ちょっと弾けて女にモテルといいなぁ」といった気分。
 サンシンについても「沖縄文化を少し齧っている程度でいいや」と思っていたので、師匠に付いて基礎からしっかり学ぶということをしなかった。師匠に付かなくてもデキル天才もいるだろうが、私のような凡才は基礎がしっかりしていないと技術がなかなか身に付かない。それが証拠に、サンシンは現在、もうほとんど弾ける曲が無い。
 そういえばともう1つ、私は畑についてもほぼ独学、若い頃に自然農法を実践している人から少し教わったが、その時は「自然農法なるものがある、自然農法とは無施肥、無農薬・・・」と大雑把に覚えただけ。後は本を読んでの独学であった。
     

 腰痛持ちとなって気分が落ち込んでいた去年12月だったか、明けての1月だったか、久しぶりにギターを手にした。「こんな時こそ唄って元気出そう」と思ってのことだが、指が思うように動かない。左手も右手もテキトーにやっていて、厳しく鍛えられた経験が無いから「えーっ!動き方なんてもう忘れたよー」となっていた。
 「師匠不在、これが私の人生のたくさんある欠陥の大きな1つだなぁ」と思い、「人生に師匠はいた方が良いなぁ」と思い、「凡才の独学は行き詰るなぁ」と思った。例えばサンシンなら、これまで沖縄の、琉球と呼ばれていた頃からの長い歴史で培われた感性と技術、少なくともその基礎を師匠に付けば教えて貰える。基礎がしっかりしていれば、きっと行き詰ることはないはず。さらに精進すればプロにもなれたはずと今は思う。

 実は先日、私が私の人生で唯一師匠と呼べる人が亡くなった。30年ほど前、プー太郎だった私を拾ってくれた人、私が別の仕事に替わったりして、師に付いていたのは出会ってから2年間ほどでしかなかったが、私は彼から多くを教わった。その後、年に数回は収穫した野菜を持って師を訪ねていたが、師は2年前に体調を悪くし入院した。入院して間もない頃、見舞いに行ってしばらく話をした。出会った頃の、30年ほど前の懐かしい話で楽しかった。しかし、その後2度と会うことなく師は他界した。合掌。感謝。
     

 記:2018.6.14 島乃ガジ丸