先週水曜日(8月27日)、滅多にやらないことをやった。元々、夜出かけるのが好きでなくて、月1回の模合(相互扶助的飲み会)を除いては、飲み会も年に5、6回ほどしかない。デートなんてのも滅多に無い。夜は概ね一人静かに家で飲んでいる。さらに、平日の夜は文章書いたり、絵を描いたりで忙しい。そんな私が、平日の夜、晩飯食って、風呂入った後、8時を過ぎてから出かけた。バスに乗って、桜坂劇場。
大好きな桜坂劇場で、ぜひ見なくちゃという映画をやっていて、それが1日1回の上映で、時間が夜9時20分からで、しかも、その週の金曜日までの上映ということだったので、「平日忙しい夜出不精の体」に鞭打ったのであった。
18か19の時にそのアルバムを初めて聴いて、衝撃を受け、後年、私の音楽感性に大きな影響を与えた人、ウチナーンチュには、山之口獏の詩を歌っている歌手として知られる人、高田渡の映画が桜坂劇場で上映されていた。
『タカダワタル的ゼロ』
70分ほどの映画で、高田渡のライブ映像が主。映画には柄本明、泉谷しげるなども出ていたが、柄本も泉谷も渡の存在感には遠く及ばない。途中、ゲストの泉谷が2曲歌ったが、私には邪魔であった。まあ、渡と比べられたら泉谷も可哀想だが。
人それぞれの感性によると思うが、私は70分、涙が出そうなほどの幸福感に浸れた。10年ほど前のこと、「付き合ってくれないか?」と、一回り以上も歳の離れた可愛い娘に訊いた。「いいよ」と、その娘は答えてくれた。その時以来の幸福感であった。このあと、しばらく映画を観なくて良いと思うくらいの大満足を得た。
場内が明るくなって、立ち上がって振り返る。私の前の席にいた人も含めて観客は20人余り、明るくなる前に出て行った人がいたとしても30人近く、その数が多いのか少ないのか、高田渡の認知度がどの程度なのかを知らないので判断はできないが、観た方が良いですよ、幸せの感性に包まれますよ、と私は勧めたい。生憎、上映は終了したが。
2004年5月に東京のテアトル新宿で、前作の『タカダワタル的』も私は観ている。その感想を友人にメールしている。それを含めて話は続く。
→タカダワタル的ということ
記:2008.9.5 島乃ガジ丸