飲酒運転の罰則が強化される以前の話、今からざっと30年ほど前の話、建築現場で肉体労働を終えた我々社員に社長(当時の、年代としては私の親世代)はビールを買いに行かせ、社員にふるまった。社員はそのビールを飲み干して、多くは車を運転して帰った。それは「たまに」のことであったが、労働者達は時々、仕事を終え現場から会社に戻った後、自分たちでビールを買い、それを飲み干してから車を運転して帰った。ちょうど上手い具合に隣にマチヤグヮー(商店)があって、そこにビールの自販機があった。
私は直接見ていないが、米軍基地内を出入する知人から聞いた話では、米軍人達はビールを飲みながら運転することが普通だったらしい。ビールは水と同じようなものという感覚だ。その感覚はウチナーンチュにもすぐに伝わり、ウチナーンチュは今でも、飲酒運転検挙率全国ワースト1位とのこと。その伝統を受け継いで私もビール(発泡酒等含む)は喉の渇きを潤すもので、酒の範疇には入れていない。私の感覚では「ビール類は酒では無い」が、法律上は酒なので、真面目な私はビール類を飲んで運転などということは、少なくともここ20年はやっていない。もちろん、酒を飲んで、ということも無い。
ウチナーンチュはテーゲー(大概:良い意味でも悪い意味でもいい加減という意)性質であると言われているが、私が思うにそれは不確かな噂では無い。事実、私を含め私の周りにはテーゲーな人が多い。社会のルールに対してもテーゲーなので、「少しくらい飲んでもいいさぁ、運転してもいいさぁ、事故らなければいいさぁ」となる。
調べたこともなく、そういった統計があるかどうかも知らないのだが、落し物が交番へ届けられる確率も沖縄は全国ワースト1位ではないかと思う。金目の物を拾ったら「ラッキー!」と思い、懐に入れる人が多いのではないかと思う。失業率全国ワースト1位、離婚率ワースト1位、夫のDVワースト1位というのは聞いたことがある。
さらに言えば、ゴミのポイ捨ても沖縄は全国ワースト1位ではないだろうか。テーゲー気分で生きている人は「いいさぁ、このくらい」と罪悪感をあまり感じないであろう。私の畑の向かいの森には、おそらく「いいさぁ、このくらい、たいしたことないさぁ」といった気分の人たちの仕業と思われるゴミがたくさん捨てられている。
ヌスルーとは盗人のウチナーグチ(沖縄語)、「方言を使ってはいけません」と育てられた我々世代でもよく知られている言葉。何故、「方言を使ってはいけません」と育てられた我々世代でもよく知っているかというと、頻繁に耳にする言葉だったから。
「エナ、ヌスルーヒャー!(嫌な泥棒め!)」と、同級生たちがけんか相手を罵る時に発したり、「アレェ、ヌスルーすんどー(あの人は泥棒するよ)」と、近所のいかにも貧乏そうな母子家庭の、その母親を指して祖母が言っていたのを思い出す。
現在は、私が子供の頃に比べれば遥かに豊かな物余りの社会になった。それでも、ヌスルーはいる。最近、私の身近でもヌスルーは出現した。隣のキャベツ畑のキャベツがごっそり盗まれたり、N爺様のバナナが盗まれたり、私の脚立や鍋が盗まれたりしていた。
私の被害はまだある。今年になってもう1台の脚立が盗まれた。そして、つい最近、5月に入ってからステンレスのバケツとアルミのたらいが盗まれた。
「置かれてあるから拾っただけさぁ、盗られた方は困るって?そんなこと言われても、他人のことまで心配する余裕はないわけさぁ、私には」といった気分なのかもしれない。沖縄では儒教の教えが隅々まで行き渡っていないのかもしれない。
大地震があっても倭国では暴動など起きない。儒教の教えが沁み込んでいるからだと思われる。沖縄だとそれも不安、暴動まではいかないとしても、火事場泥棒は熊本のそれの10倍位は出てきそうだ。「落ちているのを拾っただけさぁ」なんて言って。
テーゲーはしかし、悪いことばかりでは無い。「だいたいでいいさぁ」気分は自身にだけでなく、相手に対しても発揮される。つまり、沖縄は自分にも他人にも厳しくないのである。厳しくないから県民所得は全国最低がずっと続いているが、でも、その緩さがあるから「沖縄で生活していると楽な気分になる」のだと私は思う。テーゲーがあるからこそ私も我が故郷沖縄が大好きなのである。けして、基地があるからではないのだ。
それにしても私の畑のヌスルー、彼(もしくは彼女)が「明日の食い物も覚束ない人」であればいいが、遊びの金目当てであったならテーゲーな私でも腹が立つ。
記:2016.5.23 ガジ丸 →沖縄の生活目次