ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

お犬様

2013年05月03日 | 通信-社会・生活

 友人のFが犬を飼い始めた。今年4月のこと。犬小屋は市販のものを買ったが、その犬小屋も含め、犬のテリトリーとなる囲いが必要というので、それは私が作った。囲いは幅90センチ、長さ180センチ、高さ90センチで、市販の木製ラティスを組み合わせたもの、前面に同じラティス材で扉、上面半分はこれも同じ材料で開閉式とし、木材を犬が齧らないように全面に金網を貼り、四ヶ所にコンクリートブロックを置いて囲いを挟みこみ、犬がぶつかっても動かないようにした。これでも十分過ぎると私は思った。
  「十分過ぎる」と思ったのは、私の中に「たかが犬如きに何でこんなに時間と手間と金をかけるんだ」という思いがあったからだが、後日、Fから電話があり、「犬が蚊に刺されるといけないので防虫ネットを貼ってくれ」との依頼。「ぬわんだとー、今時の犬は蚊の心配もしないといけないのか!」と私は思い、もっと柔らかい表現でFに言った。
 「犬は家畜では無く、家族の一員として扱ってくれと保健所(Fはそこから犬を購入している)の人に言われた」とのこと。蚊に刺されると病気になる心配があるらしい。
          

 私が小学校低学年の頃、我が家も犬を飼っていた。犬は雑種で、全身が白いのでシロという名。あまり吠えない賢い犬で、私は彼が好きであったが、彼が死んだ後はもう犬を飼うことはなかった。私も弟も飼いたいとは言わなかったと思う。その後、母が猫を何度か飼ったが、私は、それらの猫については特に好きという感情を持たなかった。
 子供の頃から、私は私の意志で犬猫を飼いたいなどと思うことは無く、大人になって一人住まいするようになっても、現在までずっと犬猫を飼ったことは無い。他所の家に行って、犬猫に触れることはある。犬猫に私はあまり嫌われないし、私も「触れたくない」ほど嫌いでは無いので、寄ってくれば撫でてあげるくらいはする。
 『忠犬ハチ公』、『南極物語』、『フランダースの犬』などから、そして、小学校低学年の頃のシロとの関わりよる実体験からも、人間と犬との間に「信頼し合う」という感情が発生することも私は知っている。でも私は犬を飼わない。この先やりたいことが山のようにあるので、飼い犬にかける時間と手間はそちらに費やしたいのである。

 小学校高学年の頃、新聞配達のバイトをしていた。配達先には犬を飼っている家も多くあり、その内の2軒の家の犬は私が近付くと激しく吠えた。1軒はロープで繋がれていたが、もう1軒は庭に放しており、郵便受けのある門扉までやってきて、門扉の格子の間に顔を突っ込み、私に噛みつこうという勢いで吠えた。私は震えるほど怖かった。
  その家に新聞を配りに行くことが毎日の憂鬱となり、新聞配達を辞めようかとまで思うようになる。虐められて登校拒否になる、パワーハラスメントに遭って会社を辞める、なんていう心情も、その時の私を思えばよーく理解できる。
 私の憂鬱の元の犬、その飼い主のオバサンはたいてい家にいたが、吠える犬と震える私を見ても何もしなかった。たいてい笑って見ているだけだった。が、ある日「この子はこんなに激しく吠える犬じゃないのよ、あんたがこの子に何かしたんでしょ!」と私に近付いて、吠える犬と同じような顔をして言った。近所の少年より我が家のお犬様がずっと大事みたいであった。近所の少年より我が家のお犬様と思っている愛犬家は、犬の美容室まである現在であれば、当時よりずっと増えているだろうなと予想されるが、どうだろう?
          

 記:2013.5.3 島乃ガジ丸