ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

さらば父母の家

2014年02月07日 | 通信-その他・雑感

 「三年忌が済んだら家を処分して兄弟3人で財産を分けなさい」という父の遺言をその通り執行するため、一昨年10月から不動産売却に動き始め、姉夫婦の抵抗などあまたの困難を乗り越えつつ、それから1年と4ヶ月、今週月曜日の2月3日にやっと代金授受、及び登記移転が完了した。随分と手間がかかったが、努力が報われたような気分。
 登記移転、売却代金の受取は当初、1月31日の予定であったが、その日の昼間、トートーメー(位牌)の寺への移動があったので、週明けに延ばしてもらった。トートーメーの移動も父方の従姉T夫婦、母方の従妹Tが参加してくれて、無事終了。

 寺から実家へ戻ったのは午後4時頃、室内の仕上げ掃除を終えた後、風呂に入った。実家の風呂場には大きな風呂桶がある。桶はあるが、父や母がそれに湯を溜めて浸かったというのを私は見たことも聞いたことも無い。私もまた、覚えている限り、そういう経験は無い。ウチナーンチュは概ねシャワーで済ませている。だけどそこに桶はある。桶は湯を溜めて浸かるものだ。1度くらいは経験してみるかと、初の湯船浸かりをやった。
 明日から他人の物となる家で、最初で最後の湯船浸かりであったが、寒い日に温かい湯なら良かっただろうが、あいにくその日は夏のような陽気で、気持ち良さは全然なく、最後の日という感慨に耽ることも無く、浸かっている間、退屈であった。それでも、母が望んで選んだ風呂桶に浸かったことで、母の想いに一つ応えたような気分になった。
          

 風呂から上がって、寝床の準備をして、一服して、夕方には鹿児島から来ている友人Nと実家近くの馴染みの店で一杯やり、9時前に実家へ戻った。そして、仏壇に残しておいた祖父母と両親の遺影の前に父の好きだった泡盛、母の好きだったワインを捧げ、そのワインを相伴し、実家最後の夜、一人でしみじみと想い出を味わいつつ泊った。
 翌土曜日の朝は実家と別れの朝、もうこの家に来ることは無いと思うと、さすがに石の心の私も少し感傷的になる。感傷的気分のまま最後の片付けをする。最後の一泊に必要であったベッド、座卓、その他洗面道具など雑多なものを車に載せ、私の畑なっぴばるへ運び、実家に戻って冷蔵庫を載せ、最後の掃除をし、掃除に使った道具を載せた。家の中には私のバッグと祖父母、両親の遺影の他は、持ち帰る物は何も無い状態となった。
          

 バッグの中からカメラを取り出し、それを持って屋上から2階の各部屋、廊下、1階の各部屋、玄関、玄関から階段を下りて父の表札を外した門、そして、駐車場まで周り、それらの写真を撮った。仏間では4人の遺影を残したままの写真を1枚撮り、それから、4つの写真を車に運び、そして、4人の遺影の無い仏壇の写真を撮った。
 この家に私はそう長くは住んでいないので、私自身の想い出は多く無いのだが、両親にとっては苦労して建てた家、人生の多くを過ごした家、おそらく、二人の想い出は山程あるに違いない。その家が今日から他人の物になる。「二人には寂しいことだろうなぁ」と父と母の心情を思い、母の部屋で、父の部屋で、台所で、居間で、仏間で、表札の消えた門前でそれぞれの写真を撮りながら、あやうく「鬼の目にも涙」になりかけた。
 玄関の扉を閉め鍵をかけ、「さらば」と心の中で呟いて、あとはもう前を向く。車に乗り、なっぴばるへ行き、祖父母と両親の遺影を畑小屋の壁にかけ、畑を見せた。
          

 記:2014.2.7 島乃ガジ丸