ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

年老いて知る親の心

2018年01月12日 | ガジ丸通信-その他・雑感

 2012年夏から始めた300坪の畑ナッピバル(私の命名)、時間と金をたっぷり注ぎ込んだ5年半が過ぎて、もう辞めようとしている。経済的な収穫はほとんど無く、精神的には敗北感と自己嫌悪と大反省という収穫を得た。我ながら情けない。
 「俺は1人で生きていける、俺は金も地位も名誉も無いが偉いのだ」と思い込んでいた傲慢さと、「俺の感性は面白い、俺の生き方は正しいのだ」という独善的性格が生んだ結果だ。そんな己のバカさ加減に対しては反省してもしきれない。

 してもしきれない反省をしている中、父や母のことが何度も脳裏に浮かんだ。母は2007年10月に、父は2010年5月に亡くなっている。そして、してもしきれない反省をしている中、私はやっと父の気持が想像できるようになった。
 父は50歳頃に脳梗塞で倒れ、命は取り留めたが体の右半身が不自由となった。父は頑張り屋だった。その後、懸命に頑張って、動かなかった右半身が動くようになり、普通に歩けるようになり、ほどなく職場復帰した。その後も筋力トレーニングに励んで、定年後は姪の小さな畑に通って野良仕事をし、普通に生活していた。
 歳取って畑に通うことができなくなったあとも、ウォーキング、筋力トレーニングは続けて、母とケンカをしながら、愛を感じながら楽しく過ごしていたであろう。
 しかし、母が亡くなった後、一人暮らしとなってからは・・・、
 不自由な体で1人で生きていくには何かと不便があったであろうと、バカ息子の私は今になって思う。しだいに筋力も衰える、自分で食事が作れない、髭も上手く剃れない、そんな年老いて行く自分に大きな不安を持っていたであろう。
 妻が亡くなった後、バカ息子(私)は一緒に住んでくれない、広い家にたった1人、そんな暮らしに深い淋しさを感じ、誰かが傍にいてくれることを望んだであろう。

 母が亡くなった後の1年半ほど、私は時々実家に通って父にパソコンを教え、パソコンでワードを教え、自伝を書かせていた。手指の運動、脳の運動にもなると思って。
 それはそれで、父も喜んではいてくれたと思う。しかし、私の「時々」は月に1~2回に過ぎない。父の淋しさを、その時の私はちっとも感じていなかった。
 「何で、銀行でお金をおろすために俺を呼ぶんだよー」と文句を言い、洗面台の片付けしながら「何で、こんなに剃刀がいっぱいなんだ!要らないだろ?」などと、私は父に文句を言っていた。そんな時、父は元気に言い返すこともあったが、淋しそうに笑っているだけのこともあった。銀行でお金をおろすことも父には不安があり、効き手の右手が不自由なので、左手でも上手く剃れる剃刀をあれこれ買って試していたのだろう。
 そういうことも思いやれずに当時の私は、父を半分バカにしたような扱いをしていたわけだ。ごく最近までの私も、父の悲しみや淋しさにほとんど無関心であった。

 父の(母も)ことをあれこれ想うようになったのは、自分が腰痛となり、将来に不安を感じ、「生きるのに不自由を感じながらの一人暮らし」を想像したからだ。「我が身をつねられて人の痛さを知る」みたいなものだ。他人の悲しみや淋しさを理解するということを私はこれまで怠っていたような気がする。これが今回の大反省の1つ。
     

 記:2018.1.12 島乃ガジ丸


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2018.1.12 記録更新

2018年01月12日 | ガジ丸週一日記17-18

 借りている畑ナッピバル(私の勝手な命名)には、小屋を建てるのは地主さんの承諾を得ているが、その他、物置やら構造物のあれこれは私が自由気ままに設置してきた。土地を返却する前にそれらを撤去しなければならない。それはまだ、ほとんど手付かずで終了の目処は立っていない。畑にある荷物のダンシャリにも時間がかかっている。ダンシャリでさえ未だ終わっていない。
 バカな5年間を過ごしてきたことを反省し、自己嫌悪に陥りながらダンシャリ作業を続けていて、「さらに痩せたんじゃないの?」と知人に言われ、「そう言えばズボンが緩くなっているなぁ」と思い、2018年が明けての先週金曜日(1月5日)、久々、二か月ぶりくらいに体重計に乗った。体重は、大人になってからの最低記録更新の53.0キロ。これは高校2年生の頃の体重。
 体脂肪率は10%。夏場だと8~9%になったりするが、冬場は概ね14%前後であった。しかも、体重が減ればそれに逆比例して体脂肪率は高くなるのだが、10%。これには呑気者の私も少し驚く。自分のバカを反省している間、食欲が落ちていたのかもしれない。
 
 正月の晩酌
 今年正月の食物は、焼きタコをメインに、畑から採れたキュウリ生とお惣菜の煮豆。その後も5日まで食事量は少なかったが、7日辺りから意識して多めに食っている。


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フローレンスフェンネル

2018年01月12日 | 沖縄の飲食:食べ物(材料)

 薫り高き食物

 フローレンスフェンネルはフェンネルの亜種で、フェンネルは和語でウイキョウ、沖縄語でイーチョーバーと呼ばれるもの。食物としてのウイキョウ(フェンネル)は2012年2月に紹介済みだが、その記事は、友人のIさん(女性)は和食の料理人で、そのパートナー(男性)Tさんは洋食の料理人であると紹介し、Tさんから「フェンネル欲しいなぁ」と話があって、2013年1月にウイキョウを持って行ったら、「これじゃない」となって、Tさんの言うフェンネルはフローレンスフェンネルということが判明した。
 という結果となって、その年、フローレンスフェンネルの種を播いて、2014年1月にTさんへ持って行ったら、「これです」と喜んでくれた。3月にIさんTさんの店へ行った時、Tさんの料理したフローレンスフェンネルを食べさせて貰った。美味かった。私も自身で少し料理して食べたが、プロには勝てないが、それなりに美味かった。

 Tさんが喜んでくれたということで、2014年にもフローレンスフェンネルの種を播いて、翌年1月以降に多くを収穫し、IさんTさんの店へ売って、なお残ったものはTさんから料理法を教えて貰って自分でも料理した。
 Tさんの料理するフローレンスフェンネルは、タマネギ大となった株元の部分。私もその部分を蒸したり、酢漬けにしたり、ワイン蒸しにしたりで食べた。ネットで調べると根っこも食えるとあったので、根っこも蒸して食べた。株元の部分は薫り高く、塩味だけで十分美味しかった。根っこの部分は芋のような感じ、まあまあ美味かった。
 しかし、2015年に種を播くことは無く、収穫も無く、その後は食べていない。Tさんの店へ持って行けば買ってくれるが、友人達は買ってくれないので、栽培するには経済的に成り立たないということになった。独特な味は、一般受けしないようであった。
     
     
     

 フローレンスフェンネル(Florence・fennel):葉菜
 セリ科の多年草 南ヨーロッパ原産 方言名:なし
 タマネギ大となる根元はセロリの葉の根元が数多く重なって、太く大きくなったような感じ。肉厚で、水分豊富で、美味。果実は香味料や薬用になる。

 記:2018.1.6 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


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