先週月曜日(2月20日)、「夜は雨」との天気予報。「よっしゃ、頑張って2畝耕してホウレンソウとニンジンの種を播こう」と気合を入れて7時過ぎには畑へ着く。
気合入れた通り畝の除草をしながら耕す、予定の2畝は前日までに8割方は終えていたので午前中で2畝を耕し終え、午後1番には種播きも終えている予定であった、が、9時前、近所の先輩農家(農業は趣味、本職は実業家)NHさんが来て、「毎日この道を通ってあんたの仕事ぶりを見ているけどさ、そんなんじゃダメだよ、私の畑においで、私の畑の野菜を見て少し勉強したらいいよ」とニコニコ笑いながら言う。
ニコニコ顔に「今日は忙しい」と断ることもできず、NHさんに付いて行った。半年ほど前に一度行っているので、彼の畑の場所は知っている。息子も手伝っていて、奥さんも収獲の時は手伝いに来て、収穫すると客を招いてパーティーもするという広い畑。
NHさんの畑に1時間余りいて、彼にあれこれ教えて貰った。「作物ができないと楽しくないだろ?あんたのやり方では作物ができるとは思えない。できた作物も小さいし、売れるようなものにはならない。堆肥を使い、薬剤も化学肥料も使って、作物によってはビニールハウスも使ってちゃんとしたものを作らないとダメだよ」と仰る。
NHさんは善意でアドバイスしている。それはその顔と表情を見れば私でも十分理解できる。なので、「お言葉ですが・・・」と真っ向から反抗はできない。「農業を最初に教わった人が自然農法の人で、そのやり方を5年間はやってみようと思っています」と、NHさんの「化学肥料も使って」などというアドバイスをやんわりと断った。
「作物ができないと楽しくないだろ?」に対し、「自分が食べる分はできているし、農作業そのものを楽しんでいます」と私は応えたのだが、「いやいや、物ができないと楽しくないよ」と彼は言う。NHさんは実業家である。おそらく、成果を上げることが価値あることという価値観なのだと思われる。彼から見れば、毎日コツコツと頑張っているのに成果の上がらない私は「できない男」であり、「可哀想な新米農夫」なのであろう。
今季不作だった私の畑の野菜たちと比べれば、ダイコンは、私のは全滅、NHさんの畑では多くがスクスクと育っていた。ほとんど育っていない私のキャベツ、カリフラワー、ブロッコリーなどもNHさんのは大きく育ち、トマトもたくさんの実をつけている。ホウレンソウも2株だけ育った私のホウレンソウに比べたら5倍位の大きさが一杯。
重ねて言うが、NHさんは善意である。その証拠に、私にたくさんのお土産をくれた。両手で掴めないほどのホウレンソウ、片手で掴めないほどのシュンギクとハンダマ(スイゼンジナ)、片手でやっと掴めるほどの葉ニンニクと青ネギ、トマト3個、レタス2個、キャベツ1個、カリフラワー1個、ダイコン1本など、私1人なら2週間分はありそうなたくさんの野菜。どれも大きく元気そうに育ったもの。成果主義の賜物だ。
「耕運機を使えば?」というNHさんのアドバイスも無視して、その後も手作業でコツコツと畑を耕し、先週水曜日(22日)には予定していた種播きのほとんどを終えた。しかしそれらも、無肥料なので生育は悪いだろう。成果主義から見れば私は「可哀想な新米農夫、できない男」となるであろう。でもいいのだ、自然に寄り添うが私の道。
記:2017.3.3 島乃ガジ丸
盆正月の楽しみ
果物缶詰の字面では「何のこと?」となるかもしれないが、一般的にはフルーツ缶とか言っているようである。ミカンとかモモとかをシロップ漬けにした缶詰。沖縄ではパイナップルの缶詰が有名。パイナップルの缶詰工場もあったと記憶している。
果物缶詰は私が子供の頃からあって、たまに口にもしていたので馴染み深い。値段が高かったからか、普段は生の果物でいいんじゃないのという理由からかしらないが、「たまに口にしていた」の「たまに」は年に2回ほどの「たまに」であった。
年に2回とは盆と正月。盆(沖縄では旧盆)と正月に、何組かの親戚が我が家の仏壇にお供え物を持ってくる。そのお供え物の中にたいてい果物缶詰が含まれていた。ケーキ類の甘いものは苦手だった少年(私のこと)であったが、果物は好きであった。盆正月の仏壇に供えられている生の果物、バナナ、パイナップル、ナシ、オレンジ、リンゴなども好んで食べたが、果物缶詰はそれらよりも好んで食べた。何しろ、果物缶詰の果物は皮を剥くという手間が要らない。缶切で缶を開けるだけで食える。子供の頃から私は面倒臭がり屋だった。その性格はずっと続き、後期オジサンとなった今も続いている。
話が逸れた。私が面倒臭がり屋なんて関係無いことであった。
実家が無くなって当然仏壇も無くなり、トートーメー(位牌)をお寺に預けてからは親戚からの供え物も無くなった。それより前から、記憶は定かでないが、私がオジサンと呼ばれるような歳になった頃から供え物に果物缶詰は無かったと思う。あるいは、実家とは離れて暮らしている前期オジサンの私が、たくさんある供え物の中から果物缶詰をわざわざ探しだして、それを持ち帰るなんてことをしなかったということかもしれない。
オジサンとなった私は、果物缶詰を食べたいと思ったらすぐに買えるほどの経済的余裕はいつでもあった。いつでも食えるという余裕があるとなかなか食わないもので、オジサンとなってから果物缶詰を食べたのは数回、数えるほどしかないのではないか。
果物缶詰を食べたのはむしろ、後期オジサンとなって、リストラされて貧乏になってからの方が回数は多いかもしれない。私が子供の頃に比べ、果物缶詰の値段がずっと安くなって、モモ、パイナップルなど100円で手に入ることもある。100円なら生のそれより安いし、面倒臭がり屋にとっては手間の要らない果物なので便利なのである。
とは言っても、オジサンは果物缶詰がさほど好物というわけではないので、果物缶詰を口にするのは2~3年に1回くらいだと思う。このブログで果物缶詰を紹介しようと思い立って、その写真を撮るために購入したが、それは2014年8月のこと。
畑をやっている今は生の果物を食べる機会が増えた。私の畑ではバナナ、グヮバなどの果物が季節になると実を着けてくれる。何しろそれらは只である。缶詰は安くなったといっても100円はする。貧乏になった私は質素倹約に努めなければならないのだ。
果物缶詰を食わなくても私には生の果物がある。3年前に挿し木したパッションフルーツも今や十分に成長していて、今年からは多くの実を着けてくれるに違いない。あと何年かかるか分からないが、モモやビワの木も3年前に植えている。それらも楽しみ。
記:2017.2.23 ガジ丸 →沖縄の飲食目次