ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ホームコンサート

2014年02月27日 | 通信-音楽・映画

 今週火曜日(2月25日)、久々に音楽ライブを聴きに行った。その前は2011年2月の友部正人だからほぼ3年ぶりとなる。さらに記憶を辿っていくと、2008年5月にタテタカコ、2007年8月にEPO、2007年2月にいとうたかお、2004年3月に高田渡、同じく2004年には鈴木亜紀を知り、その後数回そのライブをあちこちで聴いている。その他、2004年から2011年の友部までの間に、遠藤賢治、ジママ、ショーロクラブ、比屋定篤子などを聴いている。年に1~2回程度だ。音楽は好きな方なのでもっとたくさん聴きに行ってもいいのだが、私の経済事情がそうさせている。
 上記の内、遠藤賢治、ジママ、ショーロクラブ、比屋定篤子、鈴木亜紀、EPOは友人のI女史の誘いで一緒した。この内、ショーロクラブは「上手い!」と思い、鈴木亜紀、EPOは大ファンとなり、鈴木亜紀には恋までしてしまった。いとうたかお、高田渡は私からI女史を誘っており、タテタカコはI女史のお勧めで私一人で行っている。

  I女史が私に教えてくれた音楽家たち、テレビにはあまり出ないので一般的にはさほど有名では無いが、優れた感性を持っていると私は感じ、その多くが私好みとなっている。私好みの音楽をいろいろ紹介してくれているI女史は飲食店の女将さんである。その飲食店の名前は「めぇみち」、店の名前をばらしてしまったら、I女史をIとイニシャルで書いている意味が無くなるが、まあ、取りあえずガジ丸ではイニシャル。
 先々週、I女史からチラシを頂いた。「めぇみち」でライブをやりますというお知らせのチラシ。ライブの演者は純名里紗ボーカル、笹子重治ギター。笹子重治はショーロクラブの人で知っているが、純名里紗は知らない人。料金3500円は私にとって大きな金額なので、「これどう?」とI女史に言われても即答はできなかった。
          

 家に帰ってチラシをよく見ると、「めぇみちライブ」の他に別のチラシがあって、それは桜坂劇場のものであった。同じ純名里紗ボーカル、笹子重治ギターのライブは「めぇみちライブ」の前、21日に桜坂劇場でも行われるとあり、料金は同じく3500円。
  チラシには純名里紗の写真が大きく載っているが、顔に見覚えは無い。「元宝塚歌劇団トップスターで、NHKの朝ドラ『ぴあの』の主役だったと書かれてある。『ぴあの』は私もちょっと観ていた、随分前のドラマだ。が、主役の女優の顔は思い出せない。チラシの写真を見ても一致しない。お父さん役の宇津井健が脳裏に浮かんだだけ。
 それよりも、私の心を動かしたのは「めぇみち」のチラシにある「20名様限定」という文字だ。「めぇみち」は小さな店だ。ぎっしり詰めて20名がやっとだろう。そんな中でライブ、演者がきっと目の前にいて、我が家で一流の音楽家が演奏してくれるような感じになるであろう。そう思ってすぐ「ライブ行く」とI女史にメールした。

 25日、店内の一角にマイクスタンド2台、アンプミキサー1台、スタンド式スピーカー2台、マイクの前に椅子が2脚あって、そこがステージ。客20名の他にI女史、及び店の手伝い3人が加わって店内はぎっしり。私はステージに近い席で、目の前1m程に純名里紗が立った。純名は「マイク要らないかもね」と言って、3曲目からは生唄となり、4曲目からはギターもマイクを外した。想像した通りのホームコンサートとなった。
          

 記:2014.2.27 島乃ガジ丸


にわか家庭教師

2014年02月27日 | 通信-社会・生活

 家土地売却のあれこれ、契約手続きとか、引渡し前に済ませねばならない家の中の片付け掃除、外の片付け掃除、売却金額の管理などがあって、私の本業(と目指している)である畑仕事がおろそかになっていた。「あれこれ」が全て終わって、「さー、畑仕事を頑張るぞ」と思ったら、雨が長く続いてすぐには入れず、その後も雨の日が多くて、収穫時期にあったホウレンソウは、その半数以上を収穫できぬままダメにしてしまった。
  家土地売却のあれこれを除いて、去年からの懸案事項が別に2つあった。友人のFが、貧乏な私を気遣って庭仕事を頼んでいた。2月21日の時点ではそれをまだ終えていなかった。もう一つは家庭教師、大学受験を控えた高校三年生の従妹の娘Sに、去年の年末から「勉強教えてちょうだい?」と頼まれていた。センター試験が既に終わり、2次試験が目の前となった21日の時点で、それもまだ、一度もやっていなかった。
          

 「教えてちょうだい?」と可愛い顔の可愛い声で甘えられたらオジサンは「嫌」とは言えない。嫌とは言えないが大学受験の勉強を教えることができるほどの自信は無い。
 小学校から中学、高校、大学までずっと勉強嫌いだった私だが、数学だけはちょっと面白いと思った。YがあってXがあって、その間にある決まりごとがあればたった一つの明解な答えが出る。すっきり、さっぱり、晴れ渡った空のような明解さ。一つのことが解れば100のことが解るという効率性の良さも怠け者の私に合っていた。
 それに対し、英語やら社会やら単純に覚えなければならないものは大の苦手。同じ理由で国語の漢字書き取りも苦手で、中二の時、100問100点満点のテストで3点しか取れなかったのを覚えている。クラスで最低だったと思う。後日、担任に呼ばれそれを聞かされた母親が、(たぶん怒りを通り越して)悲しい顔をしていたのも覚えている。
 漢字書き取りは苦手だったが、読むのは得意だった。小学校高学年の頃から本をよく読んでいたお陰だと思う。そのせいだと思うが、高校に入っての古文、漢文も、成績が良かったというほどではないが、苦手というほどにはならなかった。

  センター試験では国語も数学もあり、可愛いS嬢は「古文漢文が苦手、何書いてあるのかもさっぱり解らない」というので、ならば、古文漢文を特訓してやろうと思っていた。私も高校の頃は成績が良かったわけでは無い古文漢文だが、大学が日本文学科だったお陰で、多少の知識は身に着いている。試にと、古文の試験問題集を本屋で買って、問題を解いてみると、8割方は正解した。書いてある文章もほぼ理解できた。
 「よっしゃ、これなら家庭教師も務まるぜ」と思ったのだが、前述の通り、家土地売却のあれこれが忙しくなって、結局は一度も教えること無く、センター試験は終わる。
 センター試験が終わって数日後、Sから電話があり、「学校の行事で那覇市民体育館へ行かないといけない、連れてってちょうだい?」と可愛い顔の可愛い声で甘えられ、オジサンは連れて行った。その車の中で、「25日に2次試験がある。勉強教えて?」と頼まれた。2次試験に古文は無い。Sが頼んだのは英語、英語は私の苦手科目だ。
 試験目前の23日、Sの家に行き、にわか家庭教師となり、英語を教えた。苦手な英語の何を?最も多く時間を割いたのは「一緒に考えてあげる」だった。にわか家庭教師はそれで精一杯。そうそう、「どう転んでも私は幸せ」という楽観的思考も教えた。
          

 記:2014.2.28 島乃ガジ丸