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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ふりかかる火の粉ども

2011年08月19日 | 通信-社会・生活

 私は平和を愛するので争い事を好まない。時々、横着乱暴運転の車にドキッとさせられて「このバカが!」、「アホ!」、「糞ったれ!」などと小さく怒鳴ったりするが、その他の場合も含め、面と向かって大声で怒鳴ったりすることはほとんど無い。
 目の前に「立ちはだかる壁」があったなら、無理してよじ登ったりはしない。迂回路があればそこを通り、迂回路が無ければ別の目的地を設定し、別の道を行く。どうしても向こう側へ行かなければならない、ということは無い。大地は大きく広がっている。行く道は無数にある。自由意思を持ち続けていれば、どの道を歩いてもきっと楽しい。
 「私は平和を愛するので争い事を好まない」と書いたが、「私は面倒臭がり屋なので争い事を好まない」と言った方が本当は正しいのかもしれない。だから「立ちはだかる壁」も避けるのだ。でも、いいのだそれで。赤塚不二雄先生もよく言っていた。「これでいいのだ」と。「生きていることが楽しい」のであれば、それでいいのだ。

 そんな私でも、歩いている時「ふりかかる火の粉」があったなら振り払う。火傷すると痛い、痛いと楽しくない、楽しくないと「これでいいのだ」とはならない。なので、振り払うことのできる火の粉は振り払う、つもりでいる。しかし、もしそれが、振り払うのが困難なほどの大量の火の粉であった場合は道を変える。道を変えることに抵抗は無い。繰り返すが、自由意思を持ち続けていれば、どの道を歩いてもきっと楽しい。
  しかしながら、そんな私でも、自由意思を侵害するような極悪非道の火の粉であれば、断固として戦う。「奴隷になるくらいなら死んだ方が増し」と思って戦う。
 現在、私にふりかかっている火の粉が3種ある。クロマダラソテツシジミとシロアリとアリモドキゾウムシといういずれも昆虫。この3種に対する対処方はそれぞれ異なる。クロマダラソテツシジミは振り払い、シロアリは難敵なので戦わず道を変え、アリモドキゾウムシは同じく難敵だが、これは生活に関わるので戦いを挑むつもりでいる。
          

  父の形見のソテツが枯れかかっていた。原因はクロマダラソテツシジミ。それを振り払うために農薬を使った。数回散布した。しかしもう手遅れだったかもしれない。それから一ヶ月が経った今でも回復の兆しは無い。小さな鉢に入って枯れかけていたのを地植えにして、一旦は生き返らせたソテツ、二度目の奇跡を期待している。
 部屋にシロアリが発生して、1万円以上分のシロアリ殺虫剤を床下にたっぷり撒き、床下のシロアリは見えなくなった。と安心していたら、先日、恐ろしいことが起きた。台所の流しの上の戸棚を開けようとしたら開かな い。何とかこじ開けると、中はシロアリだらけだった。大きな巣ができていた。シロアリは床下から壁を伝い、天井の木材を食いながら棚に下りてきたということであろう。天井に本隊がいるに違いない。そのうち天井の木材がボロボロになって、ドサッと落ちてきて、寝ている私を押し潰すかもしれない。シロアリに押しつぶされて死んだとなれば、あの世で「何て情けない死に方をしたんだ、恥ずかしい。」と両親に怒られてしまう。で、シロアリからは逃げることにした。
 アリモドキゾウムシは、私の命の糧である甘藷を食害している。収穫した甘藷の6割以上は食えない甘藷となっている。これは何が何でも何とかしなければならない。平和主義者の私も断固戦う決心である。まだしかし、具体策は見えていない。
          
          
          

 記:2011.8.19 島乃ガジ丸


お勧め民謡 ヒヤミカチ節

2011年08月19日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 何年か前に、どこぞのテレビ局、またはラジオ局が主催したのだと思うが、「私の好きな民謡」とかいう企画があって、その第一位になったのが『ヒヤミカチ節』。
 私の好きな民謡はいくつもあるが、『ヒヤミカチ節』は私の中でも文句無しに上位に来る。なので、ウチナーンチュの好きな民謡第一位が『ヒヤミカチ節』であることには大納得した。ちなみに、その時2位が何だったか、3位が何だったかは記憶に無い。

 子供の頃、朝、学校へ行かなくてはならないのになかなか起きないでいると、祖母がやってきて、「ヒヤッ、ヒヤッ、ヒヤッヒヤッヒヤッ、ヒヤミカチウキリー、ヒヤミカチウキリー」と歌いながら私の掛け布団を剥ぎ、敷布団を持ち上げ私を転がし、それでも起きないでいると、後ろから私の両脇に手を入れ、力ずくで私を起き上がらせた。そういうことが何度もあり、で、自然に私はその歌を、その個所だけは覚えた。
 祖母が「ヒヤッ、ヒヤッ、ヒヤッヒヤッヒヤッ、ヒヤミカチウキリー、ヒヤミカチウキリー」と歌っている歌が、『ヒヤミカチ節』という題であることもすぐに知った。あるいは、祖母が歌う前から知っていたかもしれない。それほど当時有名な歌、確か、あるラジオ番組のテーマ曲でもあり、ほとんど毎日耳にしていたような覚えがある。

 ヒヤは「えい!」という風に勢いを付ける時に出す気合のようなもの。ヒヤミカチュンという動詞もある。「ヒヤ(えい、それ)と言う」(沖縄語辞典)のこと。私は言語学者でも、沖縄語学者でも、何の学者でも無いのだが、素人考えで解説すると、ヒヤミカチはヒヤミカチュンから転じた副詞、「えい!と気合を入れて」という意味になる。
 『正調琉球民謡工工四(くんくんしい、三線の楽譜)』第二巻から、その歌詞。

 名に立チュル ウチナー(沖縄) 宝島デムヌ(宝島だもの)
 ククル(心)打ち合わち ウ立チミソリ(御立ちになってください)

 (ヒヤ、ヒヤ、ヒヤヒヤヒヤ、ヒヤミカチウキリー、ヒヤミカチウキリー)

 以上が1番、歌詞は6番まである。2~5は省略して6番、

 ナナクルビ(七転び)クルビ(転び) ヒヤミカチ ウキリ(起きなさい)
 我シタ(我らの)クヌ(この)ウチナー シケ(世間)にシラサ(知らせよう)

 (ヒヤ、ヒヤ、ヒヤヒヤヒヤ、ヒヤミカチウキリー、ヒヤミカチウキリー)

 私が愛聴しているラジオ番組『民謡でちゅううがなびら』の、確か6月23日慰霊の日にこの曲が流れた。曲が流れる前に「沖縄戦で焦土と化した故郷の、人々の心を元気付けるために作られた唄」と紹介された。「そうだったのか!」と私は初めて知り、そして、感動した。寝坊した子供を起こすための唄ではなかったのだ。で、調べる。
 『琉球列島島うた紀行』に「(作詞者の)平良新助氏(1876~1970)は、1953年、ロスアンゼルスから帰郷。ふる里の惨状を目のあたりにし、人々に希望と誇りをもたそうとこの歌をつくったという。」とあった。
  殴られ、叩かれ、蹴飛ばされ、踏みつけられ、叩き潰されてもなお、起ち上がろう、ということだ。1953年といえば、戦争が終わってまだ8年しか経っていない。米軍の占領下でもあり、ウチナーンチュの多くは貧乏で、差別され、虐げられる日々を暮らし、明日への希望も薄かったのかもしれない。そんな時に『ヒヤミカチ節』。
 今聴いても元気が出る唄だ。当時の人達はどんなにか慰められたであろうかと想像すると、胸が熱くなる。ウチナーグチを知らないと意味が解らないというのが残念だが、『ヒヤミカチ節』、東日本大震災の被災地にも届けたい。
     

 記:2011.7.4 ガジ丸 →沖縄の生活目次

参考文献
『正調琉球民謡工工四』喜名昌永監修、滝原康盛著編集発行
『琉球列島島うた紀行』仲宗根幸市著、琉球新報カルチャーセンター編集発行