このあいだ、ワイドショーかなんかで耳にしたニュースに「Hする相手と、その他の付き合いをする相手を別々にしている若い女が増えている」というのがあった。「あー、何てこと!」と私は感嘆する。「私が若い頃にそういった若い女がいっぱいいれば、私はもっと、もっとずっと幸せだったに違いない。」と思うのである。
「抱きたい女」と、「一緒にいたい女」が別々だと感じている男は、きっと世間にはたくさんいるはずである。私はそれがために苦悩してきた。それがために結果として、結婚できずにいると言っても過言(その他の理由が大きいかもしれないが)では無い。
「抱きたい女」スカーレットは、「一緒にいたい男」アシュレーに惚れていたが、アシュレーは「一緒にいたい女」メラニーと結婚する。で、スカーレットは「抱かれたい男」レッド・バトラーと結婚する。アシュレーとメラニーは幸せに暮らしたが、スカーレットとレッドは後に離婚する。・・・なんて話だっけ、『風と共に去りぬ』は。
前提として、私が「抱かれたい男」では無く、「一緒にいたい男」とする。どちらかというと、その逆の方が嬉しいのだが、「どちらにも当てはまらない」と判定されると、とても悲しくなるので、少し見栄を張って、そういう前提としておく。
という私が結婚した相手は、私としては「一緒にいたい女」であり、なおかつ「抱きたい女」でもあったのだが、彼女から見る私は「抱かれたい男」では無く、「一緒にいたい男」であった。彼女はまた、世間の男から見れば「抱きたい女」であった。
なので、彼女はモテル。彼女は、私には抱かれたいと思わないので、抱かれたい男と毎週会っている。で、私は言う。「毎週妻が浮気します」
そんな結婚生活が続いたある日、毎週浮気している妻が言う。
「ねぇ、あなた。私、妊娠したみたい。」
「えっ、できたのか、ホントか?病院行ったか?」
「うん、今日行ってきた。三ヶ月だって。」
「そりゃあ嬉しいな。大事にしろよ。ところで、誰の子供だろう?」
「三ヶ月前ならきっとAさんかBさんね。ちょうど代わった頃よ。」
「うーん、Aさんなら体格いいし、スポーツマンタイプだな。Bさんならどうかな、文学者とか芸術家タイプかな。どちらにしろ楽しみだな。」
私にすれば、妻が「抱きたい女」でもあるので、その妻と全く何も無いというのは淋しい。なので、結婚した相手とは二十代は月に一回、三十代は二ヶ月に一回、四十代は半年に一回はHする義務があると法律で決めていただく。
「今日は女房と月1回の日だ。会社を早引きして、早く帰って、何か美味しいもの作ってあげよう。ワインも買わなくちゃ、バラの花束も買っておかなきゃあ。」などと、その日は夫婦にとって、とても大切な、楽しい日となる。幸せである。
「ねぇ、だけど、あなたの子供の可能性もあるわよ。」
「うん、そうだったらさらに嬉しいなあ。俺に似て、見た目はともかく、心優しい子供が生まれるだろうなあ。」
なんていう会話をしつつ、我々は幸せな結婚生活を送るのであった。
テレビドラマを全く観ない私だが、タイトルくらいは知っている。今、フジテレビでやっているドラマのパート2があるとしたら、そのタイトルは『毎週妻が浮気します』になるかもしれない。パート3があるとしたら、『今月妻と浮気します』になる。
記:2007.3.9 ガジ丸