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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

大東島の旅その3、大東島の自然

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

1、大東島基本情報

 大東島の面積、人口などの基本情報を紹介する。なお、以下の情報は北大東村、南大東村のそれぞれのホームページから。

 位置
 大東諸島は北大東島、南大東島の他、無人島の沖大東島からなり、沖縄島のほぼ真東、300キロ強離れた太平洋上に浮かぶ隆起珊瑚の島々。

 大きさ
 北大東島 周囲:13.5km 面積:11.94平方km
 南大東島 周囲:20.8km 面積:30.57平方km

 人口など
 北大東島は北大東村、南大東島は南大東村という行政区域となる。沖大東島は北大東村に含まれる。両村のHPに平成12年のデータがある。

 北大東村 人口537人 世帯数203世帯 小学生50人、中学生29人
 南大東村 人口1445人 世帯数602世帯 小学生77人、中学生77人

 その他、詳しいことは両村のHPをご覧下さい。

 

2、大東島の植物

2-1、北大東島

2-1-1、野原や道端の野生種
 原野では、おそらくナンクルミー(自然繁殖)であろうギンネムが所々にギンネム林を形成していた。その他、写真には撮らなかったが、樹木ではハマイヌビワ、アコウ、ビロウなどが多く、雑草では沖縄と同じくセンダングサ、ススキなどが目立った。
 ゲットウは、栽培もされているらしいが、野原や道端でも野生種が多く見られた。藪の中でクロツグ、畑の傍でフウセンカズラ、オオキンケイギク、海岸近くでハマゴウ、グンバイヒルガオなどを見つけた。それらはいずれも、沖縄島でも普通種。
 私がこれまで見たことの無いものもでは、ショウジョウソウの白色種を発見。その他ホシアサガオ、クサトケイソウ、シロミルスベリヒユなどが多くあり、どれも初対面。
 
 沖縄でもよく見かけるもの
 
 
 
 
 
 
 

 沖縄では出会っていないもの
 
 
 
 

2-1-2、街路や公園、民家の植栽種
  街路や公園だけでなく、また、民家の敷地内だけでなく、擁壁と歩道とのちょっとした隙間、歩道と畑とのちょっとした空間にも多くの植物が植えられている。大東島の人々は植物好き、または、植物を育てる経済的、精神的余裕があるのだと思った。
 植栽植物で最も目に付いたものはガザニア、島の花にしようとしているのかと思うくらい多くあった。路傍にはハマオモト(これが村花)、ハナカンナなどが目立った。
 防風、防潮林として植栽されたらしいリュウキュウマツ、モクマオウ、テリハボク、シャリンバイなどが、街路樹として多く見られた。
 
 栽培植物
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 防風、防潮林
 
 
 

2-1-3、大東島の固有種
   大東島の固有種はいくつかあり、事前に調べてはいたのだが、写真に撮れたのは以下の2種。ダイトウビロウは村木となっている。開拓当初は島が覆われるほどあったらしい。本島のものとは同属別種で、より背が高いとのこと。しかし、私には違いが全く判らなかった。オオソナレムグラもソナレムグラとは別種とのこと。
 
 

2-2、南大東島の植物
  南大東島は自転車での散策、ギラギラの太陽に焼かれて体はフラフラ、ママチャリを漕ぎ続けた足腰はガタガタになり、太陽の熱と肉体の疲労から脳はモウロウとなる。というわけで、写真を撮る肉体的精神的余裕があまり無くて、その数は少ない。
 
 沖縄でもよく見かけるもの
 
 
 

 沖縄では出会っていないもの
 
 
 

3、動物

3-1、北大東島の動物

3-1-1、珍しいもの
  北大東島ではキジを2度見た。沖縄にはいない鳥。私も食ったことはあるが、野生では見たことの無い鳥。人間が野生動物に気付くよりも野生動物が人間に気付く方が早いようで、2度とも、私が気付いて、デジカメのスイッチを入れている間にキジは逃げてしまって、写真は撮れなかった。鳴かずば撃たれまいの声は2度とも聞いた。
 沖縄では見られない珍しいものはキジ以外にもいろいろあることを事前に調べていて知っていた。しかし、写真に撮れたのは、ミヤコヒキガエルとダイトウメジロだけ。ダイトウヒヨドリも撮ったのだが、ボケていて使い物にならない。 
 
 

3-1-2、沖縄でも普通のもの
  大東島の旅には、長袖シャツ、日焼け止めクリームの他、老眼鏡も忘れた。デジカメのモニターは小さいので、老眼鏡が無いと、撮った写真がちゃんと撮れているかどうか確認できない。いつもなら確認して、失敗写真があれば、再挑戦するのだが、今回それができなくて、ボケた写真がいくつもあるという結果になってしまった。まあしかし、それが、これからの私の人生の幸せに及ぼす影響はほとんど無い。どうでもいいこと。
 
  野生らしきヤギを見た。3匹いた。それには私の方が早く気付いた。近付いてカメラのスイッチを入れる。デジカメの欠点はスイッチを入れると音が鳴るということ、その音に気付いて、ヤギたちは山の中へ逃げていった。北大東幼稚園で飼われているヤギがいたので、その写真を撮る。飼われているヤギは逃げない。
 

 その他の北大東島の動物
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

3-2、南大東島の動物
 大池には1時間ばかりいたが、そのほとんどの時間は、鳥が警戒を解き、出てくるのを待つためじっとしていた。じっとしていて、水面を見つめていた。水面に映る流れる雲を眺めながら、「まるで詩人じゃねぇか。」などと思っていた。
  小学校の理科の時間に水中の生物というものを習った覚えがある。ミズスマシ、アメンボ、タガメ、ゲンゴロウなどの名前を覚えている。この内、アメンボはこれまで何度も見ているが、その他のものは見た覚えが無い。それがその日、初めてゲンゴロウを見た。理科の教科書で見た遠い記憶だが、たぶんゲンゴロウ、何だか懐かしい気分になる。水の中にいるものを写真に撮ったが、しかし、判別できないほどにボケていた。
 後日調べると、大池にはヒメフチトリゲンゴロウなるものがいるとのこと、その他、水面にアメンボ、水中にはテラピアやコイが多くいた。しかしながら、詩人擬きのオジサンが水面を眺めながら撮れた写真はたったの1枚、コイだけ。
 

  水面を眺めながらじっとしていること約30分、やっと1羽の水鳥が池畔の草むらから出てきた。距離は遠いが12倍ズームで写真を撮る。写真はやっと判別できる程度の大きさであった。後日調べてカイツブリと判明。カイツブリは警戒心の強い鳥とのこと。その時も、私が近付こうと思って立った瞬間、水の中に潜ってしまった。
 

  その後、バンも出てきた。バンは池面を悠然と泳いでいる。こちら側から向こう側へ泳いでいたのだが、私が静かにしていると戻ってきた。で、大きめの写真が撮れた。
 

  前日、友人のK子が、「ここには珍しいチョウがいる。トンボみたいなチョウ。」と言っていたが、それは、トンボみたいなチョウでは無く、チョウみたいなトンボだ。大池で水面を眺めている時にチョウトンボも多く見た。写真は別の場所で撮る。
 

  南大東島で撮った写真は北大東島のそれよりはるかに少ない。景色は半分、植物と動物は三分の一しかない。空港へ向かう送迎バスを待っている時間に、ホテルの花壇にあるゼラニュームの花にチョウが止まっているのを見つけた。沖縄でももっとも普通に見られるシロオビアゲハ、珍しくも何ともないのだが、写真を撮る。ほんのつけたし。
 

 記:2009.7.20 ガジ丸  →ガジ丸の旅日記目次


大東島の旅その2、南大東編

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

南大東1日目

3-1、水平飛行3分
 北大東島から南大東島へ行く飛行機は那覇から乗った飛行機と同じ型のもので、約40人乗りのプロペラ機。那覇から一緒だった年配の十数人のグループも含めて満席。
  私は一番前の席、そこは2席あって、そこだけが後ろ向きとなっている。つまり2番目の席と向かい合わせになっている。それは特に何の問題も無い。私は通路側の席で、通路を挟んでスっちゃん(今はキャビンアテンダントと言う)の隣り。そのスっちゃんが若くて可愛い子だったので、彼女といろいろおしゃべりした。それがまた、何か問題を起こしたというわけでもなくて、ただ単に、楽しい空の旅であったということ。
 飛行機は上昇したかと思うと、すぐに着陸態勢に移る。美人によると、所要時間15分のうち、水平飛行はたったの3分だけとのこと。彼女もほとんど座ったままだった。
 4時50分頃に南大東空港へ着く。旧友のM氏が迎えに来てくれていた。ホテルの送迎バスもあったが、M氏の勧めるままに彼の車に乗って、空港からホテルまでの道程にある観光スポットをいくつか回って、6時頃にはホテルに着いた。
 

3-2、同じく荒れる海
  南大東島の風景は、その雰囲気は北大東島と同じ、海岸の岸壁は荒々しい岩肌で、波も荒々しい。海の色も深い青。よく似た兄弟だ。
 M氏に、海水プールなるものを見せてもらったが、海の傍の岩を削ってプール状にしたもの。それは北大東にもあったが、大東島には砂浜が無く、波は概ね荒れていて、安心して海水浴のできる場所が無い。ということで、このようなものができたとのこと。
 

3-2、同じくサトウキビの島
 南大東島も北大東島と同じく、基幹産業はサトウキビ。ネットで調べると、井上荘太朗氏の論説「沖縄甘しゃ糖業の現状と課題」に情報があった。引用する。
  北大東島は島の総面積のうち、約45%が耕地面積で、耕地面積の82%強がサトウキビ畑、南大東島は島の総面積のうち、60%が耕地面積で、耕地面積の82%強がサトウキビ畑となっている。まさしく、サトウキビの島。
 北大東村のHPにはなかったが、南大東村のHPには資料があった。「農家一戸当たりの経営規模は約8haで経営耕地面積は広く我が国では例の少ない大型機械化一貫作業体系による大規模経営が確立している。」とのこと。サトウキビで食っていけるわけだ。ちなみに、一人当たりの所得で、南大東村は沖縄県でトップとのこと。
 サトウキビの生産高は北大東島365百万、南大東島1267百万、製糖工場も南大東島のものが規模が大きい。ちなみに、総面積は北が11.94平方km、南は30.57平方km。
 

3-3、同じく倭国文化
  旧友のM氏は私を車に乗せて、空港から海軍棒と海水プール、島で最も高い位置にあるという日の丸山、亀池港、塩屋の海水プールを回り、最後に大東神社に案内した。北大東と同じくここの神社もまた倭国風、しかも、いかにも倭国といった施設があった、やぐらのある相撲場、ここで、ちゃんとマワシを締めた相撲が行われるとのこと。
 相撲は元々神事である。神の前で行われる儀式。沖縄は先祖供養の行事は盛んだが、神社での神事はあまり聞かない。これも、入植者が倭人だったことの文化だ。
 

3-4、整備の足りないホテル
 M氏は大東神社からホテルへ私を送ってくれた。夕食を一緒するということで、一旦お別れ。ホテルは、南大東では最も大きなホテルとのことであったが、北大東のホテル「はまゆう」に比べると小さい、ホテルはまゆうがリゾートホテル風だったのに対し、小さなビジネスホテルといった風情、建物も古く、ロビーも雑然としていた。
 その日は混んでいた、という理由なのかよくは知らないが、係りの人の応対も雑と言えば雑、良く言えば気さく。少なくともあまり親切では無い。
 部屋もそうきれいではなかった。外の空気を入れようと窓を開けたら、網戸が破れていた。これでは夜、蚊に悩まされるに違いない。もっとも、クーラーはちゃんと付いているので、窓を閉め、クーラーを点ければいいのだが、整備も雑とは思った。
 

3-5、旅の夜の美女
 ホテルは混んでいるとのことで、夕食はホテルのレストランでは無く、ホテルのすぐ近くにある居酒屋でということになった。
  ホテルのロビーで友人のK子と、その娘のSと待ち合わせて、指定の居酒屋へ。K子とSは「昨日もここで飲んだよ。」とのこと。
 Sは南大東小中学校の職員、今年の春から赴任している。イケメンの恋人を沖縄に残してまでの転勤、何故だか理由は聞かなかったが、志願したとのこと。頑張り屋である。真面目な性格は母親のK子よりは父親似なのかもしれない。
 頑張り屋なところは私と異なるが、自分の信じた道を突き進むところは私とちょっと似ている。私の場合は、突き進むのでは無く、のんびり歩くだが。いずれにせよ、可愛い娘だ。旅の夜、美女と酒が飲めるなんてことは、私の場合滅多に無いこと。
 

  飲み始めてすぐに、旧友のM氏がやってきた。別席にいたM氏の同僚の二人も加わって賑やかな酒席となる。前夜飲めなくて、酒に飢えていたこともあって、私にはとても美味い酒となった。4人での飲み食い、見栄を張って私が支払ったが、1万6千円、それほど食ってはいないので高いと思った。離島ということで酒が高いのかもしれない。
 那覇から一緒だった年配の十数人のグループは北大東のホテル、北大東から南大東への飛行機、南大東のホテルでも一緒だったが、ここでも一緒になった。
 

3-6、深海魚
  大東島の名物や美味いもんを出発前にちょっと調べた。黒糖の菓子、大東寿司などが名物として有名なようだが、これは食べなくちゃあと思うものは見つからなかった。
 黒糖関連は沖縄にも多くあり、大東島のものが特に美味いということは無かろう。なので、食べなくていい。サトウキビからラム酒を作っていると聞いて、これには興味を持ったのだが、「そうたいしたものでは無い、ちょっと味見する程度でいいんじゃないか。なんなら、帰りに俺からプレゼントするよ。」とM氏が言ったことと、ラム酒は以前、バカルディなど美味いのを飲んでいるので、これも、特に味わう必要は無いと判断。
 

 大東寿司はヅケ(漬け、魚の切り身をタレに漬けたもの)の握りで、それは、そう珍しいものではない。ネタは主にサワラとのこと。マグロも使われるとのことだが、それらも珍しいものでは無い。だが、一つ聞き慣れない名前があった、インガンダルマ。
  インガンダルマは方言で、和名はアブラソコムツ、またはバラムツのことを指す。深海魚とのこと。居酒屋にアブラソコムツの唐揚げという料理があって、それを食べた。普通に美味いが、特に食べたいと思うほどでは無い。グルクン唐揚げがまだ上。
 アブラソコムツはその肉に脂分を多く含み、その脂は人間が消化できない脂で、食べ過ぎると尻の穴から脂が漏れ出すとのこと。刺身を2切れ以上食べるとそうなるらしい。私が食べたのは唐揚げだったので、そうなる心配はないらしい。
 11時過ぎ、疲れのせいでとても眠くなる。飲み代を支払って私は先に失礼する。
 

南大東2日目

4-1、無防備の学校
 大東島最終日の朝、前日3万4千歩も歩いて、さすが疲れていたのか、目が覚めたのは8時過ぎ、だらだらと起きて、だらだらと朝食を取って、だらだらと歯を磨き、顔を洗って、チェックアウトして、ホテルを出る。散歩しながら南大東小中学校へ向かう。
  地図を見ると、ホテルから学校までは徒歩15分くらいのようだが、周辺を散策し、写真を撮りながらだったので50分くらいかかった。空はきっぱりと晴れていて、太陽がガンガン照り付けていた。午前中の陽射しであったが、きつかった。
 遠回りしたこともあって、学校の表ではなく裏側に着いた。体育館の裏、そこに塀は無かった。不審者の侵入に敏感となっている日本の学校だが、南大東島には不審者などいないようである。誰でもどうぞお入りなさいということみたいである。
 北大東小中学校もそういえば門は開いていた。人口、南大東村は約1200人、北大東村は約500人、皆が顔見知り、不審者になりたくてもなれないのかもしれない。
 

4-2、みんなが知合い
 日曜日だが、南大東小中学校は登校日、行事名は(聞いたけど)忘れたが、父兄も参加して各学年でそれぞれ違う料理を作り、それぞれを持ち寄ってのお食事会。
  生徒数は小中合わせて約100人とのこと。子供たちも父兄も教職員も皆が知合い。和気あいあいと料理を作っていた。手間のかかりそうな豆腐作りもやっていた。
 そこには関係者であるM氏もSも当然いる。K子もいる。私は夕方の便だが、K子は午前中の便で那覇へ帰る。娘のSに空港まで送ってもらうため、待機している。
 3人にサヨナラして、私はホテルに戻り、自転車を借りる。ホテルのオジサンはいかにもがめつそうな人、「千円だ」と言う。カウンターの女性に訊くと、「4時間以内だと500円で、後払いですよ。」とのこと。「送迎バスが4時に出るんだったら、4時間以上は使いそうですね。」と私が言うと、「なら、前払いで千円払ってもらえ。」と横からさっきのオジサン、そこまでがめつくことは無いんじゃないのと思いつつ、千円払う。
 

4-3、1時間待って4羽
 オジサンが無言で指差した自転車はママチャリ、これだと上り坂はきついかもと思ったが、他には無いみたいなので、しょうがない。出かける。
  さっき、学校で会った時に旧友のM氏に相談したら、南大東島の観光スポット、自転車で5、6時間で回れる範囲であれば、大池、星野洞(鍾乳洞)、漁港の3箇所でいいんじゃないかとなった。大池ではいろんな野鳥が観察できるとのこと。
 ホテルから南大東小中学校の傍を通って、大池へ向かう。大池までの道はフクギなど大きな木の並木道になっていて、木陰が続いている。楽に走れた。
 大池のオヒルギ群落という看板を見つけ、そこを見学。しかし、そこはオヒルギなどの樹木が茂っていて、そこからは大池が広く見渡せない。大池を展望できる場所を聞いておくんだったと後悔しながら、池の周囲と思われる道をぐるぐる回る。
 

 農道をあっち行ったり、こっち行ったりしながらやっと見学するために設けられたベンチ付きの桟橋のような箇所を見つける。そこで、しばらく待機。
  着いた時、何種類かの鳥の声は聞こえていたが姿は見えなかった。人がいるのを察知して隠れているのだろう。で、鳥が警戒を解くまで静かに待機。
 30分ほど待って、やっと出てきた。しかし、距離が遠い。写真を撮るが、やっと確認できる程度の大きさと明るさ、後で調べるとカイツブリであった。それが2羽。別の場所からバンの写真も撮れた。バンは既に沖縄島でも撮っていて、知っている。これも2羽。大池には、別の場所に展望台もあって、そこは帰りに寄ったのだが、そこも合わせて計1時間以上もいた。しかし、目で確認できた水鳥はその4羽だけだった。
 

4-4、景色は最高だが
 南大東島は沖縄島よりずっと小さな島だが、サトウキビ畑の規模は沖縄島のそれより大きい。広がるサトウキビ畑の景色は雄大な感じさえ受ける。
  そんな景色の中のサイクリング、走る車もほとんど無い道を、自然の風を受けてさぞかし良い気分であろう、と思われる、かもしれないが、全くそうでは無い。
 大池を出ると、大きな木の並木道はほとんど無い。あったとしても真昼なので木陰はほとんどできない。灼熱の太陽がハンドルを握る両腕を刺す。灼熱の太陽が帽子の上から服の上から体を焼く。「熱い、熱い、熱い・・・」と呟きながらペダルを漕ぐ。
 大池から星野洞へ向かっているのだが、だいたいの方向を頭に入れて、ひたすら漕ぐ。道はできるだけアスファルトでない道を選んだ。照り返しの無い分、少し楽。
 

4-5、へとへとになって
 1時間以上走ったが、星野洞が見つからない。で、アスファルトの、幹線らしき広めの道に出て、そこを走る。星野洞は観光地だ、幹線にはきっと案内板があるに違いないと思った。しかし、1時間以上走っても、何の看板も見つからなかった。
 ママチャリを漕ぐ足がヘトヘトになっていた。腰も尻も痛くなっていた。ちょっとした上り坂も登れなくなっていた。太陽に焼かれ続けている腕は悲鳴を上げていた。
 感覚では、ホテルからだいぶ離れている。もう戻らないと体力が持たない。そこから途中休み休みしながらホテルへ戻った。2時間かかった。へとへとになっていた。
  ホテルの自転車置き場に自転車を戻した時に、ギア付きのサイクリング自転車があることに気付いた。「ママチャリとギア付きを並べて写真撮らなくちゃあ。」と思ったが、その前に一服する。と、もう何かをやる気力は既に失せていて、写真も忘れた。
 ホテルの送迎バスで南大東空港へ着く。出発の40分前だったが、近くを散策する気力も無く、搭乗手続きを済ませると、椅子に腰掛けてぐったりする。旧友のM氏が土産にとラム酒を持たせてくれたが、そのお礼もそこそこに彼と離れて、一人ぐったりする。
 

4-6、最後の一枚
 南大東島の旅、最終日はさんざんな結果であった。へとへとになった挙句、ダイトウオオコウモリにも会えず、植物や動物の写真も、北大東島のそれらに比べると三分の一以下しか撮れなかった。自転車でなく徒歩にすれば良かったと後悔した。徒歩なら、腕にこれほど酷い火傷を負わずに済んだだろうし、写真もいっぱい撮れたはず。
  その写真、大東島旅行での最後の一枚はこれ。荷物チェックを受けるため並んでいる時に撮った旧友M氏の後姿。ちょうど七夕の日、子供が笹に短冊をつけるのを彼が手伝っているところ。M氏はいかにも優しそうな顔をしていて、その通り優しい。
 彼からは土産にラム酒の他、大東寿司の弁当を頂いた。「今日の夕食にどうぞ」ということ。その通り大東寿司は夕食になったのだが、へとへとになっていた私はその写真を撮るのを忘れた。大東名物として、大東寿司も紹介しなければならなかったのに。
 

終章 旅を終えて
 大東島の旅、最終日はさんざんだったが、それでもやはり、旅は楽しい。何も無い日々に比べれば、日焼けに苦しんだことも幸せの内である。腕はヒリヒリしても、自転車より徒歩にすれば良かったなどと後悔しても、それでもなお、カラカラに乾いていた心が、今は潤っている。日常でない時空で私は生きていた、という満足感がある。
  日焼けした腕は、畑のアロエを塗ったお陰で、翌日には痛みが治まった。1週間後にはもう、ところどころ表皮が剥がれ始めた。しかしながら、こんなこともきっと、「歳の癖にこんな日焼けして、バカだったなぁ。」などと、楽しい思い出になるはず。
 旅は私にとって、若い女性にとってのケーキのようなもの。いつでも別腹である。経済的余裕があれば年中旅していたいと思うのであった。
 

 記:2009.7.13 ガジ丸  →ガジ丸の旅日記目次


大東島の旅その1、北大東編

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

 序章、東端の旅
 私は旅が好きである。貧乏なので、ほぼ国内の質素な旅行だが、毎年、年に2、3回は旅に出ていた。それが、先立つものやその他の都合で2006年秋以来、沖縄島から1歩も出ていない。私はまるで、「水を得ない魚」となっていた。
 旅(したい)計画はいくつもある。富士山登山、屋久島散策、リンゴが実る頃の青森、ミカンが実る頃の和歌山などなど。そして、沖縄県の島々巡りも計画している。
 まだ行ったことの無い与那国、波照間、宮古諸島、伊是名、伊平屋、大東諸島など。2007年に沖縄南端西端の旅で与那国、波照間を、翌年には沖縄北端の旅で伊是名、伊平屋を予定していたが、諸般の都合で無期限延期となっている。
 ところが、行きたいとは思っていたが、特に具体的な計画を立てても無かった沖縄東端の旅が、ひょんなことから決まってしまった。
 友人のK子の娘が転勤で、この春から南大東島に住んでいる。で、K子が娘のとこへ遊びに行くと言う。それを聞いて、「沖縄東端の旅ができる。」と閃いた。貧乏は益々貧乏になっているのだが、「えーい!明日は明日の風が吹くさ、水を得なければ魚は死ぬ、もう俺の心はカラカラだ、K子に便乗しよう。」と即決した。

 北大東初日

 1-1、余裕の出発
 旅程は、1日目、那覇空港から北大東へ渡る。その日は一人で北大東島を散策し、一人で酒を飲み、そこで一泊。2日目、夕方、南大東へ渡り、K子とその娘のSと三人で飲み食いし、一泊。3日目、南大東島を散策し、夕方には那覇へ帰る。
  那覇空港から北大東島への飛行機は午後2時45分発なので、時間的余裕がある。なので、午前中、家から近い友人Hの店に行き、ガジ丸HPをアップすることができた。
 お昼過ぎには家に戻って、コーヒーを飲んで、一服して、1時過ぎには家を出て、2時過ぎには空港に着く。旅の出発には慌てることの多い私だが、今回はゆっくり間に合う。時間の余裕は心の余裕になって、気分上々。ノートを広げ、旅日記の始まりを書く。
 

 1-2、北大東島着
  那覇発2時45分は、40人乗り程度の小さなプロペラ機。年配の十数人のグループなどがいて機内はほぼ満席。定刻通りに乗客は乗ったのだが、離発着の飛行機で滑走路が混んでいるとのことで、そのまま待たされる。予定より15分遅れて離陸。
 その日は曇天で、離陸から上昇時に揺れたが、雲の上に出ると安定した。1時間10分のフライト、私は再びノートを広げ、これからの予定を考える。降下時にジェットコースターに乗っているかのように激しく揺れたが、まあまあ楽しい空の旅だった。
  4時10分頃に北大東空港へ着く。ホテルの送迎バスに乗って、4時半頃にはホテルに着く。ホテルは、ホテル「はまゆう」、何年か前に北大東島へ来て、ここへ泊まったことのある元同僚のTの話では、民宿とのことだったが、リゾートホテル風の造りで、なかなか立派な建物。敷地内も整備されていて、部屋の中もきれいであった。
 
 

 1-3、兵どもが夢の跡
  チェックインして、荷物を軽くして、すぐに散策。ホテルから西方面へ向かう。
 空は曇っている。降ってはいないが降る可能性は高そうと判断し、ヤッケをバックに入れておく。空は曇っているので厳しい暑さではない。少々汗をかく程度。道々、植物の写真を撮りながらの、のんびり散歩、50分ほどで海岸へ出る。そこは西港という名の漁港となっていて、近くには燐鉱石貯蔵庫跡という史跡があった。
 燐鉱石貯蔵庫跡はいかにも廃墟という風情、その昔、男どもが戦った(働いた)跡だ。芭蕉の俳句を思い出した。夏草や兵どもが夢の跡。
 

 1-4、北大東島の海
  前述の、元同僚のTが勧めた海岸へ降りる。西地区緑地という名の公園の真下、コンクリートの岸壁。「いつも荒れている」とTが言うとおり、波がその岸壁に打ち付けて飛沫を上げている。太平洋の荒波に囲まれた島、波の具合で船の欠航はよくあるらしい。
 
  岸壁の、飛沫の上がらない場所の縁に立って海を覗き込む。「海の色が沖縄と違う」とTが言うとおり、とても青い海。色の名前に詳しくはないが、こういうのを群青と言うのではないだろうか、青が群れている感じ。大東島は隆起珊瑚の島、周囲は断崖絶壁に囲まれて海が深く、青が深いとのこと。沖縄島のような砂浜はないとのこと。
 

 1-5、子供のいない公園
 岸壁から階段を上って、西地区緑地という名の公園に入る。広い公園はよく整備されていて、芝はきれいだし、低木もきれいに刈込まれて、ゴミもほとんど落ちていない。トイレを利用させてもらったが、そこの中も外もきれいであった。
  広くてきれいな公園、だが、私以外に客はいない。30分ばかりウロチョロしたが、観光客らしい若い男が一人、北から南へ通り抜けて行っただけ。
 公園内には子供が喜びそうな遊具を置いてある一角もあった。遊具は全て有名メーカーの作と思われる上等のもの。しかし、そこにも人っ子一人いない。金曜日の夕方、まだ明るい時間、子供たちがキャーキャー騒いで、お母さんが「ご飯だよー」ってそろそろ呼びに来るような時間、お金をかけた割には利用されていない公園のようであった。
 

 1-6、たくさんの虫
  公園を出ようとした午後6時過ぎから雨が落ちてきた。シトシトの雨ではあったが、空模様を見ると長く続きそうだったので、ヤッケを来て、散歩を続ける。
 オオジョロウグモがたくさんいる。一匹のオオジョロウグモは網にかかったシロテンハナムグリを丸めているところであった。そのシロテンハナムグリ、飛んでいるのを数回見たが、翌日、ここにはツヤハナムグリはいなくて、シロテンハナムグリが多いと知る。
 
 モンシロモドキもたくさんいた。また、ウスイロコノマチョウがテリハボクの生垣に群れているのを見た。同じところにたくさんのウスイロコノマチョウ、沖縄ではあまりお目にかかれない光景だった。その他、メイガの類が多くいた。
 

 1-7、大きなカエル発見
  そのすぐ後、もっと驚くものに出合った。大きなカエルだ。私の住む近所で見かけるカエルといえば、大きいものでも4センチほどのカジカガエル。今目の前にいるカエルは体長でその3倍、体重だと10倍以上はあるんじゃないかと思われる大きさ。それが道端にちょこんと座っている。近寄ると草むらに隠れたが、その草を退けて、写真を撮る。
 

 すると、その左側でも何か動いている。これもカエル、大きさは同じくらい。でも体色が違う。雄と雌なのかと思って、そっちも写真を撮る。
 時刻は7時、ホテルへ帰る前にスーパーへ寄る。風呂上りのビール1缶と、寝酒の泡盛1合瓶を買うつもり。そこに小学4、5年生くらいの少年達がいた。
 「でっかいカエルを見たんだけど、何だか分かる?」と訊く。
 「ミヤコヒキガエルだよ。」との答え。デジカメの写真を見せながら、
 「黒っぽいものもいたけど、これは雄雌の違いかな?」
 「雄と雌の違いは大きさだよ。」とのこと。その他、ミヤコヒキガエルは害虫駆除のために持ち込まれたもの、毒液を吐くなどということを教わった。
 もう1種はオオヒキガエル、かと思ったが、形から見ると同じミヤコヒキガエルのようである。背景によって体色が変化するのかもしれない。  
 

 1-8.旅での初体験
 子供たちとの会話が終わって、スーパーへ入ろうとしたら、閉まっている。
 「あれ、スーパーは休みか?」と訊くと、傍にいた女子中学生が答えてくれた。
 「ここは、6時には閉まるよ。」とのこと。で、ビールも泡盛も買えなかった。まあ、しかし、ホテルに行けばビールはあるだろう。寝酒もビールにするか、となる。
 ヤッケを着ていたので雨には濡れなかったが、たっぷり汗をかいた。が、夕食時間をだいぶ過ぎていたので、シャワーには入らず、そのまま食堂へ。食堂には生ビールがあったが、風呂上りに飲みたかったので我慢し、食事を終えると部屋に帰ってシャワー。
  私は旅が好きだ。25年くらい、年に2回は旅をしてきた。1回3泊とすると、これまで150回は旅の夜を過ごしている。旅の夜に酒は欠かせない。しかし、今回、初めて酒の一滴も、ビールの一滴も飲まない夜を経験した。
 ホテルにビールの自販機は無かった。もちろん、酒も無い。飲み屋は遠いらしい。行く元気は無い。で、とてもつまらない旅の夜となってしまった。
 翌日、ホテル内を散策していると、ビールの自販機を見つけた。長く使っていないらしい自販機であった。どういう理由からか知らないが、ホテルでは、食堂以外でのビール、及び酒の販売はやらないことにしているみたいだ。何でだろう?訊けば良かった。
 

 北大東二日目

 2-1、国指定天然記念物
  北大東島は、いたるところに石垣がある。民家の敷地の周りでは無く、道路脇、畑の傍などに、古くからあるもの、今建設中のものまで、石灰岩で築かれた石垣が多くある。それらは人工の石垣だ。おそらく、防風、防潮のためであろう。
 

 それらとは別に、それらよりもっと規模の大きな壁が、海岸から少し離れた場所に立っている。長さ1500mもあるその壁は自然にできた地形のようで、まるで、「私が潮風から守ってやるから、ここに住みなさい。」と言っているみたいだ。
  そこは長幕岸壁といい、そこの植生と共に、「長幕岸壁及び崖錐の特殊植物群落」として国指定天然記念物になっているとのこと。
 そこには生物分布上貴重な植物が自生しているとあったが、わざわざ探すのではなく、歩いていて目に付いたら写真を撮ることにして、その三分の二ほどを歩いた。のどかな空気だったせいか、私の目は貴重な植物たちにちっとも気付かないままだった。
 ちなみに崖錐、私も知らない言葉なので広辞苑を見る。「がんすい」と読み、「懸崖や急斜面の上から落ちて来た岩屑が麓にたまってできた半錐形の地形。」とのこと。
 

 2-2、サトウキビの島
  南北大東島の基幹産業はサトウキビであると聞いている。そして、実際、島を歩いていると、島の面積の多くをサトウキビ畑が占めていることが分かる。沖縄島のサトウキビ農家は概ね、けして裕福ではない。が、大東島は裕福らしい。それは、一戸当たりの作付面積が広く、農家共同による機械化が進んでいるからとのこと。
 この件に関しては、南大東島のホームページに資料があったので、後述する。
 

 2-3、倭国文化の島
 旅の出発の日、HPをアップするために友人Hの店を訪れた。Hは絵描きでもある。彼から、絵になるような風景の写真を撮ってきてくれと頼まれた。
 「絵になる景色」といっても彼我の感性は異なる。彼の絵は沖縄らしいので、沖縄らしい景色とは思うが、何を持って「絵になる」という点については不明。それは個人の感性の違い。だが、「沖縄らしい」というと、赤瓦、サトウキビ、青い海などが思いついた。
  大東島に赤瓦の家は、少なくとも私が回った範囲には無かった。青い海、ここの海は青いが、沖縄の海らしくは無い。ということで、サトウキビ畑の写真を撮る。
 サトウキビやガジュマル、ギンネムなどの植物以外では、この島の景色は沖縄らしさが少ない。小さな島なのに大規模な石垣がたくさんあって、何か雄大さを感じる。サトウキビ畑を見なければ、倭国にいるような錯覚を起こさせる。
 沖縄らしくないという点では、神社のある景色もその一つ。沖縄にも神社はあるが、ここの神社は雰囲気が本土のそれと一緒。倭国文化が根にあるようだ。「開拓当時は八丈島から渡ってきた人が多かったから」とのことである。
 

 2-4、新しい産業
  北大東島は島の総面積のうち、約45%が耕地面積で、耕地面積の80%強がサトウキビ畑となっているらしい。サトウキビが島の経済の大黒柱となっている。
 ホテルの送迎バスの、「迎」の中で、運転手さんが話していたことだが、最近はゲットウの栽培も始めるようになったとのこと。ゲットウは、繊維が採れ、紙になったり、香料が採れ、化粧品になったりする。ゲットウ加工場を建築中だとのこと。
 で、翌日、散歩の途中で、噂のゲットウ加工場を見つけた。後日、調べたら、その工場、2010年度には稼動予定とのこと。
 

 2-5、景気の良い島
  島を散策していると、ゲットウ加工場もその一つだが、建設工事現場が多くあった。道路工事、土地改良工事、池整備工事などをあちこちで見かけた。数年来の建設業不況にある沖縄島に比べるとずいぶん景気がいいんだなあという感想を持った。実際、南北大東村の所得は、沖縄県の中では上位に位置するとのこと。
 旅から帰って、後日調べて分かったことだが、南北大東島には今、県から、あるいは国からの補助で、大規模開発事業が行われているらしい。土地改良工事も、池整備工事も、漁港整備工事もその一環。それらもしかし、後10年では終わるとのこと。
 

 2-6、轢きカエル
 前日発見して、子供たちからその名前を教えてもらったミヤコヒキガエル、この日の散歩中にはさらに多くを目にした。その全ては既に死んでいた。
 今回の大東島旅行、目的はいくつもあったが、大きなものの一つにダイトウオオコウモリに会って、その写真を撮ることというのがあった。なので、散歩の間、私はなるべく上を見上げながら歩いていた。木にぶら下がっているオオコウモリに会えないかと。
 島の道はしかし、大きな木の無いところが多い。で、ずっと上を見上げて歩いていたわけではない。お陰でチョウやカエルなどを発見することができた。この日も、大きな木の無いところでは道端の草むらなどを見ていた。それで、いくつかの花、いくつかの昆虫の写真を撮ることができた。路上にはまた、目立つものが他にあった。
  目立つものとはミヤコヒキガエル、あるいはオオヒキガエル、それらの死体。それらの死体は驚くほど多くあった。さすがヒキガエル、車に轢かれて轢き蛙となっていた。轢き蛙がほとんどであったが、中には轢かれてなくて死んでいるカエルもいくらかいた。車が通ることのない場所でも見た。彼らの死因は不明。
 
 

 2-7、目的果たせず
 今回の大東島旅行、ダイトウオオコウモリに会って、その写真を撮ることという目的の他にもう一つ、沖縄県の最東端に立つ、少なくとも最東端の碑の写真を撮るという大きな目的があった。そこは北大東島空港の近くにあった。
  ホテルからのバスは余裕を持って空港に早めに着いた。南大東島空港へ向かう便の、出発予定時間の50分前。30分あれば最東端まで行って来れるかもと思って空港の職員に訊くと、隣りにいた観光客の若い男性が、「厳しいですよ、片道20分以上はかかると思いますよ。」と教えてくれた。まあ、でも、行ける所までと思って、最東端へ向かう。
 15分歩いたら引き返すつもりで、15分経った。15分でやっと海岸に辿り着いただけだった。最東端の碑はここから500mほど先だと、さっきの若い男性が言っていた。これは無理だと諦めて、すごすごと空港へ引き返した。
 しかし、その日(だけじゃなく、日常茶飯に遅れるらしい)は出発が25分遅れた。25分もあれば余裕で最東端へ行けたはず、と思ったが、覆水盆に返らずだ。
 北大東ではダイトウオオコウモリにも会えず、最東端にも行けなかった。
 
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