摩訶不思議・・この言葉に出会ったのがいつなのかと記憶を辿る。
はっきりした記憶ではないけれど、小学生時代の紙芝居屋さんの口調のような・・
久しぶりに耳にしたのは、法事の僧侶の法話。
先代の宗主が大変立派なかたで、多くの僧侶に慕われたいた。けれど、その宗主を嫌うものもいた。人は、まことに摩訶不思議・・と。
この法話を聞くワタシは別の摩訶不思議に内心驚いていた。
それは、ちょうど前日の土曜日の夜のこと。
夜になると折々訪ねてみえるかたが、この10日間ほど何故、福祉亭に来なかったか・・それは、10日ほど前、ワタシがそのかたが裏口に善意な、ニコニコ顔でみえると、最初の頃、ぞっとしたとつい、正直に白状してしまったことに端を発している。
ご自分は夜遅くまで一人片付けるワタシのために、顔出ししていたのに・・と。
今はもう慣れて、ソロソロみえるかなと、他のボラさんと心待ちにしていると、その時もワタシは付け加えたのに・・。
そのハナシは盛り上がり、その場に居合わせた何人かの笑いやら同感やらを誘った。
ワタシも、もちろん、弁明にこれ努めた。
ワタシのハナシのついでのように、ワタシはどうも苦手で、どちらかといえば敬遠ぎみのかたの曜日に「○○は、必ず来ると言うんだ・・いろいろなんだ・・」と、ありあまるエネルギーそのままに、夜の来訪者は続け、自説を強力に披露し続ける。
ワタシをねじ伏せるかのように。
法話はこの様子を見聞きしていたように、仏のみちを究める僧侶の世界にもある、どこかよく似た話が持ち出され、般若心経の第○章と○章がこの宗派、別の宗派は○章と○章を、それぞれ、重んじる・・というくだりに入っていった。
世界と人とは、まことに摩訶不思議。
よく相性という言葉で、ワタシの愚かしさを指摘され、ワタシもジブンの愚かしさを認めざるをえないのですが、福祉亭での人と人の関係の「摩訶不思議」というものは、いろいろなところにあり、どこまでもワタシの頭を傾げさせ、時に、苦しめ、時に、おもしろがらせるのです。
はっきりした記憶ではないけれど、小学生時代の紙芝居屋さんの口調のような・・
久しぶりに耳にしたのは、法事の僧侶の法話。
先代の宗主が大変立派なかたで、多くの僧侶に慕われたいた。けれど、その宗主を嫌うものもいた。人は、まことに摩訶不思議・・と。
この法話を聞くワタシは別の摩訶不思議に内心驚いていた。
それは、ちょうど前日の土曜日の夜のこと。
夜になると折々訪ねてみえるかたが、この10日間ほど何故、福祉亭に来なかったか・・それは、10日ほど前、ワタシがそのかたが裏口に善意な、ニコニコ顔でみえると、最初の頃、ぞっとしたとつい、正直に白状してしまったことに端を発している。
ご自分は夜遅くまで一人片付けるワタシのために、顔出ししていたのに・・と。
今はもう慣れて、ソロソロみえるかなと、他のボラさんと心待ちにしていると、その時もワタシは付け加えたのに・・。
そのハナシは盛り上がり、その場に居合わせた何人かの笑いやら同感やらを誘った。
ワタシも、もちろん、弁明にこれ努めた。
ワタシのハナシのついでのように、ワタシはどうも苦手で、どちらかといえば敬遠ぎみのかたの曜日に「○○は、必ず来ると言うんだ・・いろいろなんだ・・」と、ありあまるエネルギーそのままに、夜の来訪者は続け、自説を強力に披露し続ける。
ワタシをねじ伏せるかのように。
法話はこの様子を見聞きしていたように、仏のみちを究める僧侶の世界にもある、どこかよく似た話が持ち出され、般若心経の第○章と○章がこの宗派、別の宗派は○章と○章を、それぞれ、重んじる・・というくだりに入っていった。
世界と人とは、まことに摩訶不思議。
よく相性という言葉で、ワタシの愚かしさを指摘され、ワタシもジブンの愚かしさを認めざるをえないのですが、福祉亭での人と人の関係の「摩訶不思議」というものは、いろいろなところにあり、どこまでもワタシの頭を傾げさせ、時に、苦しめ、時に、おもしろがらせるのです。
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