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妻に誘われて昨日、銀座のシネスイッチで、ニキータ・セルゲイビッチ・ミハルコフ(Никита Сeргеевич Михалков)主演監督映画の「戦火のナージャ」を観る。同監督の作品では「太陽に灼かれて」が有名だそうだが、まったく知らなかった。戦争映画はなんとなく気がすすまなかったが、戦火のナージャというタイトルは、良い映画に違いないと予感させた。ミハルコフ監督の娘さんが、映画でも主人公コトフ(ミハルコフ)の娘ナージャ役だったが、余り女優ぽくないところが、もの足りなくもあれば良くもあった。かつて師団長でチョコレートに描かれるほどの国民的英雄だったコトフが、スターリンの粛清にあい、服役するが刑務所に空襲があった際に脱走、その後、戦場で一兵卒としてスコップを武器にするようなみじめな小隊に属し、ドイツ戦車部隊を迎え撃つ。壮絶、絶望的な劣勢下に初老の元師団長がきびきびと戦う姿や、脳に障害をもつ仲間をいたわって懸命に助ける姿は意外な感じがした。ちょうど、東電の社長が退職してから福島原発事故の復旧作業員にまざってきびきびと命懸けで働くようなものである。そんなことは実際の世の中では起こらない。特に、日本ではありえない。第一、職業軍人が特権階級としてえばってきた日本は、コトフのような庶民的な軍人像を持たない。しかし、ロシアには昔からあるようだ。トルストイは「戦争と平和」で、英雄ナポレオンと対比してそうした職業軍人の将軍像を描いた。それから、映画のラストシーンで、従軍看護婦ナージャが死にかけた19歳の負傷兵の「一度も女性の胸を見たことがない。いいだろう」という懇請にこたえて上半身裸になったところで、兵士と裸婦を古典的な静画の中に取り残すようにカメラが徐々に高所からの俯瞰にかわり、小雪まう戦場のすさまじい惨状の全貌を映し出したのも良かった。あれは相当、お金をかけたセットである。凄惨な戦争を等身大の映像的な叙事詩にかえたところが、文豪トルストイに比べたくなる映画の巨匠である。