Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

「中身よ 中身よ 形より 中身よ」母親の口癖

2020年10月27日 21時42分58秒 | Journal
 今日、母親の写真を集めたフォルダを見ていたら、「中身よ 中身よ 形より 中身よ」という言葉が書き込まれたノートブックの写真が目に留まった。こんなのも口癖だったなと思い出しながら、この口癖の対象が主(おも)に自分だったことも思い出した。最近は、真似(まね)しているのか妻にもよく同じことを言われるが、小生は何を言っていると穴があいたような空疎(くうそ)な顔を向けるだけである。大して中身がないことは自分でも気が付いている。どちらかと言えば、「中身より 形よ」で生きて来た気がする。

 2010年頃

 2012年の母親

 近頃は、母親のこともあって、家の庭を撮ってもちっとも面白いとも奇麗とも感じなくなっている。





◆追伸 今日10月29日に、医師との面会予約のために病院へ電話をかけ、ついでに看護師に母親の様子を聞くと、1週間ほど前は40度近くあった熱も下がり、日中は話をすることもあるという。26日から行っている中心静脈栄養の効果が少し出ているのかなと思う。
◆追伸 今日11月2日、病院へ行く。医師から母親の容体に特に変わりはないと告げられる。良いようなものだが、余り良くもなかった。吸引痰の細菌学検査でMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)、つまり抗生物質が効かない耐性菌が検出されたという。次に、肺炎になったら多分、命取りになると告げられる。中心静脈栄養で日に1000キロカロリーの栄養を摂取している。今の母親にはこれで十分という。普通の点滴(末梢静脈栄養)の上限が同じ1000キロカロリーだから、そんなに多くない。胃瘻は手術が必要になるし、母親にとっては苦痛なだけだとすすめられなかった。ここは急性期病院だから病状が安定するといずれ出なければならず、医者との面談が終わると相談員と療養型病院へ転院する話をして帰ってくる。中心静脈で少し元気になって、また口から食べられるようになるかと期待していたから落胆が大きい。誤嚥性肺炎のリスクもあり、今はもう口から食べる訓練はしていないそうだ。栄養的観点から見ても、母親は、良くて現状維持か、いよいよ末細りの命運になってしまった。ベッドに寝る母親の顔は、10日前よりは安らかだった。死神はまだワイワイガヤガヤと騒がしくなっていないようだ。あの劇作家シェークスピアならば、母親のこういう状況をうまく書けるだろうが、小生には難しい。そのシェークスピア自身は、腐ったニシンを食べて感染症で52歳の生涯を閉じている。人間は、食べられなくなって死ぬが、食べて死ぬこともある。母親の中心静脈栄養をこれからどうするか、医者に「今からでも栄養補給を止めることはできるか?」と尋ねると、簡単に「今の点滴(中心静脈)の栄養をなくし、脱水症状だけ防止すればいい」と説明された。「中身よ 中身よ 形より 中身よ」というのは、威勢の良い啖呵(たんか)か、どうしても舞台上の捨て台詞(ぜりふ)に聞こえる。横浜の材木屋の娘だった母親の鯔背(いなせ)な口上だ。こうした粋(いき)に応える術(すべ)を持たない息子は、「命の中身」が分からなくてただもたもたしている。

 シェークスピア  シェークスピアの終の棲家
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