折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

写真&俳句VOL9~「彼岸花」

2011-09-20 | 写真&俳句
 近所の林の中、群生する彼岸花に木漏れ日が差し込んでいた。(9月19日撮影)



おちこちに     季節たがえず     彼岸花



今日は「彼岸の入り」である。

そして、この時期、そこかしこで咲く花が彼岸花である。


                朝の散歩道「黒目川遊歩道」にも彼岸花がそこかしこに咲いている。


それは、あたかも『体内時計』を正確にこの季節にセットしたかのごとくである。

辺りを30分も歩けば、或いは道端で、或いは民家の庭先で、また、或いは林の木々の中に彼岸花を目にすることができる。

 
民家の庭先に咲いている彼岸花(左)、道端の垣根の隙間から顔を出し、垣根の赤と競い合うように咲いている彼岸花。(右)


『暑さ、寒さも彼岸まで』と言われるように、彼岸花は季節の移ろいを端的に示す花である。
最近は、彼岸花を見るにつけ、『あぁ、また、季節が巡ったか』と言う感が深い。


このところ、まだまだ、残暑が厳しいが、お彼岸を境に、一刻も早い秋の到来を待ち望む思いや、切である。

【3字体(楷書・行書・草書)千字文】を書く 第32回

2011-09-19 | 書道
  お手本 大貫思水「新版四体千字文」(日本書学館)



【読み方】

ちんこん いえい      らくよう ひょうひょう

ゆうこん どくうん     りょうま こうしょう

たんどく がんし      ぐうもく のうそう


【意味】

秋になれば古木はしぼみすたれ、また草木の葉は色づき、ひらひらと風に吹かれて、園内に散りしいてさびしい。

空中にかける鳥・鵾は飛ぶことを教えてもらったわけでもないが、ひとりで思うままに空中を翔けめぐり、赤い夕日のさす大空に、雲をしのぐほど高く、ひとり何のあてもなく翔けている。

漢の元帝の一族の王充という人は勉強家であったが、貧乏で書を買うことができず、洛陽の町に出て本屋の店先で書物を読みふけったように、人は読書を怠ると、日々に遅れるものだから、王充のように、内に入っては、書籍を入れた袋や箱によって、ひたすら学問を研究して他を顧みないように心がけるべきである。

『ラトビア・リトアニア公演』の成果を披露~東京邦楽合奏団第8回定期演奏会

2011-09-14 | 音楽
定年まで勤めていた会社の3年後輩のKくんが所属している東京邦楽合奏団の第8回定期演奏会に行って来た。

会場の入り口でオーディオ談笑会のメンバーのMさんにばったり出会ったので、そのまま彼と一緒に「邦楽の夕べ」の一時を楽しんだ。

会場には、Kくんの家族や親戚を始め、多くの友だちが顔を見せていて、その中には、小生もよく知っている人も大勢いて、久しぶりの再会に開演前しばし話の花が咲いた。


東京邦楽合奏団第8回定期演奏会

1・ゆきやなぎ 眼龍義治作曲
2・秋の断章  石井由希子作曲
3・ともしび三章 長沢勝俊作曲
4・編集曲 きずな~ラトビア・リトアニア・日本~石井由希子編曲
5・美瑛の丘幻想(尺八独奏) 坂田誠山
6・バルトの風に吹かれて 石井由希子作曲



以下は、例によってコンサート終了後の感想を会話風にまとめてみた。

― この演奏会、もう8回になるんだね。
― このコンサートには、第4回目から来てるんだけど、邦楽にはまだどこかなじめないところがある。例えば、最初の曲の「ゆきやなぎ」と2曲目の「秋の断章」の違いが、はずかしながらよくわからない。

― そうだね、どの曲を聴いても同じように聴こえてしまう。

― まぁ、Kくんや坂田先生には悪いけど、何と言っても邦楽を聴くのが、年1回のこのコンサートだけというのではね・・・・・。

― 音楽はある意味では、『慣れ』が必要だもんね。
― そうそう、クラシックなんか最初は全然分かんなくても、聴いているうちに段々耳になじんで来て、好きになることが多い。

― この『なじむ』ということ、大事な要素だよね。
演奏会のプログラムの4曲目・編曲集「きずな」で百万本のバラ(ラトビア民謡)、「輪になって踊れ」(リトアニア民謡)、さくら(日本古謡)などおなじみのメロディーが流れた時は、「おっ、これ知ってる」とすっと演奏に入っていけたもんね。

― 不思議なもので、その途端、琴、尺八といった、すべての楽器が何か生き生きと鳴っているように聴こえた。
― 演奏しているメンバーの皆さんも実に楽しそうに見えた。

― 素人の考えだけど、邦楽の曲を作曲する先生方もこういう聴衆の反応を少し考慮に入れて作曲したらいいのにと思ってしまうんだけど・・・。

― 曲を作る側も、演奏する側もその辺の事情はよくわかっているんだろうけど・・・・。

― そう言う曲が『一般受け』するのは、主催者側にとっては痛し痒しだよね。邦楽の『本流』から見れば、あくまでもそれは『亜流』であり、『本流』の方を是非わかって欲しいと言うのが関係者の切なる願いなんだろうから。

― 昨年はジャズミュージシャンとのコラボをやっていたけど、クラシックやジャズと言った分野の共演もどんどん進めたらいいんじゃないかな。

― 5年前に上演した歌と邦楽による『竹取ものがたり』を再演するようだが、邦楽の幅を広げる試みとしては、いいんじゃないかと思うね。

― 今回の演奏会は6月にラトビア、リトアニアで行った演奏旅行の成果を披露するということで、みなさん大いに張り切っていたみたいだね。

― 彼の国の人たちは、琴や尺八などの楽器を見るのも、聴くのも多分初めての人が多かったんだろうね。邦楽が奏でる独特の音色に何を感じたんだろう。

― 『幽玄』、『雅』と言う言葉を知っているかどうかわからないけど、これが日本の文化なんだと強く感じたんじゃないだろうか。

― しかし、もし、そのイメージで日本を想像していたら、来日した時は、現実とのギャップを多分感じるだろうね。

― それにしても、Kくん、すっかり元気になって、はつらつとしていた。

― いい第2の人生を歩んでるよね、羨ましい限りだよ。

【3字体(楷書・行書・草書)千字文】を書く 第31回

2011-09-12 | 書道
      お手本 大貫思水「新版四体千字文」(日本書学館)


【読み方】

きんそう るいけん       せきしゃ かんしょう

きょか てきれき        えんもう ちゅうじょう

びわ ばんすい         ごとう そうちょう



【意味】

こうして在れば、欣喜の情が内にわき、世のわずらいは自然に去りつくし、心配事は去って、喜びは招かずとも、自然にやって来るのである。

溝に咲いた蓮の花は、あざやかに咲いて美しく、園内の草は、地下の養分によってその枝が伸び、抜きんでて一面に繁り、生長してみえる。

びわはさほど見どころがないけれど、歳の暮れの寒い冬になっても、いつまでもその葉の色を変えず、緑色があざやかであるが、青桐は高く伸び、葉も大きいけれど、秋になれば他の木よりも早く凋み落ちる。

写真&俳句VOL8~「稲穂」と「赤とんぼ」

2011-09-10 | 写真&俳句



   穂を垂れし    黄金(こがね)の波に     赤とんぼ


前回、幼なじみたちと『キツネノカミソリ』の群生地を見に行った折、たまたま急用が入って来られなかったMくん、余程残念だった見えて、Kくんに自分が歩いている散歩コースによい場所があるのでみんなで歩こうと声がかかり、昨日、Mくん、Kくん、Hちゃん、そして小生のいつものメンバーでわが故郷の隣町吉見町を散歩して来た。

その時の情景である。


わが故郷『川島町』は有数なコメどころだが、ここ『吉見町』も負けず劣らずのコメどころ。

そして今は、まさに『収穫の秋』。


            刈り取りも、今はすべて機械でやってしまうので、我々の子どもの頃とは隔世の感がある。


至る所の田んぼで、たわわに実った稲穂が『黄金色』に色づき、折からの風に一斉になびく有様は、思わず足を止めて見入ってしまうほどの美しさである。

そして、まばゆいばかりに黄金(こがね)色に染まった田んぼの上空を赤とんぼが群れをなして飛んでいる。

この日は、久しぶりに猛暑がぶり返したような暑い日であったが、群れをなして飛ぶ赤とんぼを目にするとやはり季節はもう秋なのだと実感した次第である。