折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

写真が主役VOL51~ハッスル、パパさん

2010-10-12 | 写真が主役シリーズ

親子ゲーム『親ガメ、子ガメ』で甲羅をつけたわが子を背負って激走するKちゃんパパ。その姿は、小生にはまぶしく感じられた。


                    
                    折り返し地点からスタート地点へ向かう親子ガメ



運動会たけなわである。

快晴、汗ばむような夏日になった体育の日、順延になっていた孫のKちゃんの幼稚園の運動会にかみさんと二人で行って来た。


運動会の主役は、勿論、子供たちであるが、この日はまたパパさんたちの頼もしさ、頼りがいが試される時でもあり、世の『パパさん族』がハッスルする日でもある。

朝早く起きて、お弁当作りの手伝い、荷物持ち、そして、一足早く家を出ての場所取りなど一連の『家族サービス』をこなし、運動会が始まるとビデオの撮影に駆けずり回る。かくて、パパさんたちは、席を温めている暇がない。

そのパパさんたちにとって、運動会での最大の山場、見せ場は我が子と一緒に参加する親子競技である。

即ち、親子競技は、『パパって、凄い!』と我が子に頼もしいパパをアピールし、パパへの信頼を高める絶好の機会、パパさんの真価が問われる場面である。

この日の親子競技は、カメの甲羅をつけた我が子を背負って走るリレー競技である。

応援席のママさん、じいじ、ばあばを意識してか、Kちゃんもパパもスタート前から少々入れ込み気味。

そして、いよいよリレーの順番が回って来て、Kちゃんを背負い、満を持して走り出したパパさんのやる気満々の姿が今回の主役である。


三度(みたび)天候に恵まれず~浅間外輪山山歩き

2010-10-10 | 友達・仲間

東篭ノ登山から水ノ塔山に向かう尾根道。
この尾根道を歩いたのだが、晴れていると浅間山をはじめ北アルプス、そして遠く富士山が望める絶景ポイントらしいが、この日は一面にガスが立ち込め『白の世界』であった。



先日、幼なじみのKくん、Hちゃん、小生の3人で毎月の定例になっている『山歩き』に行って来た。
以下は、そのリポートである。

車中にて

『Mくんの愛犬、もう1か月も生死をさまよってるらしいね』

『つきっきりで、看病してるようだよ』

『溺愛してたからね、ペットロス症候群にかからなければいいんだが…』(*結局、愛犬はこの日の前日に息を引き取ったのこと。ご冥福を祈ります。)

『H子ちゃんから電話があって、体調は大分戻ったようだよ』

『山歩きは、まだ無理なのかな?』

『山歩きは厳禁と医者からきつく言われているようだよ』

今回の目的地の浅間連峰の一つ『籠ノ登山(かごのとやま・2,227m)』、『水ノ塔山(みずのとやま・2,202m)へ向かう車中では、今回、愛犬の看病で不参加のMくんと体調不良でしばらくリタイアを余儀なくされているH子ちゃんの話題が中心。いつものメンバーが二人欠けて、ちょっと寂しい。

二度あることは・・

浅間山の外輪山に足を運ぶのは、今回で三度目。一度目は、今回と同じ『籠の登山』、『水の塔山』だったが、当日雨で取り止め、二度目は『黒斑山』から浅間山を見ようと意気込んで来たが、ガスにはばまれてこれまた不本意な結果に。


 
今回の目的地『東篭ノ登山』(左)と『水ノ塔山』(右)の頂上。それぞれの頂上で記念写真を撮ったが、東篭ノ登山では、頂上に立てられている看板の表示が『東篭ノ塔山』と間違って表示されていることにKくんが気付く。さすがは、リーダー。


三度目の今回は、何としても快晴のもと尾根伝いからの眺望を堪能したいものだ、とすがるような思いでやって来たのだが、二度あることは、三度あるのジンクスどおり歩き始める前からガスが立ち込め、尾根を歩いている間じゅうこのガスに阻まれて、稜線からの絶景は望むべくもなかった。浅間外輪山とは、余程、相性が悪いのだ、と一同「がっくり」。

悪路に苦戦

登りも下りもなだらかな尾根歩きなので、山歩きとしては楽なコースなのだが、全コースにわたり大小様々な岩石がゴロゴロしていて、歩き難いことこの上ない。特に、ゆるやかな下りほど注意しないと砂利に足を滑らせて、バランスを崩しやすい。リーダーのKくん、この瓦礫に足を取られること三度、その都度バランスを崩して、尻もちをつく。そんなリーダーに『下半身が弱ってるよ』と声が飛ぶ。

 
尾根道には、急激に落ち込む赤ゾレの谷(左)や岩石が横たわっていて(右)注意しないと足をねん挫しかねない。


尾根歩きを終わって、帰りは林道を約1時間歩いて池ノ平の駐車場まで戻って来たが、その林道を歩く頃は尾根道付近のガスはきれいにはれて稜線の上に青空がくっきり。

丁度、われわれが尾根を歩いていた時間帯だけガスが立ち込めていたという皮肉な結果に一同苦笑いを禁じ得なかった。

リベンジは続く?

かくして、三度目のリベンジはまたしても期待を裏切られることで幕となった次第である。

リーダーのKくんは、この次は小浅間から浅間山の雄姿を絶対に見るのだと早くもリベンジを誓っていた。

30年前と今と~SONGS<山口百恵伝説の引退コンサート>を見る

2010-10-08 | 音楽

朝の散歩中に朝日を受けて美しく咲くコスモスを見かけた。それを見て、先日テレビで『秋桜』を歌った時の山口百恵の情感豊かな表情を思い浮かべた。


先日、NHKの歌番組SONGS<山口百恵伝説の引退コンサート>を見た。

このコンサートが行われたのは今から30年前のこと。
もうそんなに年月が経ってしまったのかと感慨を覚えながらテレビに見入った。

画面の中には、凛とした気品、神々しいまでに光り輝く美しさ、そして、神ががったような歌唱、これが本当に21歳の女性なのかと思えるほどの存在感をただよわせる山口百恵がいた。(そんな彼女の姿を見て、イチローのときも書いたが、山口百恵も「音楽の神様」に選ばれ、愛された一人に違いないと思った。)

久しぶりに30年前の映像を見て、感動を新たにしたのは小生だけではあるまい。


 
最後の曲「さよならの向こう側」を歌い終え、万感の思いを込めて客席に挨拶する山口百恵(左)、嫁ぐ身の思いを込めて、「秋桜」を歌う、情感豊かな山口百恵の表情(写真は10月6日放映 NHK総合テレビSONGS山口百恵②伝説の引退コンサート・さよならの向こう側より)


30年が過ぎたと言うことは、当時21歳の彼女は今51歳と言うことになるが、小生には51歳になった山口百恵は、全くイメージの外である。
小生のイメージの中の『山口百恵』は、引退コンサートでの彼女の姿のままであり、その姿はテレビのナレーターがいみじくも言ったように、30年経った今も『色あせる』ことがない。
テレビを見終わって改めてそんな感慨を抱いた一時であった。

心身ともにリフレッシュ~テレビに映画に引っ張りだこの『島田橋』を見る

2010-10-06 | 友達・仲間

テレビに映画に引っ張りだこの島田橋。
坂戸市島田と東松山市宮鼻との間を流れる越辺川(おっぺがわ)に架かっている冠水橋。明治初期に架けられ、1958年の狩野川台風で流失、現在の橋はその後に再建されたものとされている。
<データ> 橋長:約77m、幅員:2・6m、水面から橋までの高さ:約3m、形式:木橋、重量制限:1・5t、幅員制限:1・8m



秋晴れの1日、幼なじみのKくんの住む坂戸市周辺を散策してきた。

彼が案内してくれたのは、自宅から歩いて約20分ほどの所にある島田橋。

この島田橋、テレビや映画で引っ張りだこで、今、人気のNHKの大河ドラマ『龍馬伝』にも登場する(第28回「武市の夢」)など、ロケ地としてすっかり有名になってしまった感がある。

橋のたもとには、これまでこの橋を使って撮影されたテレビや映画のタイトルが書かれた木製の看板が設置されているのだが、その看板、どこか誇らしげに見えるから不思議である。

 
この橋でロケが行われたテレビや映画のタイトルが書かれた看板(左)、河原から見上げた島田橋(右)



『今年の3月28日、<市民歩け、歩け大会>があってね、幼なじみのMくん、Hちゃん、H子ちゃんたちと4人で参加したんだけど、その日は冷え込んでものすごく寒い日だったんだ。それでよく覚えているんだけど、折り返し地点を過ぎて、この堤防の坂の所で、撮影を終わって現場から引き揚げて来て、ワンボックスカーに乗り込む一団に出会ったんだ。後で聞いたら、その日に「龍馬伝」のロケがあったとのこと。まさか、そうだとは思わなかったので、また、ロケやってるな、という程度でやり過ごしてしまったのだが、そうと知っていれば、もう少し早く来て現場の写真もバッチリ撮ったのに…』

『この島田橋の700mほど下流にある赤尾落合橋、さらにその下流にある、君と一緒に行ったことのある八幡橋もこの島田橋と同じ木製の冠水橋なんだ・・・・』


越辺川の用水堰に座って、昼食のおにぎりを頬張りながら、ひとしきり幼なじみのKくんの蘊蓄に耳を傾ける。

 
用水堰を白いしぶきを上げて流れる水。(左)、堤防には彼岸花が咲き誇っている。(右)


用水堰を音を立てて流れ落ちる清冽な水、あちこちで今を盛りと咲く曼珠沙華の花、そして、子供の頃の風景そのままのひなびたたたずまい、そんな自然の中で、気心の知れた幼なじみとたわいのない話に興じ、大いにくつろぐ秋の昼下り。心身ともにリフレッシュした一時であった。






後に続く人へのメッセージになれば・・・~居合道昇段審査会②

2010-10-04 | 武道
居合道昇段審査会が終わって1日が過ぎた。

それまでは、不安や迷い、プレッシャーなどで心休まることがない日々であったが、『四段合格』という嬉しい結果に、今、プレッシャーから解き放たれ、胸のつかえが下りたような、何とも言えぬ安堵感に浸っている。


 
昇段審査会での演武 中央が小生。


居合を始めて7年が過ぎた。

居合をやる以上は、『四段』は是非取りなさいよ、と先輩の皆さん方からよく言われる。

居合を志す者にとって、『四段』は一つの目標である。

勿論、小生にとっても大きな目標であるが、それだけに、『四段』は高く、大きく聳えている壁である。

四段に合格すべく町の居合道場に通って教えを受けたりして、四段合格に向けての対策をぬかりなく行っている人が多いと言うことも良く耳にする。

そんな中、小生には、四段受験に際して心に決めていたことがあった。

それは、日々の稽古を積み重ねること以外は四段合格のために特別なことはしないということであり、三段取得から3年経過し、四段受験の資格を得た昨年以来一貫してこの方針で臨んできた。

昨年の初チャレンジは、力不足ということもあって不合格であったが、今回幸いなことに、この自分流のやり方で、何とか『四段』の壁をクリア―することができた。

それだけに、今回の合格が『今までのような練習スタイルで果たして、高段位に合格できるのだろうか』と、不安になったり、悩んだりしていた、わが仲間たちに『これまで通り、ひたすら日々の稽古に精進すれば、特別なことをしなくても合格できるよ』という一つのメッセージを伝えることになったのなら、それは、それで意味のあることであり、これに勝る喜びはないと思っている次第である。