折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

キーワードは『居場所』~小説『悪人』を読む

2010-09-14 | 読書
モントリオール世界映画祭で深津絵里さんが『最優秀女優賞』に選ばれ、今話題の映画『悪人』の原作を読んだ。

     
    『悪人(上・下)』(吉田修一著 朝日文庫) 


今の世の中、自分の『居場所』を渇望しながら、その『居場所』を得られないで悶々としている人が何と多いことか。

今日の新聞にも『秋葉原事件をどう読み解く』と言う特集記事の中で、東京秋葉原で7人を殺傷し、10人を負傷させた加藤被告が、現実の社会に『居場所』がなく、『ネット掲示板こそが居場所』だったと書かれているが、

この小説の主人公たちも、自分の『居場所』を得られずに悶々としている一人に他ならない。

先ずは、主人公の一人清水祐一。

幼くして母親に捨てられ、祖父母に育てられ、恋人も友だちもなく、唯一の楽しみは車。

もう一人は、女主人公の馬込光代。

双子の妹とアパートに住み、職場と家の往復だけと言う味気ない毎日を送っている30代のOL。

孤独な魂を抱えた二人が、偶然、携帯の出会い系サイトを通じて出会う。

この小説の切ない所は、自分の『居場所』を渇望して果たせなかった二人が、ようやく自分の『居場所』を見つけた時は、男がすでに殺人と言う犯罪を犯してしまった後だったと言うことである。

しかし、二人が見出した『居場所』は、二人にとって何物にも代えがたいものだった。

そして二人が選択した道は、更に罪を重ねる『逃亡』という行為だった。

この逃避行の間、二人は束の間、自分たちが『生きている』と言う実感、自分の『居場所』を共有したのであった。

以下、本文中にこのことが如実に表現されているので、少々長くなるがその個所を引用させてもらうと

「私ね、祐一と会うまで、一日がこげん大切に思えたことなかった。仕事しとったら一日なんてあっという間に終わって、あっという間に1週間が過ぎて、気がつくともう一年・・・。私、今まで何しとったとやろ?なんで今まで祐一に会えんかったとやろ?今までの一年とここで祐一と過ごす一日やったら、私、迷わずここでの一日を選ぶ・・・・」(中略)「俺だって、光代との一日ば選ぶよ。あとはもうほんとに何もいらん。・・・(後略)(『悪人』(下)210ページ~211ページ)

祐一は灯台で私を待っている。絶対に待っている。これまでの人生で、そんな場所があっただろうか。私を待っている人がいる。そこへ行けば・・・・、そこへ行きさえすれば、私を愛してくれる人がいる。そんな場所があっただろうか。もう三十年も生きてきて、そんな場所があっただろうか。私はそれを見つけたのだ。私はそこに向かっているのだ。(『悪人』(下)258ページ~259ページ) 

それにしても、ようやく手にした自分の『居場所』が、罪を重ねる『逃避行』の中にしか求められなかったとは・・・


今、第二の人生を過ごしている小生にとって、

今の自分の生活が、『居場所』を求めて悶々とすることなく、何とか『居心地の良い場所で、自分の好きなことに夢中になれる生活』を送ることができていることに、改めて感謝の気持ちでいっぱいになった次第である。