折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

ちょっと寄り道③

2006-08-13 | Weblog



<写真> 欧 陽詢 「九成宮禮泉銘」 臨書


趣味  書道

書道にいつごろから興味を持つようになったかは、定かでないが、オヤジが書道を趣味とし、二人の兄が、高校時代に書道部だった等々からすれば、書道を好きになる環境は十分にあったと言える。

また、それに加えるにお手本になるような字を書く人が、たえず身の回りにいたことも大きく影響していると思う。

第一番目のお手本は、長兄である。
高校時代に県下でも著名な書道の先生の薫陶を受けた長兄の字は、力強く、形の整った美しい字を書いていた。



<写真> 欧 陽詢  「皇甫誕碑」 臨書

何とかあんな字を書けないものかと、長兄の字をお手本に一生懸命真似て書いたのを覚えている。字に目覚めた中学時代の頃である。

二番目のお手本は、高校時代の書道のH先生である。
ここで、はじめて「長兄よりも上手な奴がいる」ことを知って、ショックを受けた。

先生の字はそれこそ、長兄の比ではなかった。ここで初めて、本格的な「書」に接したのである。


<写真> 高校1年、書初めに出品した作品


そして、H先生からは、筆で字を書くことの喜び、楽しさを教えてもらった。
「君は、筋がいいから、もっともっと上手くなるよ」と言われた時は、有頂天になったことを、今でも良く覚えている。

週1回、1年間の授業であったが、先生とは卒業後、今日まで年賀状のやり取りが続いている。

三番目のお手本は、会社に入った時に最初に仕えた上司、F課長である。
その字は、やわらかで、ゆったりと伸びやかで、形も美しく、見た瞬間、強く惹きつけられた。

まさに、お手本として、真似するにふさわしい字で、小生のその後の会社生活での基本をなす字となった。

退職を機に、書道の第一歩から学びなおして見ようと思い立って、この2年間、楷書の基礎から習ったが、不思議なことにオヤジの字に段々似てくるようになった。

第四のお手本は、結局は最もお手本にしたくなかったオヤジであった。

先日、習っている会の展示会があり出品したが、他の会員の皆さんの展示作品を見るたびに自分の作品がちっぽけに見えてきて、まだまだ頑張らなければと反省する日々である。

ビートルズ

2006-08-11 | 音楽

<今日の1枚>  (上)ザ・ビートルズ1 (下)ビートルズ・オン・コンチェルト

ビートルズが来日した1965年、小生は大学3年生であった。
当時、ガチガチのクラシック党であった小生は、頑なに彼らの音楽を拒絶するアンチ・ビートルズファンであった。

一方、弟は小生と違ってジャズやロックが大好きで、大のビートルズ・ファンであった。

ある時、その弟と音楽談義になった。
「兄貴は、一度でもビートルズの曲をちゃんと聴いたことあるの。一度も聴いていない人が、批判するのって、おかしくない。」

まさに、きつ~い一発だった。

その時を契機に、ビートルズを聴き始めたが、フルトヴェングラーのベートーヴェンや、マイルス・デイビスの「枯葉」を聴いた時のような、強烈な興奮は味わうことが出来なかった。

そんな小生が、柄にもなく息子が高校生の頃、誕生日のプレゼントにビートルズのベストアルバムのカセット・テープを贈ったことがある。

高校生にもなれば、ビートルズぐらいは聴くだろうと、プレゼントしたのだが、まさか、これが彼のビートルズの音楽への伝道役を果たすことになるとは、その時は夢にも思わなかった。

この間、息子の家に行ったら、CDラックの中にあの時小生が贈ったカセット・テープが、中央に鎮座していた。


まだ、大切にしてくれているんだ、と嬉しかった。
息子とは、一度だけビートルズの話をしたことがある。

その日、小生が羽田健太郎がビートルズ・ナンバーを古今のピアノ協奏曲の名作とドッキングさせた、「ビートルズ・オン・コンチェルト」のCDを聴いていると、息子が入ってきて、

「何、これビートルズなの?」と聞いてきた。
「ビートルズとピアノ協奏曲とをアレンジしたもので、結構気に入って最近良く聴いているんだ。ビートルズって、こんなに美しい曲だったんだと再認識したよ。」

「おれ、ピアノ協奏曲知らないから、何とも言えないけど、シンプルなオリジナルの方がいいな。」

彼の答えを聞いて、確かに、本物のビートルズ・ファンはこんな聴き方は、きっとしないのだろうなと、思ったことを、今懐かしく思い出している。

息子の「コメント」

2006-08-08 | ブログ

8月6日付け朝日新聞「おやじのせなか」の記事


オヤジの側面を知る機会

「今日で1ヶ月」と題して、ブログを始めてからの感想を8月5日付のブログに投稿したところ、「コメント」が1件入っていた。珍しいと思って開いて見ると息子からだった。

「オヤジの知られざる側面を、毎回楽しく見ています」とあった。

翌、8月6日付朝日新聞の「おやじのせなか」と言うコラムに息子のコメントを代弁、補足するような記事が掲載されていた。

俳優西島秀俊さんが、お父さんについて語ったものである。

少し長くなるが、引用させてもらうと、

今は引退して悠々と暮らしていますが、ずっと仕事ばかりしていた印象ですね。
(中略)休みの日の姿と言うのが浮かばないですね。(中略)

先日、冊子を渡されたんです。「70歳になり、自分の半生をまとめた」って。
読んで見たら、いろんな人との出会いや、その時期に感じたことがたくさん書かれていた。(中略)知らなかった一面です。

息子から、オヤジの知られざる側面を知ったと言うコメントをもらった次の日に、同じようなことが新聞のコラム欄に掲載されていたことに、偶然のこととは言え、巡りあわせの不思議さを感じた。

この年になると、来し方を振り返ることが段々と多くなってくる。
その一つに、子供たちとのかかわりがある。

子供たちと心を通わせる交流がどれくらいあったのか、とか自分の姿をどこまで子供たちの前にさらすことが出来たのか等々に思いをいたす時、内心忸怩たるものがある。

ブログに「自分史」を書こうと思い立ったのも、もう少し自分を知って欲しいと言う気持ちが、心のどこかにあったからに違いない。

西島秀俊さんのお父さんが、どのような気持ちで「半生史」をまとめられたか、定かでないが、子供たちに「素の自分」を知ってもらいたいと言う欲求が、どこかにあったのではと推測し、同じ立場の人間として、親近感を覚えた。

今日で1ヶ月

2006-08-05 | ブログ

写真 ブログを始めるきっかけとなった、NHK趣味悠々のテキスト


ちょっぴり、「締め切りに追われる、作家」の気分を味わう


ブログを始めて、1ヶ月が経った。

少しでも、趣味のレパートリーを広げようと、始めた新しい『挑戦』であった。

退職して3年間、文章を書く機会もなければ、その気持ちもなかったので、正直、最初のうちは、しんどかった。構想がうまくまとまらず、まとまっても、今度は適切な言葉が出てこない。こんな筈ではない、もっと文章はうまかった筈だ、と言う気持ち

がどうしても先に立ってしまう。
しかし、何とか我慢して続けていくうちに、少しずつ「勘」が戻ってきて、筆が進むようになった。すると、不思議なもので、書くことが楽しくなってきた。

最近は、ひょっとした拍子にイメージや文章が浮かんだりするようになってきた。
それは、食事中であったり、散歩中であったり、トイレの中であったり、寝る前であったり、と「場所」と「時」を選ばない。

しかも、瞬時に消えてしまうので、手帳と鉛筆が欠かせない。
今は、1日おきにブログを更新しようという目標をたて、ネタ探し、原稿書きに忙しい毎日であるが、締め切りに追われる作家の気分をちょっぴり味わっている。

「自分史」という硬いテーマで、文章も長く、写真も取ってつけたようなものなので、もともと読まれる要素が見当たらないブログかもしれないが、小生としては、

自分を振り返って見る良い機会になったのではないか、と思っている。
このブログを読んで、「頑張ってるな」と感じてくれる人が一人でもいれば、それで満足である。

ごく親しい人には、メールでURLを連絡したが、「見たよ、面白かったね」と言う反応があると、うれしいもので、また頑張ろうと元気が出る。

ブログに取り組んで、今日で丁度1ヶ月、「自信」と「元気」をもらったような気がする。


80年もの風雪に耐えて

2006-08-03 | オーディオ談笑会
名曲喫茶ライオン、今も健在!

「今、ネットを検索していたら、『ライオン』と言う名曲喫茶を見つけたんだけど、そこにしない。」

「何!!『ライオン』まだやってるの!懐かしいな!」
「談笑会」のメンバーKさん、Mさんとのメールでのやり取りである。

Mさんが、ウイーン、プラハ、ブタベスト等に旅行するので、その壮行会をやろうと言うことになって、小生が場所を探すことになっていた。

Kさんも、Mさんもその昔、大学時代に渋谷にある名曲喫茶「ライオン」には足しげく通ったとのこと、場所は文句なく「ライオン」に決定。

当日は、先ず「美登利寿司」で腹ごしらえ。
この寿司がまた格別にうまかった。

続いて、昔の恋人に会いに行く心境?で一同期待に胸を膨らませて「ライオン」に向かう。

店内に入ると、木造の床は歩くたびに、みしみしと音をたて、椅子は今にも壊れてしまうのではないかと、心配になるほどの年代物。

何か、昔の形に一切手を加えて欲しくない、とそれぞれの調度類が、自己主張しているような、80年と言う長い風雪に耐えてきた店の歴史を物語る、そのたたずまいに、先ずはびっくり。

ここだけ「時間が止まっている」世界のように思えてくる。

コーヒーを飲みながら、店内に流れるブラームスのクラリネット五重奏曲に耳を傾ける。

リクエスト可と言うことで、持参したカール・ベーム指揮、ウイーンフィルによるモーツアルトの「レクイエム」を聴く。

やわらかで、大らかで、ゆったりと心地よく耳に響く音である。決してリスナーを疲れさせない音でもある。聴いていて、「ああ、求めている音が、ここにある。」と感じた。

店には、ぼちぼちとお客さんが入ってくる。
中には、昼寝をしていると思われる人もいるが、ここに来る人は、一杯500円のコーヒーで、それぞれの「至福の時」を過ごす人が大半なのだと思う。

そのような人たちがいて、その人たちに支えられて、きっと「ライオン」の今があるのだろう。

小生は、「ライオン」は初めてだったが、このような店が80年も続いてこれたこと自体が一つの「奇跡」のように思われ、この奇跡がこれからも、ずっと続くことを心から願った。

今度は一人で来て、半日ぐらいゆったりと過ごしたい。