折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

その朝、時計の針が止まった~神様のように敬われ、慕われた人

2008-12-20 | 仕事・職場
今日12月20日は、小生の37年間の会社生活の中で、入社以来15年間にわたりお仕えした創業社長高山萬司さんの21回目の命日である。


そして、今、久しぶりに創業社長が亡くなられた時に編纂した社内報の「追悼」号を読んでいる。(会社を定年退職で辞める時、書類の類は廃棄処分してきたが、唯一、家に持ち帰ってきたのが、この社内報であった。)


社内報「追悼」号
表紙は創業社長の故郷である長野県の「常念岳」(写真:前田真三)



創業社長がお亡くなりになった時、小生は総務部に在籍していて社内報の編集も手がけていたので、さっそく「追悼」号の製作に着手した。

通常であれば、社内報の原稿は依頼しても中々思うように集まらないものだが、この「追悼」号に限っては、北は北海道から南は沖縄まで、それこそ津々浦々から、また、工場、営業、工事等職種を選ばず沢山の原稿が寄せられた。

どの原稿にも創業社長との濃密な思い出、エピソードがぎっしりと綴られていて、一人一人の創業社長への思いが、ひしひしと伝わってくる内容であった。

これらの思い出やエピソードは、現場第一主義を終生実践され、工場に行けば真っ先に工員一人一人に声をかけ、支店に行けば末端の営業所を回って営業マンを激励するなど創業社長が従業員との話し合いを大切にし、その機会を多く持ったことで沢山の従業員が創業社長のお人柄に接することができたから、生まれたと言えると思う。

それらの原稿に目を通しながら、この時ほど社内報の編集冥利を感じたことはなかった。


それら多くの原稿の中で、特に感銘を受けたのが、次のAさんの文章であった。


Aさんは、当社が昭和31年に資本金100万円、従業員19名で創業した時のメンバーの一人で、地方の中学校を卒業して、工場に勤めていた。

その当時もすごく感銘したが、20数年たった今、改めて読み返して見ても、心打たれる内容である。



目に浮かぶオヤジの錆止め作業

○○営業所    A

昔を振り返って見ますと、亡き社長との思いでは数限りなく頭の中をよぎりますが、特に心に残っていることを書いてみたいと思います。

十数年間止まったことのない腕時計が、その朝ぴったりと動かなくなってしまった。

不吉な予感を感じるまま出社して見ると、社長の不幸を知らされました。

「オヤジが亡くなった」私はその場に立ち竦んでしまいました。

その当時は、亡き社長を父親以上に慕っていましたから、心の中では常に「オヤジ」と呼んでいました。

思い起こせば、尼崎の工場で社長自身が作業服を着て、スラットに錆止め塗装をしていた姿が先ず目に浮かびます。

当時のスラットは波板を鋲で1枚に綴ったもので、一人では返すことができなかったため、社長と二人で両端を持ち、よく作業を手伝っていただいたものです。

1日の仕事が終わると社長宅へうかがい、優しい奥さんの手料理を一緒に食べさせてもらい、それがたまらなくおいしかったことなどがありありと思い出されます。

それから会社は急激に発展し、そのたびに社長は遠い存在になっていきましたが、53年に私が怪我をして東京の厚生病院へ入院した折、真っ先にかけつけて下さった時、心優しい社長を再び見ることができました。

その当時、社長が常に言われていたことは、「会社が大きく発展するたびに後輩が入社してくるから先輩として色々教え、自分を追い越さすように指導すれば会社は伸びる」、「部下思いの上役、先輩は後輩を育てる心がいつも社内に続く限り、三和は発展する」

このようなことを日頃、口にされていたものでした。

以上のような出来事は、これからも私の人生の糧として、いつまでも心に残るでしょう。

最後に心から亡き社長のご冥福をお祈り申し上げます。


「十数年間止まったことのない腕時計が、その朝ぴったりと動かなくなってしまった」と言う件(くだり)を読んだ時は、Aさんと創業社長との「絆」の強さに「焼餅」を焼きたくなるほどうらやましく思い、「会社が急激に発展するたびに社長は遠い存在になっていった」、「怪我をした折に、真っ先にかけつけてくれた時に、心優しい社長を再び見ることができた」と言う件(くだり)には、短い文面の中にAさんの心情が余すことなく語られていて、読みながら感動したのであった。

Aさんに限らず、当時の従業員は、皆、創業社長を神様のように敬い、親のように慕っていて、この社長のためなら、「火の中、水の中」をもいとわぬような気持ちで日々仕事に邁進していた。

今では到底考えられないような強い信頼の絆が創業社長と従業員の間に確かに存在していたのである。

このAさんの文章に小さな会社が急成長を遂げていく「秘密」の一端を垣間見たように思った。


小生の会社人生の中で誇りとしているところは、20代前半から30代後半という最も多感な時代に、経営者として、そして一人の人間として、心から尊敬できる偉大な方のお側近くに仕え、親しくその薫陶を受け、忘れえぬ数々の思い出をいただいたことである。

そして、自分の人生の中で創業社長にめぐり合えたことをこの上なく幸せなことであったと心から感謝している次第である。

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