折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

冷徹な「リアリスト」&好奇心旺盛な「ロマンチスト」~追悼、S元副社長

2008-12-18 | 仕事・職場
久しぶりに元上司だったSさんと池袋で昼ご飯を食べ、上機嫌で家に戻って来た小生を待っていたのは、37年間の会社生活の中にあって、「陰に日向に」小生を引き立ててくれた「恩人」とも言うべきS元副社長の訃報であった。

開いたメールに書かれていた「大腸がん」という言葉を見て、
「ええっ!」と絶句してしまった。
そして、「うそだろう」と何回もメールを読み直した。


Sさんは、昭和39年入社で、「大卒」の第1期生であった。

小生はSさんより2年遅れて入社し、Sさんとは部署は違っていたが、入社当時から個人的に大変可愛がってもらった。

いつもにこにことしていて、人当たりもソフトで小生にとっては「兄貴分」のような存在で、甘え、慕っていた。

そして、そういうプライベートのお付き合いが長いこと続いた。


そんなSさんと一緒に仕事をした経験が2回ある。
いずれもSさんが上司であった。


一度目。
Sさんは一時期、総務部にあって「不遇」をかこっていた小生を、自分が所管していた経理部門に異動させ、「財務」の責任者として会社の資金運用に当たらせてくれたのである。

そして、1年間小生の仕事振りをじっくりと観察し、部長のポジションに引き上げて、もとの職場である総務部に戻してくれたのであった。
それは、まさに「大抜擢」と呼べるものであった。(経理への異動の時は、1ランク「降格」、総務へ戻る時は、2ランク「昇格」)

小生にとっては、不遇な時代から救い出してくれた「恩人」であった。

二度目。
数年後、Sさんは役付き役員として管理部門全体を総括する立場となり、小生はSさんの下で経理部門の責任者として経理全般を見ることになった。


それまでは、仕事上での関係は数年前に財務を担当していたわずか1年間、それ以外は、ほとんどが個人的なお付き合だったこともあり、小生には、Sさんは、いつもにこにこして、面倒見の良い、頼りがいのある兄貴のような存在、と思う気持ちが色濃く残っていて、わからないことがあれば教えてくれるだろうと、当初楽観的な気持ちでいたが、いざ、一緒に仕事をして見て、そんな甘い期待は粉微塵に吹き飛んでしまい、Sさんの仕事とプライベートを峻別する、その余の「落差」にショックを受けたことを今でもありありと思い出す。


そのSさんは、当時の当社の役員としては珍しく、仕事以外にもさまざまな分野に興味と関心を持つ、社内随一の「勉強家」であり、「教養人」であった。

そして、社長にその手腕を買われ、辣腕を振るって、社長の信頼を得て「副社長」にまで上り詰めた。

この間、地位が上がるにつれ、物腰、言動がその地位にふさわしいものになっていくのを目の当たりにして、「地位」が人を作るって、こういうことを言うのだろうな、多分、目に見えないところで、大変な努力をしているのだろうな、と思って眺めていた。

その意味では、Sさんは当社役員の中で唯一、
経営者としての冷徹な「リアリスト」の側面と一人の人間としての好奇心旺盛な「ロマンチスト」の側面を併せ持つ稀有な存在であったように思う。
そして、それがまさにSさんの最大の魅力であった。

また、仕事を離れたときに見せる天真爛漫さも魅力の一つであった。

それは、大好きなゴルフのときに顕著に現れる。

Sさんとのゴルフは、公私にわたり数え切れないくらい一緒にプレーした。

子供のように無邪気な所がとても魅力的で、はしゃぎながらゴルフに興じる姿からは、あの仕事での厳しさは想像すらできない。

底抜けに明るいゴルフで、「握って」チョコレートをとられても、憎めない所があった。

そして、ここ一番で見せる「勝負強さ」は、Sさんの持って生まれた「勝負師」としての「芯」の強さの現われといえるだろう。


Sさんは、企業人としては「功なり、名とげ」、昨年3月に完全に会社から身を引き、これから一人の人間として「自己実現」の道を求め始めた矢先に病魔に倒れ、その「志」は叶わぬものとなってしまった。
好奇心旺盛なSさんのことである、やりたいことがたくさんあったに違いない・・・・。痛恨の極みである。

心からお悔やみ申し上げますと共に、ご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

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