前回に続いて、オーディオ談笑会にまつわる話しである
今回開催されたオーディオ談笑会の席上、酒を酌み交わし、話題が盛り上がる中、主宰者であるKさんからタンノイオートグラフのエンクロージャを『自作』した時の貴重なエピソードを聞かせてもらうことができた。
以下は、その時のKさんの話である。
Kさんのリスニングルームの全景
<Kさんの述懐>
このエンクロージャーを自作したのは、昭和55年頃だからかれこれ20年ぐらい前の話になるけど、今考えて見ると、幾つもの『縁』に恵まれてはじめてなしえたことだったな、と正直感謝の気持ちでいっぱいだね。
『縁』 その1
タンノイオートグラフのスピーカのエンクロージャ自作にまつわる幾多の縁を取り持ってくれた地が広島だったんだ。その意味からすれば、最大の縁は19年前の広島への転勤ということになるかな。
きっかけは赴任してしばらくして届いたオーディオ誌「ステレオサウンド(SS誌)」にティアック社(本社東京)が「英国タンノイ社のスピーカユニットK3808を輸入販売」するとの記事が掲載されていたことだった。
話しは少しそれるけど、以前から愛読していた「ステレオサウンド(SS誌)」が、ひょっとしたら広島では購読できないのではと思って転勤前に継続の手続きを済ませてたんだ。そのSS誌にこの情報が出ていたんだから、これも何かの因縁だよね。
それにしても、この情報は『驚天動地』だったよね。
だって、あの頑固一徹のタンノイ社が、システムでなくスピーカユニットを単体で売り出すなんてマニアの間では考えられなかったもの。
英国タンノイ社のスピーカユニットK3808の写真
タンノイ社が自社工場で手作りしたエンクロージャーにモニターゴールド15を搭載し、オートグラフの名で世界にその名声を轟かせた、そのスピーカがエンクロージャーとは別個に買えるとは!!。千載一遇のチャンスだもの、即予約注文したよ。注文殺到だったらしかったけど手に入れることができたのは本当にラッキーだったよね。
このスピーカユニットK3808の予約が全ての始まりで、摩訶不思議な『縁』につながっていくことになったんだ。
『縁』 その2
住んだ所が広島の片田舎だったけど、たまたま家内と行った市内のD電化店に何とタンノイオートグラフのオリジナルが置いてあったこと、これはエンクロージャー作りの決定的な『縁』となった。
日本中を探しても、秋葉原のしかもごく一部の専門店以外ほとんど見当たらないタンノイオートグラフのオリジナルがどうしてあんなところで売られていたのか、今もって不思議、謎だね。(オリジナルだとは銘板をみればすぐわかった。)
そして、この電化店のフロア責任者と『肝胆相照らす仲』となったのも、また一つの大きな『縁』だった。
と言うのは、スピーカユニットは確保できたが、ボックス=エンクロージャをどうやって確保するかが次の大問題。
展示されているオリジナルタンノイオートグラフを購入するのは、どう『逆立ち』しても無理な話。と言ってエンクロージャのみ売ってくれるはずもない。となれば、無謀と言われようが自作しかない。
なぜ無謀かと言うと、あの頃はタンノイの工場が火災にあって、ほとんどが焼けてしまい、資料らしきものは存在しなかったんだ。
職人が一品一品手作りしていたため確かな設計図がなかったようだし、肝腎の手作りに使用した治具さえ消失し、オートグラフの製造はできなくなってしまったとも聞いていたから。
だから、何とかしてこの電化店のオートグラフの寸法をあたって自分の設計図を作りたい。そんな私の熱意が通じたのか、D電化店のフロア責任者が協力してくれて、エンクロージャのフロントグリルを専用のキーで開けて中を見せてくれたり、寸法を測ってもいいよと言ってもらえたのは、実にありがたかったし、うれしかった。(測れる個所はすべてミリ単位で記録した。ただ複雑極まりないバックロードホーンの内部の細部まで測ることは無理だった。これで外形とフロントロードホーン関連は分かった。)
Kさんが実測して作った原寸図等の一部
『縁』 その3
そして、さらに『縁』は続くんだ。
実は、地元のK木工屋さんとも仲良くなってね、そこの親方がわたしのスピーカの自作に共鳴してくれて、協力を惜しまなかったんだ。スピーカにとって、木は命だからね。木工屋さんの協力があれば、『鬼に金棒』だよ。これに勝る『縁』はないよね。D電化店に足を運んでオリジナルタンノイオートグラフが北欧系の針葉樹で樺材だと見抜いたのもこの親方だったんだ。
『縁』 その4
でも、『縁』はこれだけに止まらなかったんだ。
勤務していた工場の従業員Cさんがオートグラフの製作図の載っている雑誌を持っていて、提供してくれたんだ。Cさんはアンプ作りを趣味としていたらしいが、私がスピーカボックスの自作に取り組もうとしていることをどこからか聞きつけて、図面を貸してくれたんだ。すごく、ありがたかった、と同時に身近にオーディオマニアがいたことで勇気をもらった思いだったね。
Cさんから提供された製作図
製作図は企業秘密もあったのだろうか、100点にものぼる部材の一部部材が欠番だったり、肝腎のカット角度が明示されていなかったりと不完全なものだったけど内部構造やその組立状況がかなりはっきりし、製作の自信が一気に高まったんだ。
Cさんは縁結びの神様だったのかもしれないね。
これだけ『縁』が重なったので、長い間抱いてきた『夢』はきっと成就する、成就させなければと決意を新たにしたんだ。
それともう一つ、これは『縁』とは言えないけど、家族、特にかみさんの理解と協力が何と言っても大きな支えとなったね。
だって、毎週土、日はほとんど自作にかかりっきりで、それが半年以上も続いたんだから。
今こうして思い出してみると、繰り返しになるけど、取り持ってくれた幾つもの『縁』に感謝の気持ちでいっぱいだね。(談)
最後の言葉は、4年前に亡くなられた奥様への追悼の思いが込められていて、小生の心に響いた。
爾来20年余、Kさんのタンノイオートグラフをベストの状態で鳴らしたいと言う『至高の音』を求める『執念』にも似た情熱は、リスニングルームをも自分の手で作りあげるという一つの頂点に至った。
まさにKさんの『音の求道者』としての面目躍如である。
そして、そんなKさんのお蔭で小生とMさんは、オーディオ談笑会で熟成された芳醇なタンノイオートグラフの音を楽しめる幸せを十分に味わっている。
Kさんには、心からありがとうと感謝する次第である。
今回開催されたオーディオ談笑会の席上、酒を酌み交わし、話題が盛り上がる中、主宰者であるKさんからタンノイオートグラフのエンクロージャを『自作』した時の貴重なエピソードを聞かせてもらうことができた。
以下は、その時のKさんの話である。
Kさんのリスニングルームの全景
<Kさんの述懐>
このエンクロージャーを自作したのは、昭和55年頃だからかれこれ20年ぐらい前の話になるけど、今考えて見ると、幾つもの『縁』に恵まれてはじめてなしえたことだったな、と正直感謝の気持ちでいっぱいだね。
『縁』 その1
タンノイオートグラフのスピーカのエンクロージャ自作にまつわる幾多の縁を取り持ってくれた地が広島だったんだ。その意味からすれば、最大の縁は19年前の広島への転勤ということになるかな。
きっかけは赴任してしばらくして届いたオーディオ誌「ステレオサウンド(SS誌)」にティアック社(本社東京)が「英国タンノイ社のスピーカユニットK3808を輸入販売」するとの記事が掲載されていたことだった。
話しは少しそれるけど、以前から愛読していた「ステレオサウンド(SS誌)」が、ひょっとしたら広島では購読できないのではと思って転勤前に継続の手続きを済ませてたんだ。そのSS誌にこの情報が出ていたんだから、これも何かの因縁だよね。
それにしても、この情報は『驚天動地』だったよね。
だって、あの頑固一徹のタンノイ社が、システムでなくスピーカユニットを単体で売り出すなんてマニアの間では考えられなかったもの。
英国タンノイ社のスピーカユニットK3808の写真
タンノイ社が自社工場で手作りしたエンクロージャーにモニターゴールド15を搭載し、オートグラフの名で世界にその名声を轟かせた、そのスピーカがエンクロージャーとは別個に買えるとは!!。千載一遇のチャンスだもの、即予約注文したよ。注文殺到だったらしかったけど手に入れることができたのは本当にラッキーだったよね。
このスピーカユニットK3808の予約が全ての始まりで、摩訶不思議な『縁』につながっていくことになったんだ。
『縁』 その2
住んだ所が広島の片田舎だったけど、たまたま家内と行った市内のD電化店に何とタンノイオートグラフのオリジナルが置いてあったこと、これはエンクロージャー作りの決定的な『縁』となった。
日本中を探しても、秋葉原のしかもごく一部の専門店以外ほとんど見当たらないタンノイオートグラフのオリジナルがどうしてあんなところで売られていたのか、今もって不思議、謎だね。(オリジナルだとは銘板をみればすぐわかった。)
そして、この電化店のフロア責任者と『肝胆相照らす仲』となったのも、また一つの大きな『縁』だった。
と言うのは、スピーカユニットは確保できたが、ボックス=エンクロージャをどうやって確保するかが次の大問題。
展示されているオリジナルタンノイオートグラフを購入するのは、どう『逆立ち』しても無理な話。と言ってエンクロージャのみ売ってくれるはずもない。となれば、無謀と言われようが自作しかない。
なぜ無謀かと言うと、あの頃はタンノイの工場が火災にあって、ほとんどが焼けてしまい、資料らしきものは存在しなかったんだ。
職人が一品一品手作りしていたため確かな設計図がなかったようだし、肝腎の手作りに使用した治具さえ消失し、オートグラフの製造はできなくなってしまったとも聞いていたから。
だから、何とかしてこの電化店のオートグラフの寸法をあたって自分の設計図を作りたい。そんな私の熱意が通じたのか、D電化店のフロア責任者が協力してくれて、エンクロージャのフロントグリルを専用のキーで開けて中を見せてくれたり、寸法を測ってもいいよと言ってもらえたのは、実にありがたかったし、うれしかった。(測れる個所はすべてミリ単位で記録した。ただ複雑極まりないバックロードホーンの内部の細部まで測ることは無理だった。これで外形とフロントロードホーン関連は分かった。)
Kさんが実測して作った原寸図等の一部
『縁』 その3
そして、さらに『縁』は続くんだ。
実は、地元のK木工屋さんとも仲良くなってね、そこの親方がわたしのスピーカの自作に共鳴してくれて、協力を惜しまなかったんだ。スピーカにとって、木は命だからね。木工屋さんの協力があれば、『鬼に金棒』だよ。これに勝る『縁』はないよね。D電化店に足を運んでオリジナルタンノイオートグラフが北欧系の針葉樹で樺材だと見抜いたのもこの親方だったんだ。
『縁』 その4
でも、『縁』はこれだけに止まらなかったんだ。
勤務していた工場の従業員Cさんがオートグラフの製作図の載っている雑誌を持っていて、提供してくれたんだ。Cさんはアンプ作りを趣味としていたらしいが、私がスピーカボックスの自作に取り組もうとしていることをどこからか聞きつけて、図面を貸してくれたんだ。すごく、ありがたかった、と同時に身近にオーディオマニアがいたことで勇気をもらった思いだったね。
Cさんから提供された製作図
製作図は企業秘密もあったのだろうか、100点にものぼる部材の一部部材が欠番だったり、肝腎のカット角度が明示されていなかったりと不完全なものだったけど内部構造やその組立状況がかなりはっきりし、製作の自信が一気に高まったんだ。
Cさんは縁結びの神様だったのかもしれないね。
これだけ『縁』が重なったので、長い間抱いてきた『夢』はきっと成就する、成就させなければと決意を新たにしたんだ。
それともう一つ、これは『縁』とは言えないけど、家族、特にかみさんの理解と協力が何と言っても大きな支えとなったね。
だって、毎週土、日はほとんど自作にかかりっきりで、それが半年以上も続いたんだから。
今こうして思い出してみると、繰り返しになるけど、取り持ってくれた幾つもの『縁』に感謝の気持ちでいっぱいだね。(談)
最後の言葉は、4年前に亡くなられた奥様への追悼の思いが込められていて、小生の心に響いた。
爾来20年余、Kさんのタンノイオートグラフをベストの状態で鳴らしたいと言う『至高の音』を求める『執念』にも似た情熱は、リスニングルームをも自分の手で作りあげるという一つの頂点に至った。
まさにKさんの『音の求道者』としての面目躍如である。
そして、そんなKさんのお蔭で小生とMさんは、オーディオ談笑会で熟成された芳醇なタンノイオートグラフの音を楽しめる幸せを十分に味わっている。
Kさんには、心からありがとうと感謝する次第である。
飯野と申します。
私は、現在オートグラフを自作しようと図面を書き始めた所です。こちらのブログに出ていますオ「ーディオ談笑会主宰者であるKさん」が自作されている事を知りました。
kさんが手に入れられた雑誌も入手し寸法をあれこれCADで入力し始めたのですが解らない事だらけで困っています。
もし可能ならkさんに質問をさせて頂きたいのですがどの様にすればよろしいでしょうか?
初めてでありながら勝手な相談ですが宜しくお願いいたします。
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そのメールを貴兄に転送できますが、メールアドレスを教えていただけますか?
基本的には、Kさんはご協力は惜しまないというスタンスですが・・・。
厚かましいお願いをお聞き入れありがとうございました。
それでは恐縮ながら私のアドレスを連絡申し上げますのでよろしくお願いいたします。
kazunori@gruppe-iino.com
です。
Kさんによろしくお伝えください。
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