<大先輩>
小生が月2回通っている池袋にあるカルチャー・スクール「書道教室」でのこと。
「あなた、よく書いたわね」
「わたしが書いたのは、もう一昔も前のことよ」
「わたしには、残念だけどとてもこれを書くだけの気力も体力もないわよ」
「そう、そう、これを書くのには、根気と集中力がいるのよね」
「あなたは、まだ、若いからできるのよ。うらやましいわね」
その日は、7月に書道教室が開催する展示会の申し込み締切日で、この教室の大先輩・古参の人たち(ほとんどの人が70歳代の女性)が多数顔を出していた。
皆、「一家言」持っているお歴々である。
その人たちが、小生が出典作品として持参した「千字文(せんじもん)」を見て示した反応が冒頭の会話である。
さすがによる年波には抗せないのか、出てくるのは昔を懐かしむ声ばかりである。
しかし、決して作品を誉めないのは大先輩としての「矜持」か?
その点、先生は
「とってもきれい、いいわよ」
と誉め上手である。
<一行46文字、23行。一行1時間>
リタイア後の趣味の一つとして、この書道教室に通いだしてからもう6年になる。
普段はお年寄りの「社交場」の感のある、のんびりした教室も、展示会を控え、今月中に出品作品にめどを立てなければならない、この季節だけは皆真剣である。
ほとんどの人が、先生のお手本を書いて出品しているが、小生は最初の年だけはそうしたが、翌年以降は自分で書きたい作品を選んで出品している。
昨年は、「般若心経」の写経を、今年は「千字文」にチャレンジしている。
お手本として使用した大貫思水著「新版四体千字文」
千字文は、天地万象をうたい上げて、重複する文字が一字もない、四言二百五十句、一千字の詩である。
作者は梁の武帝の臣、周興嗣。彼は武帝の命によって、この千字文を一夜にして作り上げたが、そのために鬢髪ことごとく白く変わったと伝えられる。
今回はこの「千字文」を一行46文字、23行の罫線入りの全紙(幅70㎝、長さ140㎝)を使って書いた。
一行46文字を書くのに要する時間は、およそ1時間弱。
23行書き終わるには、23時間かかる計算になる。
午前中2行、2時間、午後3行、3時間、1日5時間書いたとして、5日間かかる勘定だ。
この間、一字でも間違えたり、脱字があったりすれば最初からやり直しである。
昨年の「般若心経」は全文で262文字であったが、誤字脱字には随分と神経を使った。
それに比べ今回の「千字文」はその名が示す通り全文で1000字である。
その大変さにおいて、「般若心経」の比ではない。
手本を見ながら書いていくのだが、書く方にばかり神経を使っていると、思わぬ落とし穴が待ち受けている。読み飛ばしによる「脱字」である。
「あっ」と気が付いても後の祭り、それまでの苦労が一瞬にして「水の泡」である。
半分ぐらい書いてきて、脱字をしてしまったことが数回あった。
そういう時は、少なからぬショックで、しばらくは、立ち直れない。
途中まで書いてきて、「脱字」のためボツになった書きかけの作品
そういう時は、「書いていて気に入らなかった字や、気になっていた字の不揃いなどもあったので、これらを直して、もっと完璧なものを書こうと」ポジティブに考えて、再び筆を取ることにしている。
まさに、「根気」と「集中力」が試されているのである。
逆に言えば、この「根気」と「集中力」が何ともたまらない快感なのである。
作品提出の締切日は5月18日。
もう1カ月も残されていない。
ラストスパートである。
これまで、「出ずっぱり」であったため、作品に取り組む時間がなかったが、一段落した今は、午前中2時間、午後3時間のノルマを課して「書道三昧」の毎日である。
これまで書いたのは4枚。
気力を振り絞って、今、5枚目にアタックしている最中である。
小生が月2回通っている池袋にあるカルチャー・スクール「書道教室」でのこと。
「あなた、よく書いたわね」
「わたしが書いたのは、もう一昔も前のことよ」
「わたしには、残念だけどとてもこれを書くだけの気力も体力もないわよ」
「そう、そう、これを書くのには、根気と集中力がいるのよね」
「あなたは、まだ、若いからできるのよ。うらやましいわね」
その日は、7月に書道教室が開催する展示会の申し込み締切日で、この教室の大先輩・古参の人たち(ほとんどの人が70歳代の女性)が多数顔を出していた。
皆、「一家言」持っているお歴々である。
その人たちが、小生が出典作品として持参した「千字文(せんじもん)」を見て示した反応が冒頭の会話である。
さすがによる年波には抗せないのか、出てくるのは昔を懐かしむ声ばかりである。
しかし、決して作品を誉めないのは大先輩としての「矜持」か?
その点、先生は
「とってもきれい、いいわよ」
と誉め上手である。
<一行46文字、23行。一行1時間>
リタイア後の趣味の一つとして、この書道教室に通いだしてからもう6年になる。
普段はお年寄りの「社交場」の感のある、のんびりした教室も、展示会を控え、今月中に出品作品にめどを立てなければならない、この季節だけは皆真剣である。
ほとんどの人が、先生のお手本を書いて出品しているが、小生は最初の年だけはそうしたが、翌年以降は自分で書きたい作品を選んで出品している。
昨年は、「般若心経」の写経を、今年は「千字文」にチャレンジしている。
お手本として使用した大貫思水著「新版四体千字文」
千字文は、天地万象をうたい上げて、重複する文字が一字もない、四言二百五十句、一千字の詩である。
作者は梁の武帝の臣、周興嗣。彼は武帝の命によって、この千字文を一夜にして作り上げたが、そのために鬢髪ことごとく白く変わったと伝えられる。
今回はこの「千字文」を一行46文字、23行の罫線入りの全紙(幅70㎝、長さ140㎝)を使って書いた。
一行46文字を書くのに要する時間は、およそ1時間弱。
23行書き終わるには、23時間かかる計算になる。
午前中2行、2時間、午後3行、3時間、1日5時間書いたとして、5日間かかる勘定だ。
この間、一字でも間違えたり、脱字があったりすれば最初からやり直しである。
昨年の「般若心経」は全文で262文字であったが、誤字脱字には随分と神経を使った。
それに比べ今回の「千字文」はその名が示す通り全文で1000字である。
その大変さにおいて、「般若心経」の比ではない。
手本を見ながら書いていくのだが、書く方にばかり神経を使っていると、思わぬ落とし穴が待ち受けている。読み飛ばしによる「脱字」である。
「あっ」と気が付いても後の祭り、それまでの苦労が一瞬にして「水の泡」である。
半分ぐらい書いてきて、脱字をしてしまったことが数回あった。
そういう時は、少なからぬショックで、しばらくは、立ち直れない。
途中まで書いてきて、「脱字」のためボツになった書きかけの作品
そういう時は、「書いていて気に入らなかった字や、気になっていた字の不揃いなどもあったので、これらを直して、もっと完璧なものを書こうと」ポジティブに考えて、再び筆を取ることにしている。
まさに、「根気」と「集中力」が試されているのである。
逆に言えば、この「根気」と「集中力」が何ともたまらない快感なのである。
作品提出の締切日は5月18日。
もう1カ月も残されていない。
ラストスパートである。
これまで、「出ずっぱり」であったため、作品に取り組む時間がなかったが、一段落した今は、午前中2時間、午後3時間のノルマを課して「書道三昧」の毎日である。
これまで書いたのは4枚。
気力を振り絞って、今、5枚目にアタックしている最中である。
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