幼なじみと聴きに行っているクラシックコンサート。
8月、9月は「猛暑」につき休会。
2カ月ぶりに、「いつもの時間」、「いつもの場所」、「いつもの寿司」を食べ、「いつもの喫茶店」で「いつものようにおしゃべり」をして、いざコンサート会場へ。
今回は、ショパンのピアノ協奏曲とチャイコフスキーの交響曲。
以下は、いつものとおり会話風の感想である。
― 久しぶりのコンサートは聴き応えは勿論見ごたえもあって、とっても満足だったったわ
― その見ごたえだけど、何と言ってもソリストの菊池洋子さんだわよね。彼女、プロポーション抜群で、手足が長く、ノースリーブの細く白く長い手がまぶしく、ちょっとなまめかしくもあった。
― 長い指がピアノの鍵盤の上を魔法のように動き回るさまには、唖然として見とれてしまった。
― しぐさや表情がよくわかるのも、コンサートならではだよね。
― 目の前で弾いている演奏者をみていると、自分も自然と感情移入してしまい、一緒に音楽の中に入り込んでしまうみたいになってしまう。
― 聴き応えの方だけど、チャイコフスキーの第1楽章の冒頭のホルンとファゴットのファンファーレが響いた瞬間からすっかり音楽の中に引き込まれてしまっていた。
― 第3楽章の弦楽器群によるピチカートの演奏には、しびれてしまった。あの場面は、聴き応え、見ごたえ共に満点だった。
― 第4楽章の耳をつんざくようなあわせシンバルの強打、深々と鳴るチューバの響き、もの凄かったね。
― シンバルやチューバをはじめ金管楽器群がこれだけ派手に活躍する音楽は初めてだよね。
― 第2楽章のオーボエのソロも聴き応えがあった。
― チャイコフスキーのこの交響曲は、オーケストラの能力をとことん引き出させてしまう曲だよね。
― それだけに指揮者の実力が問われるわけだが、今日の指揮者はオーケストラの全能力を実に見事に引き出して、スリリングなチャイコフスキーを演奏してくれたよね。
― 第4楽章のフィナーレの盛り上がりには興奮し、感動した。
8月、9月は「猛暑」につき休会。
2カ月ぶりに、「いつもの時間」、「いつもの場所」、「いつもの寿司」を食べ、「いつもの喫茶店」で「いつものようにおしゃべり」をして、いざコンサート会場へ。
今回は、ショパンのピアノ協奏曲とチャイコフスキーの交響曲。
以下は、いつものとおり会話風の感想である。
― 久しぶりのコンサートは聴き応えは勿論見ごたえもあって、とっても満足だったったわ
― その見ごたえだけど、何と言ってもソリストの菊池洋子さんだわよね。彼女、プロポーション抜群で、手足が長く、ノースリーブの細く白く長い手がまぶしく、ちょっとなまめかしくもあった。
― 長い指がピアノの鍵盤の上を魔法のように動き回るさまには、唖然として見とれてしまった。
― しぐさや表情がよくわかるのも、コンサートならではだよね。
― 目の前で弾いている演奏者をみていると、自分も自然と感情移入してしまい、一緒に音楽の中に入り込んでしまうみたいになってしまう。
― 聴き応えの方だけど、チャイコフスキーの第1楽章の冒頭のホルンとファゴットのファンファーレが響いた瞬間からすっかり音楽の中に引き込まれてしまっていた。
― 第3楽章の弦楽器群によるピチカートの演奏には、しびれてしまった。あの場面は、聴き応え、見ごたえ共に満点だった。
― 第4楽章の耳をつんざくようなあわせシンバルの強打、深々と鳴るチューバの響き、もの凄かったね。
― シンバルやチューバをはじめ金管楽器群がこれだけ派手に活躍する音楽は初めてだよね。
― 第2楽章のオーボエのソロも聴き応えがあった。
― チャイコフスキーのこの交響曲は、オーケストラの能力をとことん引き出させてしまう曲だよね。
― それだけに指揮者の実力が問われるわけだが、今日の指揮者はオーケストラの全能力を実に見事に引き出して、スリリングなチャイコフスキーを演奏してくれたよね。
― 第4楽章のフィナーレの盛り上がりには興奮し、感動した。
<新クラシックへの扉> プログラム
ショパン ピアノ協奏曲第1番ホ短調
チャイコフスキー 交響曲第4番へ短調
指揮:十束尚宏
ピアノ:菊池洋子
演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団
チャイコフスキー 交響曲第4番へ短調
指揮:十束尚宏
ピアノ:菊池洋子
演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団