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toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

380-300421高畑監督追悼番組「火垂るの墓」に涙す

2018年04月21日 | 小説・映画・など

  出典 https://kensnews.net/?p=6223 

宮崎駿氏とアニメ動画の双璧の一人の高畑勲氏が亡くなられた。この報に

接するまでお名前を知らなかった。訃報の解説であの名作「火垂るの墓」

の監督だったと知った。息子たちが幼かったころ一緒に見ていた「母を尋

ねて三千里」などのアニメが氏の手になった作品だったことを初めて知っ

た。

追悼番組として先週「火垂るの墓」が放映されたので30年ぶりに鑑賞す

る。映画の主人公は清太少年と妹の節子。今風に言えば清太は中3、節子

は年中の幼稚園生か。重巡洋艦摩耶に乗り組む海軍士官の夫婦の間に生ま

た兄妹は何不自由ない恵まれた暮らしがあった。その生活は神戸を襲っ

空襲で一変する。母親は重度のやけどで死に、父親の安否も不明(摩耶

この1年前にレイテ沖海戦で雷撃で沈没していた)。二人だけで一面の

焼け野に放り出されてしまう。被災者みんなが自分が生き残ることに必

死だっ中で2ヵ月は頑張った。そして力尽きて先に妹が死に、ひと月後、

兄もノ宮駅舎の柱にもたれかかって栄養失調で死ぬ。現在まで生きてい

たとれば清太は85歳くらい、節子はGと同じくらいのおばあさんになっ

ていだろう。あの時代の記憶は私にも残る。

食料事情は物語と同じようなものだった。その微かな記憶を思い出しなが

ら見ていると、30年前と同様またしても涙してしまう。節子の「お兄ちゃ

ん・・」の声が切ない。広島で長崎で東京はじめ地方都市で多くの悲劇が

襲った。満州からの逃避行も苛烈悲惨だった。

そして

読んでなかった原作野坂昭如著「火垂るの墓」を読む。読み始めてすぐ違

和感を感じる。とにかく一つの文節が長い。調べてみると野坂氏独特に筆

使いのようだ。長いのは丸々1ページ句読点だけで続いていく。

内容が平易なので主語述語を意識することなく意味は判るが、慣れるまで

多少の忍耐が必要だ。映画が原作を徹底して忠実に再現していることに驚

く。これほど原作に忠実な映画に接したことがない。この短編小説はアニ

メ動画と表裏となり、印象深い作品となった。

 

さて

 

私の山登りは春と秋のそれぞれの2カ月のみ。春のシーズンは新緑に包ま

れた山に魅了される。藤岡市の世界文化遺産に指定された高山社奥の御嶽

山に登る。御岳講と何らかの関係があるのかもしれないが、本家の木曽の

御岳に比べるとはるかにこじんまりした藪山。先週の山歩きの北に位置す

る。期待したとおりの新鮮な緑に染まりながらの楽しい4時間だった。

出発地からいきなりの200mの高度差を登りきれば、あとは地図には表

示されない規模だが結構な斜度の登り下りが何度も繰り返して現れる尾根

筋のコース。以下新緑に包まれた尾根道を紹介します。

 

上の高みがこれから登る尾根の一部。

新緑に覆われたとりつきの林道で。

緑の尾根に取りついた。頭上にかぶさる木々の新緑。

両側は樹木覆われてはいるが急角度で落ち込んでいる。その尾根道を塞ぐ

ようなクヌギの巨木

ミツバツツジか、咲き始めている。

カメラ設定を間違えたまま撮る。現物はもっと鮮やかな緑と赤

尾根道最後のコブを登ったところにあった案内板。

 

このシーズンは猿ヶ京の些奥、永井から旧三国街道を上越国境三国峠

まで歩き、折返し法師温泉までの道を辿ってみたい。見捨てられた往時の

街道の新緑はどんなだろう・・

 

 

 

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1 コメント

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天狗山 (クタビレ爺イ)
2018-04-25 13:52:20
お手紙拝見しました。天狗からの南進下降
は過去二度ほどやっていますが何れも
994.5三角点・唐沢まで下って種山林道に
引き返していますのでそのまま、林道・
榛名南線まで下ったことはありません。
小生ブログの右サイドバーにある
「バックナンバー」から2011-5-15の記事をご参照ください。お役に立てられれば
良いのですが、七年も前の記録ですので
雑な書き方ですが。
このルートを最初に下ったのは2005-5-28。
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