我が住む町に新しくT芸術劇場が230億円の巨費をかけて完成した。そのこけら落とし
の式典の一つとして、加藤登紀子&森山良子ジョイントコンサートがあった。
新幹線の停車駅の東口で駅から徒歩5分の好立地。戦後の荒れた世相の中で産声を上げた
群馬交響楽団が本拠地を置く街。生のオーケストラを身近に聴ける街。その場所として半
世紀前に完成した音楽センターの音響効果が相対的に劣るようになり、数年前から新しく
芸術の殿堂を目指して建設が始まっていた。我が家からも徒歩10分の場所。 外部はしゃ
れたオフィスビルといった感じだが、は内部は なるほど! と驚く豪華な作り。
街の賑やかな地域は、我々が少年の時代からみると、南東に1km移ってしまった。昔の
繁華街は寂れる一方、駅を中心とした人の流れに完全に変わってしまった。このことにつ
いての議論はさておき、コンサートの感想。
おときさんにしても、良子ちゃんにしても、普段歌声は車の中のCDから聞くことが多い。
そのイメージが強い。群響のフルオーケストラによる演奏からコンサートは始まった。関
係者が自慢するだけに素人の耳にもその生演奏の素晴らしい音が耳に飛び込む。えもいわ
れぬ音のまろやかさ。これぞ生だ!
間もなくおときさん登場。 フルオーケストラの伴奏で琵琶湖周航の歌から始まった。大
好きな歌だ。
?? やがて耳を疑い、目をこする。本人??
中高音域はともかく低音部なると声のカスレが気になった。迫力あるオーケストラの音に
負けまいと声を振り絞るのとマイクの感度を上げスピーカーの音量を大きくするから余計
増幅されるのか? 自慢の音響効果がマイナスに作用していると素人には思えた。幕間に
つれあいもそんな感想をのべる。他の観客からも似たような声が聞こえる。
私らと一つしか違わない。おときさんも年取ったなと感じる。それでも最後の挨拶では声
が出る限り歌いますと決意を述べる。ならば無理して声を出さなくともよい場所で歌うか、
歌い方を年齢相応の味のあるものにしたほうが良いのでは・・・
一方森山良子は変わらぬ伸びのあるソプラノの美声は健在。それでも伴奏に負けまいと声
を振り絞る。普段耳にする彼女の無理のない自然体の高音域の声と較べてすこし違和感を
感じた。おときさんより若いと言ってデビューして半世紀が過ぎもはや古希。
有名無名を問わず人は年には勝てないな! 今日一番感じた現実。
自慢の音響効果を誇るあの壮大な空間でフルオーケストラをバックにして歌うのは、あれ
だけの実績を持つプロのソロシンガーでも少し無理があるのではないだろうか。
2日前のセレモニーであった群馬交響楽団と市民の第九合唱団によるベートーベンの交響
曲第九番ならば、会場に相応しいものがあっただろ。こちらのほうが聴きたかった。
おときさんのプロとしての名誉を汚したくないので、彼女の作詞家としての才能を感じさ
せる会場で手渡された詩を冒頭に掲げました。