toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

139-251026ドクターヘリ緊急搬送で飛来

2013年10月26日 | 最近さわがれること

P9045101 清楚な花にしてはどこにでも咲き、肥料も水遣りも不要な雑草の強さを持つ。名は知らず。

 

楽しみながらやらせてもらっている仕事(ケアマネージャー)の重要な作業、月に一

利用者宅を訪問して状況の確認作業(モニタリングという)のために数軒を訪問

し会社に戻る。

すぐそばの上越線の踏み切り付近に人だかり、何かと思って近くまで行くと、その

の日高遺跡の原っぱにヘリが着陸している。 一瞬不時着かと思う。 近くの人

に尋ねると病人の救急搬送みたいですよ、との返事。更に近付くと救急車が止ま

っている。 

 

Pa195220 Pa195219

救急隊員に近付く許可をもらって、カメラに記録する。

病院が災害時拠点病院に県から指定されていることは承知していた。 それゆえに

災害時に電気の供給が止まっても機能不全にならないように全館の電源確保のた

めの大規模な自家発電装置を2年前の大災害後に整えた。 

大事故発生の模擬訓練も毎年行っている。しかし急病の患者を実際にドクターヘリで

搬送する現場を見たのは初めてだ。 仔細に見たらヘリは前橋赤十字病院が管理し

いるドクターヘリだった。 病院の屋上はヘリポートにはなっていない。 近くにうま

具合に空き地があったものだ。

ヘリまで使っての急病患者は病院が得意とする腎臓病の急患だろうか。 助かって

欲しい。 理事長や支える幹部そして職員が頑張り地域になくてはならない病院に成

長させたことに敬意を表す。

ヘリの操縦士=制服制帽の中年の格好いい男と無意識に思っていた。 とんでもな

い、ブルー油シミの残るつなぎ服を着込み、長髪を後ろで束ねた男だった。 考え

てみれば緊に飛び立つのだから服装なんかに構っていられないのは当たり前だ。

格好よりも実な操縦技術が大切。

徳州会という日本最大の私的医療法人のグループが組織的な選挙違反の疑いでマ

スコミを騒がせている。 鹿児島県徳之島出身の徳田虎雄氏が地域医療の充実を掲

げてはじめた医療グループが今大きな曲がり角に立っている。 徳田氏は難病中の

難病であるALSに罹患してベッドに寝たきりだと聞く。 医療で稼いだ金を選挙に注

込み挙句の果てこの有様。 グループの各病院長は良識を持つ医師もおり、徳田

は理事長を退くという。 立派な理念を実現させたカリスマ性を持つ氏だけにこれ

以上晩節を汚すことのい事を祈る。

 

 

 

 

 

 

 

コメント

138-251019山王廃寺(前橋市総社町)

2013年10月19日 | 名所旧跡

Pa165216 台風26号の雲、東に遠ざかる。 高崎市総合福祉センターにて 10.16. am10

先週は柄にもなく重たい問題を論じてしまいました。 今週は軽い話題で済ませま

す。

久しぶりで「うまかうどん」食べに行く。 相変わらず胃袋を充分に満足させてくれるう

どんだ。 食後にこれも近くの総社町の「山王廃寺」を見学する。

1300年間の聖武天皇の御世に全国に建てられた「国分寺」の遺跡から直線で1km

ほどの住宅地の中にひっそりと位置する。 建築されたのは同時代の模様。

 

Pa055199 Pa055202

寺の全体の想像図                       発掘を祈念して建立された記念碑

Pa055200 Pa055205

五重塔の柱の礎石                        礎石に太い木柱がこのように建つ

 

Pa055203 Pa055204 Pa055201_3

発掘された「しび」 屋根の両端に鬼瓦のように備え付けられていた。

この寺院も平将門の乱の際に国分寺と共に消失してしまったとか。 現存していれ

ば第一級の貴重な文化財としての価値があったはず。 同様の建築はさすが奈良に

は現存する。 代表的なのは唐招提寺や薬師寺。

奈良中心の文化が栄えていた頃に、はるか500km離れた上毛の地も奈良朝の

世下にあったということになる。

Pa055206 太平洋戦争で奮戦した各種戦闘機。

遺構をはさんだ住宅地の道の反対側のタバコの自動販売機にこんなものがあった。

プラモデルの設計図のようだが、その時代を振り返りながら暫く眺める。

コメント

137-251012朝日新聞と産経新聞

2013年10月12日 | もろもろ

Pa180625 十文字草の群落、日光田母沢の大正天皇御用邸にて

小学生の頃、我が家は毎日新聞を購読していた。 高校に入学した頃、朝日に変

た。以来半世紀の長きにわたり、朝日を購読しつづけた。  先月朝日を止め上

毛新聞に変えることに夫婦で決める。 全国紙は産経デジタル版に変えた。 

Pa055211 Pa055210産経デジタル版

その理由。

 

妻 地元の行事や催し物の紹介等々、上毛が一番身近よ!

私 朝日とは対極にある論説を展開する産経を購読し、違った角度から社会を読

取ってみたい。(ちょっとええかっこうし! かな)

 

巷間、朝日は左より、産経や読売は右より。 日経は ま、その中間の論説を載せ

る。 このことは承知していた。 安倍総理は良くやっていると思う。 一回りも下の

代が総理大臣になるほど我も歳を重ねた。 格好良くいえば、酸いも甘いも理解

できる枯れた心境にようやくなれた。

安倍さんの日本再生の施策が必ず成功する保証はない。 しかし彼はぶれずに

進めようとする意欲を感じる。 国の方針は討議を尽くしたうえ、誰かが決めなけ

れば物事は先に進まない。 それは総理をおいて他にいない。

信念を持っていると感じる現総理を私は彼を支持する。

「Yes! We can. 」と叫んで米国民の閉塞感に窓を開けるかと期待されたオバ

大統領は、野党共和党との間に存在するねじれ現象に悩まされている。 わが

国も1年前まではこの状況だった。

 

・ 

昭和初期から敗戦までを題材にした小説を読んでいると、あの時代今を生きる

我々にはえられないようなむちゃくちゃな時代であった。 敗戦の衝撃が余りに

も強烈だっし、夫を息子をあたら戦場に死なせてしまった家族が戦争を心から嫌

悪する気持ちは良く理解できる。二度と戦争はしてはならない。全く同感である。

戦争に突入する過程を振り返ってみれば、私など小説での知識しかないので大そ

た事を言えはしないが、独断専行する軍を制御するどころか、行け行けと声援を

送らざるを得ないほど疲弊し、窮乏の時代だったことが大きな原因だろう。

自由に物がいえない時代、軍国教育、大小の原因は山ほどある。その一つだけを

り上げても論文が書けるかもしれない。

あれから70年が経過した。 一つまみの極右、極左の人たちを除いて、他国を侵

して奪うことが正義と考える人はいないだろう。 今は自由に物を言ってもなん

罰則はない。こんな時代は日本の歴史上なかったことだ。 その渦中にいると

ないが、過去と比べればわが国の民度は格段に進んだと思う。過ちを繰り返

い抑制できる力を持てる国民だ。

 

それゆえに自分の国をきちんと守る専守防衛の軍備は必要だと考える。 国のた

めに個人があるではなく、個人が主役でそれを収容する器が国だと思う。 その

器が壊れかけた誰が立ち向うのか? されるがままに自国を躙されるこ

に果たしてこの伝統ある国民が耐えられれるか?

侵略のための戦いでなく、自国防衛のための戦いならば、勇敢なる兵士の死は意

味あるものとして家族も誇りに思うだろう。 

一つ心配は、太平洋戦争も当初は自国防衛(正しくは自国権益の防衛)との名分

はあったはず。 それがいつの間にか変な方向に突き進んでしまったこと。 流れ

がゆっくりと変化していったのだ。 流れに乗るのは楽だ。 逆らうのは大変。

ゆっくりした変化には誰も気付くのが遅れる。 気付いたら引き返せないところまで

事態は悪化していた。 経済でも日常生活でもよくある現象。 「歴史は繰り返す」

との格言もある。 

そんなこんなで、左の朝日から右の産経に変えて暫く購読してみる。

こんな時代なのでデジタル化された紙面をタブレット端末で読む。 朝起きて新聞

取りにいく代わりに、端末をONして今日の朝刊をダウンロードすることから1日

が始まる。

コメント

136-251005最近よく目にする落書き

2013年10月05日 | もろもろ

Img_0861 間もなく刈り取りが始まる棚田。 安中市下秋間にて。 仲間と走るいつものコース。1時間走ってここで小休止。

 

落書きと言えば、観光地で見かける、自分の名前を書いたり、相合傘の下に恋人の

名前と並んで書くようなたわいないものが多い。 ここに来た事の記念に悪げもなく

書くのだろう。 何人かがいたずら書きするのなら、まだ我慢が出来るが、我も我もと

なるとこれは許しておけない。

 

最近というわけではないが、こんな落書きをよく目にする。 ここは新幹線のガード

下。

Img_0864 Img_0863

この種の落書きはあちこちで見る。 東京環状8号線(通称環八)の三本杉陸橋は

の書体で埋まっていた。アルファベットのようでもあるが読めない。 見方を変えれ

ば芸術的に見えないこともない。 落書きにしては手が込んでいる。 この書体、何ら

の意図をもって書いたのだろう。 どなたかこの書体の意味をご存知であば教

てください。

話は変わるが山の頂には大抵地元の人が昔から呼んでいる名前がある。 精密な

地図と言えども、すべての頂に名前が記されているわけではない。 現地に足を運

び、地元の人に聞き、また文献を調べて名前を探り出し、こんな標識を架けている人

を知っている。 これは落書きではない。事前に作製したものを担ぎ上げて枝に吊る

す。自然を痛めない。

 

Imgp2467 Imgp1769

いずれも吉井町から甘楽町にかけての南に連なる山並み。 国土地理院の1/25000

の地形図には記載がない。しかし山の名はちゃんとあるんですね。 こうしたことを実

践できる人、尊敬してしまいます。

 

江戸時代の以前の落書き(らくしょと言った)は川柳調で書かれ、ご政道に対する痛

烈な批判であったという。 知らしむべし、よらしむべからず。 こんな政治に対する庶

民のささやかな抵抗、皮肉がこめられていた。

前掲の意味不明の落書きの作者さん! これだけの腕があるのなら、世のためにな

るような気の利いた落書きに挑戦してみては・・・

山崎豊子が亡くなった。 享年88歳。 初期の小説は「ぼんち」 や「暖簾」等、女性

作家らしいものだった。 その後は女性作家の作品とは思えない圧倒的な内容の迫

をもった小説を出し続けた。 「白い巨塔」 「不毛地帯」 「大地の子」などなど。 

どれも読み始めると朝まで読みふけったこともある。 すごい作家だと思う。  合掌

 

 

 

 

 

 

コメント