toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

144-251130新造空母「信濃」のあっけない最後

2013年11月30日 | 介護・医療・健康

Pb215327 日本一おいしいといわれ、ブランドが定着している国分白菜はまさに出荷待ち。

 

ケアマネージャーという仕事をしていると、大正生まれの方々とお会いして話をす

る機会がある。 90歳を越して足腰が弱くなり、介護保険制度を利用しようとする

皆さんに、複雑な制度の仕組みを解りやすく説明し、安心して利用してもらうのが

私の今の仕事だ。 身体能力は衰えても、昔の記憶をしっかりと維持しておられる

方が興味あることを話してくれる。

若いケアマネさんでは話が合わないかもしれないが、私ら世代は何とか合わせ

ることができこれがまた実に楽しい。 またそんな昔話を通じて利用者に親近感を

持ってもらい良き支援計画に繋げればとの思いもある。 

デイサービスに来る時に、時々予科練の制帽をかぶってくるS氏、知る限りの知

動員して話を聞く。 事実は小説より奇なり。 実体験者の話は興津々。 

 

今週は大正12年生まれのH氏の話について触れてみます。 

戦艦大和については多くの人々がその悲劇的な最後について知っている。 アニ

は「宇宙戦艦ヤマト」として蘇り宇宙を航行する。 同型の二番艦が戦艦武蔵、

れも悲末路をたどる。そして三番艦がこれから触れる空母信濃。 

信濃は海軍横須賀工廠で建造された。 しかしもはや戦艦巨砲の時代でなく、航

機が最も有力な兵器になっていた。 このために建造途中から戦艦ではなく航

空母艦に設計変更された。 ここまでは知っていた。 

ファイル:Japanese aircraft carrier Shinano.jpg web siteより拝借

 

H氏は18歳のときに徴用で海軍横須賀工廠で働いていたという。 私がそこでは

母信濃が建造されたのではと話を向けると、「そうなんだ。俺はその信濃を作る

員だった」というではないか。

以下H氏の話。

「あの船はでかかった。 作業をしていてもいったい船のどの部分を作っているの

解からなかった。 たまげたのは船腹の鉄板の厚さ。 15cmもあるんだぜ。船

がその厚みだから飛行甲板はどれほどの厚みがあったのかな?

仲間と話したんだ。 あんな鉄の塊は海に浮かないのではと。 それとな、何回

米軍の戦闘機が飛来して爆弾を投下された。 彼らはまだ建設途中の甲板の作

業用の穴を狙って爆弾をぶち込むんだ。 艦内で爆発するんさ。 資材足や熟

工の足で工期は遅れるばかりだった。 ちょっとした機関砲とタービンンジン

が設置されだ未完成の段階で、電探(今のレーダー)をつけるためにろくな

運転もしないうに広島の呉工廠に向けて横須賀を出航していった・・・ 

横須賀あまり空襲を受けなかった。 日本は負け、米軍が占領する。 そのとき

ぐに使える軍港としての価値を考えたんだろな。」 事実横須賀は今もアメリカ

七艦隊の母港の状況が続いている。遠くを見詰めるような目をして、70年前の記

憶をたどりながら話してくれた。

web siteより拝借

完成すれば堂々たる世界水準を抜く空母になるはずであった。 でも積み込む艦載機は既に何機も残っていなかった。

帰宅してネットで信濃について調べてみた。 未完成のいわば巨大な箱に推進器

つけただけ船体、経験不足の乗組員。 護衛の駆逐艦は3隻。 東京湾外に潜

んでいた米潜水艦に発見されて遠州灘で魚雷を4本受ける。 傾きながらもそのま

ま航行を続けたが、潮岬沖で浸水が激しくなり沈没。 出航後17時間が経過した

だけだった艦長以下乗組員の半数以上が艦と運命を共にする。 アメリカの空母

エンタプライズが建造されるまでは、世界一の排水量の軍艦(?)だったそうだ。

昭和19年11月29日のことだとある。 これだけの鉄があれば何機の戦闘機を作

ことができただろうか? 途方もない物資の浪費。これも戦争の一つの側面。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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143-251123日本一うまいを目指すうどん屋

2013年11月23日 | 食べ物・酒

Pb035271 初夏にこのハゼの樹液にかぶれ右腕が赤くはれ猛烈なかゆみに悩まされた。 でも

秋になればこの紅葉、恨むことはできない。

麺類大好き人間。 夕食は毎日うどんかそばで結構と勝手なことを言って家内の

蹙をかう。 それほど麺類が好きです。

育ち盛りの頃はうどんというとぐずをこねて親を困らせた。 なんでこんなにうどん

きになったのだろう?

一つにはめんつゆが昔と比べて格段にうまいものが家で簡単に出来るようになっ

こと。 うどんそのものが洗練されたものになったことは言うまでもない。

家で簡単に食べられる私の選んだうどんのベスト3

  越州うどん     新潟県長岡産

  高崎うどん    高崎産

  根岸のうどん  藤岡産 

ベスト4まで拡げれば、稲庭うどんを入れずばなるまい。

 

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越州うどんと高崎うどんはそのつるつる感、根岸のうどんは見栄えは冴えなくつ

つるではなく田舎風だが地粉を使ったたまらない味。 かけよし、ざるよし。

私の舌感では世上うまいといわれる水沢うどんは少し落ちる。値段との比較で論じ

るならば順位はかなり下がる

明治15年生まれの亡き祖母が苦労して作っためんつゆは煮干でだしをとっただ

け、可愛がってもらった祖には申し訳ないが、食糧不足の当時でもうまいという感覚

はなかった。 むしろおきりこみうどんの方がまだうまかった。 麺棒を使って家でう

どんを打った。

 

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我が家のめんつゆは、最近もっぱらこれを使う。 京都は伏見の産。 これがう

んの味を引き立てる。

以上家庭でのうどんの話。 変わってプロの味。 元総社、総社神社の北。店の名

は「田中屋」 30年間通っているうどんの名前は「うまかうどん」。

店主は日本一を目指すと豪語している。 うまいうどんを探して日本中歩くわけに

もいかないので、店主が掲げる「日本一うまいうどんをめざす」を信じて、日本で一

番のうどんを食べているのはこの店の常連だと自分を納得させる。うどん好きは

に大勢いるわけで、平日のお昼はいつも満席、空きを待つ。

 

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昼飯としては少々高いが、年に10回は食べにいく。 つるにしてこしがある。そして

鴨肉一杯、熱々の鴨汁をつけて食す。 「うまか・・」と注文すればせいろ二枚重、ち

ょっと量多すぎる。 かといって1枚では胃が満足せず、2目の半分は悔しい

残してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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142-251116先代貴ノ花がもっとも輝いていた時代

2013年11月16日 | スポーツや趣味

Pa175217 また雲の写真で恐縮です。夕刻の雲にはいろいろな表情があって引き付けられる。

 

家の中を片付けていたら、こんな写真が出てきた、35年ほど前に撮影されたものだ

ろう。 説明の要はないが、 身体には恵まれなかった分ひたむきな取り口で観衆を

わかせる相撲で名大関と称された父である初代貴ノ花と前で万歳するのはやんちゃ

な時代の次男光司くん。 後の横綱二代目貴ノ花。 現在の貴ノ花親方。 

251020

初代は美男力士、いま風でいえばイケメン力士、実力に裏付けられ、女性には大

変な人気があった。メリハリの利いた取り口で大向こうを唸らせた。 息子の貴ノ花が

初対戦で勝利した横綱千代の富士に似ている。 この負けで千代の富士は引退を決

意したと聞く。 

妻との離婚、二人の息子が横綱まで張ったにも関わらず兄弟仲が悪く、50歳前後か

らの体調不良等、55歳の若さで亡くなる人生。 晩年は不幸の連続だっただけに、こ

の写真に見られる幸せ一杯の光景は心に響くものがある。 一番充実していた頃だ

ろう。

 

二代目は現役時代150kgあった体重を引退後は80kg近くまで減量させ、惚れ惚れ

するほどの男前、派手なしゃべり方ではないが、丁寧な口調は誠実さを感じさせる。

今大相撲の改革のために奮闘している。 まだ41歳, 相撲協会幹部としてしい時

代に合った改革を期待したい。

 

下は初代が亡くなった際の日経新聞の追想録(2005年7月)

 

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今NHKで放送している九州場所の観客の入りが心配。観客席を見ると空席が目立

つ。 千秋楽までに満員御礼の垂れ幕は現れるのだろうか?

 

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141-251109第24回高崎マーチングフェスティバル10/27

2013年11月09日 | 食べ物・酒

Pa085213 野の草もマクロで撮ればきれいなものです。 会社裏上越線の線路脇

S自転車店を中心に集まったサイクリング同好会の下仁田輪行(電車終点まで行き、

帰りはサイクリングで戻る)に参加の予定をしていたが、睡眠状況が悪く不参加。

 

10時に花火が打ちあがる。 何の合図? そうだマーチングフェスティバルが始まる

合図だ。自転車でパレードコースまで急ぐ。 先頭の全国レベルの農大二高の生バ

ンドは見られなかったが、2/3以上は見ることができた。 市内の小中学校生徒、高

校生、大学生、社会人バンドが次々に通過していく。 今秋初めてのような気がする

晴天の下、ブラスバンドの高らかな音が空に吸い込まれていく。

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小学生は演奏に気をとられて、隊列は乱れがち。 それでも練習の成果を一生懸命

に演じながらの行進。 同年代の孫を思い出しながら涙がにじむ(北風のせい?)

馬庭小学校は会社の吉井デイサービスの隣保班。 がんばれ! 何校かの高校生バン

ドはさすがに隊列をきちんと揃え独特の歩行姿勢での行進。 大学生ともなると前後

固めるチアガールが華やかさをかもし出す。 

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何度か参加したと聞く米軍横田基地のマーチングバンドは今回は不参加。 これは

見事なものなのだったそうだ。 残念。

50組の隊列が通過し終わったのが12時。 昼飯を食べに駅前の「さわ」に寄る。 ご

覧のような雰囲気のゴージャスなお店。 センスの良さが光る。 昔の「さわ」を知る

者にとっては思わずうなる。 夜は高そうだが、お昼は妥当なお値段。 大ママさん、

店が立派になっておめでとう。

 

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140-251102おやじバンドの慰問

2013年11月02日 | 介護・医療・健康

Imgp1737 奥秩父、西沢渓谷探索の帰路、広瀬ダム湖にて。

昨年の今頃に前橋市の高校生の吹奏楽団がデイサービスに慰問演奏に来てくれた。

若々しさ一杯の迫力ある生演奏。 最近のヒット曲を中心にビートルズから懐かし

演歌、童謡まで利用者の好みを上手に組み合わせて楽しませてくれた。

今年は新しくオープンしたデイトレセンター、去年の会場の3倍の広さを使い、利用者

の皆さんとかなり近い年齢の皆さんの熱演が利用者を感動させた。

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バンド演奏をバックにして、同世代の歌い手が歌を披露してくれる。 素晴らしい演奏

でした。 会場が広いだけに楽団員の奏でるメロディは迫力を持って全館を音楽のル

ツボと変える。

そして何よりも同世代がこれだけの技量をもっての生演奏、 利用者さんも随分と励

されたのではないだろうか?

個人的にも、正直なところ国定忠治に扮して舞台で踊り、赤城の子守唄を歌ってくれ

ても、我々年代には感動はない。 ビートルズの曲など演奏してくれたら感激。

今日は違った。 こんな慰問は大歓迎。 

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次世代型デイサービスここにあり。 団塊世代は老いても一味違うぞ。

 

 

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