こ草津白根山噴火のニュースを聞き、近くを滑った時の写真を探したら保存されていた。
だいぶ昔のデジカメ初期のもの。最上部のゲレンデから見た志賀高原の笠ヶ岳。
今週若いころ大変お世話になった某社の会長のお別れ会があり参列した。
暮れに亡くなられて葬儀はお身内だけで済まされたと聞いた。改めてお
別れの会が開かれると地元紙に案内されていた。そこには香典等は固く
辞退する旨の添え書きがあった。
お別れの会というのに参列した記憶がない。会費として持参しても本当
に受け取ってもらえないのか? 持たずにいって恥をかくことはないの
か? 心配だったので応分の香典を持ち式に参列した。
案内に偽りはなかった。
柔和な笑顔が印象的な遺影、叙勲や多くの表彰履歴とともに略歴が記載
された会葬御礼の見ながら、私が出会う以前の経歴を知った。そうだっ
たんだと改めて感じ入る。
当時私は30代、故人は社長で多分50代だっただろう。小柄だが精悍
な印象の方だった。こちらの手違いやミスには手厳しく、けっして声を
荒げることはないが、言わんとされることはグサリと突き刺さる。納め
る仕事に問題ない時の表情は柔和で紳士だった。職員代表の弔辞にもお
人柄が偲ばれた。「思い切ってやれ責任は社長の務めだ・・」
縁あって故人の最晩年は私が関係する老人施設で静かな時間を過ごして
おられた。表情は往時とあまり変わらなかった。何回か部屋を訪ねては
しばし歓談の時を過ごした。
冒頭に掲げたゲレンデのごく近くで草津白根山が噴火した。従来から噴
火警戒情報が出ていたお釜のある山でなく草津志賀高原ハイウエイを挟
んで南に位置する本白根山だった。有史以降の噴火の記録はなく、気象
庁の常時監視対象の火山ではなかったらしい。夏になればコマクサが咲
く安全な山との印象があったので意外だった。
ゴンドラの山頂駅を更に上部のゲレンデから眺める。左の盛り上がりつつあるあたりが
噴火警戒情報が出ていた湯釜のある白根山。山座同定すれば遠景の台状の雪山は岩菅山か。
今回の噴火はリフトのケーブルのすぐ右らしい。
最近草津で滑ることはないが一時はスキーと言えば草津だった。スキー
場のゴンドラとしてはかなり古い。スキーを始めた昭和37年当時既に
稼働していた。山頂駅から古い木造の山小屋だった弓池小屋まで登りそ
こから天狗山スキー場まで滑り降りるのだが、その途中に今回の噴火に
伴う噴石で死傷者が出た振子沢や清水沢がある。
清水沢は後年整備されたコース。その頃は振子沢コースのみ。スノーボ
ードのハーフパイプ状の谷を左右に振り子が揺れるが如く滑り下りるの
で振子沢と名が付いたと聞かされた。
頂上駅からのライブカメラの映像を見てすぐにあそこだと判った。死傷
者が出たコースは清水沢の方だろう。命を落とした自衛隊員に合掌。
自衛隊員を噴石が直撃した清水沢の滑降コースと思われる。奥の高まった山の向こう側
が噴火したらしい。
直近の噴火は3000年前という。噴火活動は終わった火山と思われて
いたのに噴火という事実を突きつけられると、頻繁に登る榛名山も危険
火山となるのか? 榛名山の最後の噴火は1500年前の聖徳太子の頃
であり、大規模な火砕流に飲み込まれた人物の遺体が発見されたのは僅
3年前のことだ。
改めて狭い日本は危険と隣り合わせで人々が暮らす国だと思い知らされ
た。