toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

368-300127香典のないお別れの会、そして火山噴火

2018年01月27日 | もろもろ

こ草津白根山噴火のニュースを聞き、近くを滑った時の写真を探したら保存されていた。

だいぶ昔のデジカメ初期のもの。最上部ゲレンデから見た志賀高原の笠ヶ岳。

 

今週若いころ大変お世話になった某社の会長のお別れ会があり参列した。

暮れに亡くなられて葬儀はお身内だけで済まされたと聞いた。改めてお

別れの会が開かれると地元紙に案内されていた。そこには香典等は固く

辞退する旨の添え書きがあった。

お別れの会というのに参列した記憶がない。会費として持参しても本当

に受け取ってもらえないのか? 持たずにいって恥をかくことはないの

か? 心配だったので応分の香典を持ち式に参列した。

案内に偽りはなかった。

柔和な笑顔が印象的な遺影、叙勲や多くの表彰履歴とともに略歴が記載

された会葬御礼の見ながら、私が出会う以前の経歴を知った。そうだっ

たんだと改めて感じ入る。

当時私は30代、故人は社長で多分50代だっただろう。小柄だが精悍

な印象の方だった。こちらの手違いやミスには手厳しく、けっして声を

荒げることはないが、言わんとされることはグサリと突き刺さる。納め

仕事に問題ない時の表情は柔和で紳士だった。職員代表の弔辞にもお

柄が偲ばれた。「思い切ってやれ責任は社長の務めだ・・」

縁あって故人の最晩年は私が関係する老人施設で静かな時間を過ごして

おられた。表情は往時とあまり変わらなかった。何回か部屋を訪ねて

しばし歓談の時を過ごした。

 

冒頭に掲げたゲレンデのごく近くで草津白根山が噴火した。従来から噴

警戒情報が出ていたお釜のある山でなく草津志賀高原ハイウエイを挟

で南に位置する本白根山だった。有史以降の噴火の記録はなく、気

庁の常時監視対象の火山ではなかったらしい。夏になればコマクサが咲

く安な山との印象があったので意外だった。

ゴンドラの山頂駅を更に上部のゲレンデから眺める。左の盛り上がりつつあるあたりが

噴火警戒情報が出ていた湯釜のある白根山。山座同定すれば遠景の台状の雪山は岩菅山か。

今回の噴火はリフトのケーブルのすぐ右らしい。

 

最近草津で滑ることはないが一時はスキーと言えば草津だった。スキー

場のゴンドラとしてはかなり古い。スキーを始めた昭和37年当時既に

稼働していた。山頂駅から古い木造の山小屋だった弓池小屋まで登

こから天狗山スキー場まで滑り降りるのだが、その途中に今回の噴

伴う噴石で死傷者が出た振子沢や清水沢がある。

清水沢は後年整備されたコース。その頃は振子沢コースのみ。スノーボ

ードのハーフパイプ状の谷を左右に振り子が揺れるが如く滑り下りるの

で振子沢と名が付いたと聞かされた。

 

頂上駅からのライブカメラの映像を見てすぐにあそこだと判った。死傷

者が出たコースは清水沢の方だろう。命を落とした自衛隊員に合掌。

自衛隊員を噴石が直撃した清水沢の滑降コースと思われる。奥の高まった山の向こう側

が噴火したらしい。

 

直近の噴火は3000年前という。噴火活動は終わった火山と思われて

いたのに噴火という事実を突きつけられると、頻繁に登る榛名山も

火山となるか? 榛名山の最後の噴火は1500年前の聖徳太子の頃

であり、規模な火砕流に飲み込まれた人物の遺体が発見されたのは僅

3年前のとだ。

改めて狭い日本は危険と隣り合わせで人々が暮らす国だと思い知らされ

た。

 

 

 

 

 

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367-300120自由律の俳句とは

2018年01月20日 | 小説・映画・など

中山道の宿場町の裏に続く丘の一角にあった石祠。丘に見えたが小規模な古墳だろ

う。

 

尾崎放哉という俳人について書いた本、吉村昭著「海も暮れきる」を読む。放哉は

明治18年生まれで大正15年に亡くなる。東京帝国大学法学部を卒業して一流の

保険会社に入社、ソウル支店長まで順調に(?)出世したがサラリーマンの枠には

嵌り切れなかったらしい。大酒飲みで酔えばその頭脳は冴えわたり、相手を痛烈に

罵倒する。金にも汚い。そんな性格が嫌われ解雇処分。肺結核を患いながら放浪の

すえ辿り着いた香川県小豆島で寺男として1年余り暮らし極貧の中で人生を閉じた。

その句のいくつかを本から紹介する。

  ・咳をしても一人

  ・足のうら洗えば白くなる

  ・之でもう外に動かないでも死なれる

  ・いれものがない両手でうける

  ・海が真っ青な昼の床屋にはいる

  ・春の山のうしろから烟が出だした(辞世)

などなど・・・

師である荻原井泉水門下には種田山頭火がいる。この分野では有名だ。

山頭火の代表句

  ・分け入っても分け入っても青い山

日常的に頭に浮かぶ短文だ。これを俳句といってもなにかこじつけのような気が

する。二人とも束縛をひどく嫌った。それゆえに五七五にとらわれない形式を認

めたのか。おそらく季語も必要ないのだろう。二人とも己の生き方を曲げずに貫

くあまり結果的には身内や知人に迷惑をかけている。また共通するのは没後暫く

経ってから世間に知られるようになったこと。読み終わって才能とは何なのかと

考え込んでしまった。

これでいいのなら私にも作れると思うのは不遜か??

  ・昨夜の雨冬の庭に生気戻る

  ・夜来の雨枯れたネギの葉の奥に青さ

  ・スキーで転ぶ見上げる空飛行機雲二列

こんなのを俳句というのだろうか。  

 

オリンピックという祭典は偉大なものだと改めて感じる。何かの裏があるのではな

いの? と思いながらも一触即発の険悪な空気が少しだけ緩んだ印象を受ける。

いうまでもなく北朝鮮選手の平昌冬季オリンピックへの参加が決まったというニュ

ースを聞いて。ここは素直にスポーツの祭典に国家の利害を絡ませていけないとい

うことを金正恩も承知しているのだと思うことにしよう、次に起きるかもしれない

最悪の事態までを想像するのは一時止めようと思うのだが・・・

 

表示される文字の大きさが毎回異なってしまいます。設定に何かミスがあるのか原

因がまだよくわかりません。プロフィールの上に文字の大きさを小 標準 大と選

択できるようになっています。小だと小さすぎ、標準だと大きすぎ困っています。

 

 

 

 

 

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366-300113里山歩きは穂高岳より難しいかも?

2018年01月13日 | 山登りというより山歩き

こんなに地味な渋い山登りを続けているのか? 山は他にたくさんあるのに。

自分の感性に合っているとしか言いようがないわ、ブツブツ言いながらも1月

6日に榛名山南麓の標高400m前後の里山を徘徊してきた。

立派な農免道路から入り込む。出だしのこんな農作業道がやがて藪に消える

 

国土地理院の1/25000の地形図には細い実線で表示された道を辿る。地図記号で細

い実線は破線よりも幅広な道で、本来なら迷うはずのないものだ。ところが現地に

入るとあるべき所は小径ではなくひどい藪となっている。しばしその中を道を求め

てはい回ると獣道らしきものに出逢う。小径だといわれればそんな風にも見えるし、

相変わらず森の木々の単なる隙間だといわれればその通り。しかしこんな経験を何

度も積んでくると勘が働くというか、やはりこれは誰かが通った道だと判ってくる

から不思議だ。

一五沢とあるところから時計周りで歩いた。

標高402.6m地点に埋まった標識

 

登る機会を逸してしまった穂高岳や槍ヶ岳、これら人気の名山はその峻嶮な地形ゆ

え、誰でも歩けるところではない。しかし少なくとも道ははっきりしており、最低

限ルートを外さないように岩壁には〇や→あるいはXが記されている。難関な部分

には鎖が垂れている。里山にはこれがない。いや昔は人が歩き、そこは自然と道に

なっていた。人が通らなくなると数年で藪で覆われ更に年数が経てばそこは林から

森へと変っていく。なんだかんだと言われながらも自然の回復力はしたたかだ。

地図で表示された尾根や谷の様子や樹木記号そしてコンパスを頼りに歩ったものだ

が、今や主流はGPS機能付きのスマホ地図になり地図読影能力が衰えてしまった。

それでもある道を歩くか、道を探して歩くかの違いで里山は部分的には穂高岳より

難しいと題した所以。

 

正月早々、南極大陸を装備一式、食料燃料を積んだそりを引いて徒歩で南極点まで

到達した日本人の冒険家の記事に接した。1000万分の1のレベルを比較の対象

にするのはお笑いものだが、進歩した情報機器を参考にはしても、最後は自分の判

断で右か左を決める、状況によっては撤退も。そしてその選択が間違っていなかっ

た時に味わえる満足感、どちらの行動も原点は同じようだ。

年相応のアドベンチャー と自己満足している。

 

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365-300106LINEと子供達

2018年01月06日 | パソコン・IT

            

私的には平穏な1年が過ぎ、新しい年が始まった。私的・・(必ずシテキと読み、

決してワタシテキとかましてやボクテキとは絶対に読まない)こんなところに年代

差を感じる。若者がいてこそ我々世代が安定して暮らせるし、彼らの感性に感心す

ることもしばしば。しかし彼らの一部が使う言葉に時として言い知れぬ違和感を抱

くことがある。数年前に会社の若者との話の中で「ボクテキには・・」と聞いた時

のショックを今でも鮮明に覚えている。

 

アメリカと北朝鮮の武力衝突が一番心配される。新年早々平昌冬季オリンピックに

好意的なメッセージが北から発信されたとの報道があった。平和憲法下で70年以

上続く他国との武力衝突のない日本が偶発的なキッカケで砲火にさらされる事態は

何としても避けなければならない。この発信を素直に受取りたい。

 

さて

例年通りに我が陋屋にも息子達一家がそれぞれ孫を連れて帰省し、いっとき普段の

静寂とかけ離れた賑やかなやり取りが展開された。その中で特に注目したこと、

一つはドローンで、一つは無料通信アプリLINEだった。

ドローンは息子のひとりが持ち込んだものだが実物を初めて目にした。一見高級玩

具のようだが、説明と実際の飛行を見てそのすごさに驚く。

彼は同種のものを仕事でも使うらしい。操縦なんぞ見事なもの。庭の背丈ほどの高

さで浮かんだままピクっとも動かない。そこから自在に方向を変えるカメラで撮影

する。

全員での集合写真は搭載カメラで空中の一点から撮影した。制止状態から一瞬にし

て位置を変える。南米に住むハチドリの動きそのもの。いろいろな使い方が検討さ

れているらしいが、さもありなんと思わせるものだった。

次にLINE。

私のスマホにも仕込んであるが、ほとんど使ったことがなかった。使えなかったと

言った方が正解か。説明書がない。ネットで調べてもチンプンカンプン。それに輪

をかけて子供たちが安易に使って被害を受ける、こんな悪印象があって敬遠してい

た。

指導役が側にいたのでこの機会に研究してみた。デフォルト状態では何でもあり

となっているので、うっかり操作で変なことになる。設定画面で制限を設けてお

けば、変なメッセージもブロックされるし、ちょっとした操作で意図しないのに

お友達になってしまう不快感も回避できる。そして便利さだけを享受できること

がわかった。

問題は子供達だ。こんな時代触らせないわけにもいかない。普通レベルの小学生

に操作の細かなことまで理解させるのは無理。そこはもう親の責任で管理するし

かないとつくづく思う。子供云々以前に親力(?)が試されているのだろうと思

ったので息子夫婦にはよく注意した。「判ってるよ!」 と返されたが・・

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