ヒマだったのと、うつ状態からの立ち直りを兼ね上記博物館を訪ねる。
展示のされていたのは上杉謙信が北条氏を攻めた当時の資料展。内容は
特段のことはなかった。建物は国道254号バイパス脇の菅谷城址にあ
る。
野球場3個分ほどのかなり広い城跡(堀と土塁だけだが)きれいに保存さ
れていた。一帯は梅で有名なところが多いが、白梅はまだこんなもの。
城址の本曲輪跡。感嘆する程のものではないが、かろうじて梅が寂しく
咲いているだけ。この近辺には一群の山城が発見されて公開されている。
ここから車で15分ほど北に位置するその一つ杉山城跡を見て回った。
ちょっとした山歩き。
城址の南から見れば何の変哲もない小山だが北へ長く丘が続く。この丘
に驚くべき巧妙さで築かれていた。16世紀中ごろのものらしい。その後
廃城となり400年の時間が経過すれば、木々は成長し誰も城があったとは
思うまい。
ところが、だったのです。
何年ほど前に発掘調査されたかの記述は目にしなかったが、樹木を伐採
したらとんでもない城跡が現れた。
規模を比較すれば、我が住む市の箕輪城(長野氏が築城したが信玄に滅ぼ
されて放置されたが、しばらくして関ケ原の戦の後一時井伊直政の居城に
なった)址の半分ほどしかない。
しかし、
前掲の写真の平凡な小山がそっくり城郭だった。自然の地形を生かしつ
つ、人工的な堀と土塁を複雑に組み合わせてある。 これはそのごく一部。
ゴルフ場の大きな砲台グリーンがこの丘一帯にひしめき合い、重なりあっ
ているとでも表現しようか。
緑色に塗られたところがいろいろな名前の付いた曲輪となっている。真ん
中が本曲輪。各曲輪の間は自然の谷、人口の堀と堀った土を盛り上げた土
塁を介して繋がっている。堀のほとんどは空堀だったようだ。本曲輪に上
ると眼下にはいわゆる鎌倉街道が走る。籠城して攻め上る敵軍を迎え撃つ
ならばこんな堅固の城はないだろう。もっとも秀吉お得意の大軍で城を囲
む兵糧攻めでこられれば、何日も持ちこたえられないだろうが。
古城マニアと思われる御方と曲輪の一つで話し込んでしまった。群馬にも
山城跡は沢山あるようだが、どこがお勧めと質問されたので、規模では太
田の金山城、山城の風情がたまらないのは箕輪城そして歴史転換のキッカ
ケになった合併前の月夜野町の名胡桃城、マニアにはたまらないのは剣豪
上野伊勢守信綱がかかわった前橋の大胡城でしょうとお答えした。
嵌ってしまいそうだ。
里山歩きの支度で立ち向かえば、山歩きというほどではないが、こんな城
址が半径10㎞ほどの範囲にいくつもあるようだ。1日に4~5カ所を回れる
だろうから、2日あればその全部を見られるかもしれない。自分の自由に
なる車がようやく手元にきた。これから里山は梅や桜が咲き始めるし、気
分転換にはいい季節だ。