toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
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567-030717司馬史観ということば

2021年07月17日 | 小説・映画・など

梅雨明け直前の象徴的な雷雨が去り、取り残された千切れ雲が榛名山にまとわりつく。

 

昨日読書に疲れた目を休めるべく窓から空を眺めていた。通常雲は西から東へと移動して

いく。しかしこの時雲は南から北にゆっくりと流れていた。

天気図には当たり前に張り付いていた前線は消えてなくなっている。例年東北地方まで押

し上げられた前線が次第に消えてゆくのだが、今年は関東まで押し上げられたところで消

えてしまった。太平洋高気圧がオホーツク海高気圧を土俵際まで押している。その様子が

雲の流れに見て取れる。しかも私の真上で・・・

 

 

過去2年間、司馬遼太郎著「街道をゆく」のシリーズを読み続けていた。最後まで読み切

り、以前にも増してのファンとなった。そこにこんな刺激的な表題の本が目に飛び込んで

きた。早速借り出してコロナワクチン接種後ということもあり家に閉じこもって読む。

 

対談の一人原田氏は司馬氏の大学の後輩。先輩の力量に尊敬の念を抱きつつ、大先輩がそ

の作品を通じて広めた明治維新とその時代に活躍した勝海舟と坂本龍馬の二人の人間像に

痛烈な批判を展開している。司馬史観ともいうべき歴史観が世の中を覆っていると・・

司馬氏は歴史作家であり、歴史上の事実を骨格にしながらも作家の推理や理想像を絡めな

がら作品を作り上げていくのは当たり前のこととしている。司馬氏の作品はどれをとって

も読む人を魅了する。歴史の事実を骨格にしながらもあくまで小説。なのにこれらの作品

を読んで歴史を学んだと錯覚してしまう一般読者や識者の多いことを憂えている。

なるほどと思う。わたしもそんな読者に一人でした。

明治政府を仕切った戊辰戦争時の官軍の首脳部よりも敗北した徳川幕府の官僚のほうが識

見は上だったと断言している。小栗上野介の評価が高いのには驚いた。大隈重信は「我々

のやっていることは小栗が考えたことをなぞっているだけだ」と言ったという。

小栗終焉の地は我が住む市にある。

 

歴史学者でもない私は歴史小説として面白ければそれで満点。それでも歴史の一端は身に

着けられた思う。難しいことは考えずに今後も司馬作品を楽しみます。

7.15記

 

 

 

 

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