toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

313-290128亡父の残した山日記その1

2017年01月28日 | 山登りというより山歩き

  先週訪ねた知り合いの赤城山山中のログハウスの薪ストーブ。

まろやかな暖かさが素晴かった。

 

亡母の遺品の中に父親の結婚前のものと思われる山日記があった。

1939年(昭和14年)に日本山岳会が岩波書店を通じて発刊したも

 

父親は大正元年生まれなので、この年29才か? 母親と所帯を持った

のが翌15年と聞いているので、独身最後の年となる。カバーの裏面(右

の小さな部分をクリックすると読める、以下同様)にマッターホルン南東

を史上最初に登ったり、ヒマラヤのマナスルに初登頂した際の日本隊隊

長だった槇有恒氏の序文があって、思わず手に取って読んでみた。

 

巻末には日本の近代的登山の黎明期に活躍された有名な先達が理事とし

て名を連ねている。私がその紀行文を読んだ数名の方々の名前もあった。

田部重治氏や冠松次郎氏の本は素晴らしかった。初期の南極観測隊隊長

西堀栄三郎氏の名前もある。この方々の本を読むと山が持つ懐の深さを

感じさせる。登る技術を語っているのでなく山と同化してしまうような

内容だ。100名山の深田久弥氏の文章よりも更に山の神秘性が漂う。

 

山好きな父親だったと聞いてはいたが、戦後まもなく病魔に侵されて家

療養していたので、私には元気な父親というイメージはない。中島飛

行機作所の関連企業の技術者だったので幸い兵役を免除されていた。

日中戦争はすでに泥沼化しており、日米開戦もまじかに迫った時期にも

関わらずきな山登りができたのだろう。

山行の記録が技術者らしい几帳面な字で書かれてあったので以下回に

けてブログとして日の目を見させてやろうと思う。おやじの死60

年が経過したが供養になればと思う次第。

 

開通後間もない上越線で沼田に行き、この時代ならバスの便があったの

だと思うが、尾瀬沼湖畔の長蔵小屋まで行っている。先々代の長蔵氏の

時代だろう。 

 

余程の山好き以外はまだ尾瀬には入らなかった時代なのかなと思う。

どんな格好で山に入ったのか? 多分古い背広あるいはチョッキ、足は

ゲートル巻きといったものではなかったろうか? もう想像するしかな

い。同行者がいたのか否かもはっきりしない。

 

80年後の現代を生きる私は日記をはじめ写真の保存や手紙の類を殆ど

パソコンで済ませ磁気媒体ないしは最近流行のクラウドを利用して保存

している。がさばらないし、身の回りが整理されるので便利な事この上

もない。

しかし後世こうした存在感をもって人の眼に触れることなんてないだろ

う。それどころか一瞬の操作ですべてが無になることもあるだろう。

そして私がこの世に生きたことが墓碑銘に記される以外は忘れられてい

くのだろうなと考えると無性に寂しく悲しくなる。少なくとも子孫だけ

にでも、その生きた証がこうして日の目を見て父親は幸せと言ってもい

のかな・・・

 

 

 

 

 

 

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312-280121大雪に埋もれた温泉街

2017年01月21日 | 旅行

 宿のセンスがしのばれる。

 

普段の半額の料金で宿泊可能との文句に釣られて四万温泉やまぐち館に泊まる。

この温泉地では一番大きい旅館と思われる。美人で歌の上手な女将で有名。

泊まってみると、ここかしこに女将の気配りが感じられ満足度の高い旅館

だった。

成人に日辺りから降り積もった雪で到着するまでが大変だった。新しい

冬用タイヤのついた軽自動車で出かけたが、雪道には弱かった。スキー

は4WD車で行くのが当たり前だっただけに改めて4WDの威力を思い知

らされた。

夕食後の8時から従業員が演者になって佐渡おけさや和太鼓で楽しませて

くれる。こんな余興をスタイルを変えることなく20年も続けているとの

説明に感心する。同じパターンをこの長期間続けるのは大したものだ。四

万温泉で本場に引けをとらない佐渡おけさに接するとは思わなかった。

一夜明ければ見事な冬の青空が拡がっていた。

利用した旅館の窓から雪の朝の風景を撮る。

 

四万温泉は東京駅との間に直行便が毎日出ている。過去別の宿に3回

利用する機会があったが、どの宿も気配りのよくできた好感の持てる

のだった。歓楽街なぞ何もないが、かといってひなびた温泉という

でもない。私には群馬で一番いい温泉と思えるのだが・・・

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311-290114小さな小さなアドベンチャー

2017年01月14日 | 山登りというより山歩き

 秋間丘陵の早咲きの紅梅はまもなく開花。

 

年見た映画でロバート・レッドフォード主演のロング・トレールとい

うのが印象に残っている。アメリカのアパラチア山脈を北から南へある

いは逆を縦走する。1ケ月近くをかけて数百キロを60代と思しき男2

人が歩く。山好きにはたまらない映画だった。

こんな冒険的な山登りはもはやできないが、ただ街の中を歩くのではな

く目標に向かって歩くことができないか? もちろん我が体力の範囲内

で。

前橋の某氏が記録した本「群馬県境を歩く」は内容が濃かった。若けれ

ば挑戦できそうだがもう無理。そこで雰囲気的にはできそうかなと

ているのが「我が市の境を歩くと」いうのものなのだが・・・

3年前に「市庁舎から見える榛名山構成する名の付いたすべての頂に

立つ」というのは去年達成した。次赤城山かと考えていた矢先にスイ

ミングに嵌ってしまい山から遠のいいた。

どんなものか新年になって2回市境のほんの一部を歩いてみた。1回目

は板鼻の北から雉ケ尾峠まで、2回目はそこから長野新幹線安中榛名駅

の北に位置する石尊山まで。以下その報告です。

秋間川から広田の交差点を越えて今日登る石尊山を眺める。

万一の時に備えて、今日の予定の地図に住所氏名連絡先等を記して車の

フロントガラスに貼っておく。

 

この地域は里山と言われる標高500m以下の尾根の凹凸が続く。

11月下旬から4月まででないと藪がひどく容易には歩けない。地図上

に破線道があってもあまり当てにならない。殆ど人が通らないのだ。そ

れでも現地を注意して歩くと標識杭が見つかる。1/25000の地形

とGPSとコンパスが頼り。小さなアドベンチャーと題した由来。しか

原則としてドコモの電波が受診可能な地域としている。一人旅が多い

で何かの時の連絡方法を維持しておくことは大切なこと。総合して考え

て私の体力の範囲でいけそうな気がする。

石尊山への登り口は立派な登山道が整備されていた。100mの登り。

頂上に到着する。この案内板の他に江戸時代末期文化文政頃の石仏や石塔

が多数。

頂上から東に続く尾根に入るともはや登山道と言えるものはない。こんな

藪の薄いところを狙って分け入るしかない。時には見当違いの方角に向か

っている自分に気づき修正する。

そして私の眼には明らかに道と思われる一筋のかすかな踏み跡を見つけ

GPSで現在位置を確認し、更に地図と周囲の地形とを比べて納得する。

藪の中にこんな境界杭を発見すれば、一声叫びたくなる心境。

地元の方々が用意したベンチ。通らないようでも誰かが歩いているのだ。

尾根の東端から南を眺めれば集落の森を越えて妙義山塊がすぐそこ。

写真を撮る角度によっては富良野、美瑛のような畑が拡がっていた。

冬の明るい日差しを一杯に浴びた南向きの集落。ここから新幹線の駅

まで車で5分。列車に乗ってしまえば1時間で東京駅着。なんとも不思

議な感じ。この程度の里山巡りなのだが、甘く見ないで慎重に歩けば市

を人気の鼻曲山や浅間隠山まで到達できるのではないか。

 

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310-290107知恵の輪の想像もしなかった進化と質感

2017年01月07日 | もろもろ

  当地は新年から4日連続で穏やかな天気が続く。こんな寒波は襲来しそ

うな気がしない年明けだが・・・25.1.6 の朝に撮影

 

あけましておめでとうございます。大晦日は休みましたが、本年も

毎週土曜日更新を守り、気付いた事々をブログにまとめ、怠惰に流

れがちな衰え感じる脳を刺激したいと思っています。どうぞよろ

しくお願いします。

 

さて我が家にもまだ小学生の孫達5人が勢ぞろいし、2日間だけで

すが人並みににぎやかなお正月を過ごせました。いつまで続けらる

な? 老いるが早いか、孫たちの関心が友人関係に移るのが早

か? 皆が帰ったあと、二人だけでこたつに当たりながどちらか

ともなく話しかけたことでした。

 

孫たちが持ち込んだいくつかの遊び道具に知恵の輪が10種類ほど

あり、我々世代がなじんだそれとのあまりの変わりように驚く。

こたつ板の上に勢ぞろい。

 

そのうちの幾つかをUPしてみる。箱を開けて見た時は、プラスチッ

ク製品かと思ったが、手の平に載せるとズッシリと重い。その質感

が素晴らしい。私が知っている知恵の輪は太めの鉄線を9の字形に

して輪の部分を切れ目に合わせて外すまことに単純なものだった。

知恵の輪と言ってももう全く異なる遊び道具。息子たちいい大人が

テレビも見ないで夢中になっている。3時間ほどで1つを除いて分

解に成功したようだ。次男に言わせると分解の過程が美しいものと

そうでないものがあるのだそうだ。易しそうなのに挑戦してみたが

全く歯がたたない。

大人たちの手に負えなかった一つを遅れてやってきた長男の6年生

孫が手にして10分もいじくっていたら分解に成功した。こうい

玩具で遊ぶようには我々の脳はもともと出来ていないのか、出来

なくなってしまったのか。

いやはや年寄りには想像もしていない遊びが流行っているのだと

い知らされたお正月でした。

 

2週間ほどでアメリカ大統領が代わる。大半の日本人の感性に快い

刺激を与えてくれたオバマ氏の8年の任期が終わる。飛行機から軽

快な足取りで降りてくる姿、背広も腕まくりしたワイシャツ姿もG

パンも似合うスマートさ。合間に見せる笑顔、何より演説の内容や

間の取り方が素晴らしい。そのまま英語の教科書に載せたくなるよ

うなスピーチだった。しかし米国内では現状への不満が相当溜まっ

いたようだ。

今までのイメージだけで判断はできないが、次期大統領がどんな政

方針を示すのか、世界に最も影響力を持つ米国内が、EUが、イス

ラムが、ロシア、中国が、日本が更に我々一庶民が心配する。

選挙戦中は容認できてもこの立場の人になって以降も手軽な意見表

手段のツイッターで政治問題を断片的につぶやく感覚が理解できな

い。

株の世界では荒れることになっているというトリ年の一年。世界が

和一色ということはあり得ないが、無辜の民に多くの犠牲を強い

るような社会にならないように強く念じる。

 

*追記*  1月7日安中市秋間の北に連なる尾根道を歩いていた

とき、一人の外国青年と会う。山道でしばしの会話。米国シアトル

出身で日本滞在6年、日本語で会話ができた。「お国の次期大統領

をどう思う?」と質問したら、「大心配です。」との答。嫌いか

好きの返事を予想したので、米国民をしてこのような心境に陥ら

いるのか・・・ と考え込んでしまった。

 

 

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