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山登りは主目的ではなかった。 目的は車で越えることができる峠では日本最高
に位置する奥秩父の大弛峠をこの目で確かめること。
旅に何かの理由をつけるのもいいだろう。 「甲・信・上各州を結ぶ峠を踏破す
る」こんな理由を付けた。 純粋に楽しみとしての登山の先達、木暮理太郎や小島
烏水が自分の足を使い踏破したことは知っている。 私にはもはやその脚力は失
われているので、suv車を駆って峠越えに挑む。
コース概略は次のとおり。
第一日 下仁田 → 塩ノ沢峠 → 上野村 → ぶどう峠 → 北相木村
→ 馬越峠 → 信州川上村 → 三国峠 → 川上村車上泊
第二日 川上村 → 大弛峠 → 雁坂峠 → 秩父 → 土坂峠 → 鬼石
→ 帰宅
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第一日 梅雨が完全に明けるのを1日待ってスタートする。 初日は楽な行程の
予定。 上野村は群馬県の最も奥まった村だが、日航機事故の現場ということと前
村長の手腕で時間的には最奥を脱することができた。 トンネルを利用して下仁田
と僅かな時間で結ばれる。 練馬から下仁田経由で2時間あれば上野村役場に到
着可能。 昔は藤岡周りで4時間はかかった。 ぶどう峠を目指す。名のいわれは
「葡萄」と思っていたが「武道」でした。
傷んではいるが舗装道路がしおじの原生林を縫って続く。 中ノ沢の渓流が森の
緑に調和していい感じ。 森林浴そのもの。 進行左側に事故現場御巣鷹山方面
が望める。 あの年もこんな暑い夏であり、慣れない新しい職場で四苦八苦してい
た。
峠着。 東京のライダーが一人。 若ければバイクも楽しそうだ。 峠からは簡易舗
装の道が信州目指して下っていく。 途中に白岩というがある。 このに
遊びに行ったと、父方の伯母から聞いたことがある。 私の祖父は明治10~15
年生まれで昭和8年没。 私の生前のことゆえ写真でしか知らない。 10戸ほど
の集落に立ち寄る。 家にいた老婆に聞くと、集落はすべて新津姓を名乗ると言
う。(祖父は養子に行く前の名前は新津)。 このが祖父の生誕の地らしい。
祖父の名を出して聞いたが覚えがないとの返事。 考えてみれば90才の老婆も
祖父の死んだ昭和8年にはまだ10才。嫁にくる前で知っているはずがない。 しか
し伯母の話と照らすとこの集落が祖父が生まれた地であることはほぼ確実のよう
だ。ルーツ探しができた。今でこそ街に住む我が身だが、わずか3代前の先祖は
信州の辺鄙な村落の住人だった。
大鰭峠(オオヒレトウゲ)を新道で通過する。川上村に抜けるにはさらに 馬越峠
といういかにもそれらしい名前の峠を越えなければならない。 対抗車もなく峠の
ごく短いトンネルを抜けると川上村が眼下に広がる。 畑の半分以上が白いビニー
ルシートに覆われている。 下るにつれてこの村を一躍有名にしたレタス畑に変
わっていく。
連作障害を防ぐためにキャベツとレタスが交互に栽培されると聞く。 今は一面
のレタス畑。 群馬県嬬恋村はキャベツを連作する。そのために強力な土壌消毒剤
(クロピクリン等)を使う。 川上村と嬬恋村の畑の土の色が明らかに違う。どちら
が環境に良いか? いうまでもありません。 群馬の農政はどうなっているの?
今夜の車中泊の予定地を確認してから三国峠に向かう。 当初の予定では武州
からこの峠を越える計画だった。 土砂崩れで通行止めとのことで果たせず。反対
の信州側から峠の雰囲気だけは味わおうと車を進める。 車の乗り入れ可能な峠
道としてはまずまずの舗装。 着いた峠ではびっくりした光景を目にする。武州側
への車の乗り入れを土塁で完璧に阻止している。 柵なんてものではない。 通行
止めの柵をどかして侵入するマニアへの対抗策か? それでもバイクが乗り越えた
と思われる凹みがある。 どこにも向こう見ずがいるんだと感じる。ここから埼玉長
野両県の県境尾根を南下すればかって自らの足で到達した十文字峠、そして甲
武信岳に達することができる。今もあの原始林に囲まれた峠の雰囲気は維持され
ているだろうか?
峠から引き返し今夜の宿泊地。 大規模な砂防ダムサイト。 よく分からないがこ
こで制限一杯字数のようで以下は次回とします。 次回は「今でも天の川は肉眼で
見えるんだ・・・」と題します。
この晩はよく眠れたか?