toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

063-240526自画像ならぬ自映像

2012年05月26日 | もろもろ

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自画像は描く才能に恵まれていないので、自映像。 カメラを見せないで自分で自分の像を撮る方法ってありますかね?

 

P5121965 我が社の屋上で撮影

約3kmの直線が延びている。 雑然とした家並みの上にピシっとのびた直線は痛快。麻雀のあがり役の一つ「イッキツウカン」が決まった時の快感に似る。

我が社は送電線の真下に位置する。 幸い建築後5年間一度も落雷の被害にあっていない。 しかしすぐ横は上越線の線路が走っており、上を通る送電線と共に高電圧から生じる電磁下にさらされているはず。

高等学校の物理の授業で学んだが、一本の電線に電気が通るとそこに磁界が発生する。 どのように発生するかはフレミングの左手(右手だったかな)の法則で決まる。

目に見えない放射線、磁力線が高度に発達したIT社会にどのような影響を及ぼすのか?

電化された鉄道線路の脇の建物のライフラインである地下に埋設された鉄製の水道管やガス管は長い間に「電蝕作用」という現象により穴が開いてしまうことがあることは検証されている。 わが社は地下の埋設管は塩化ビニール製なのでその心配はないが。

コンピューターが原因不明の誤動作を起こしたこともない。 利用者さんが使用しているペースメーカーが誤動作したということも聞いたことがない。 テレビやラジオにもなんらの障害はない。もちろん職員もみんな元気はつらつと働いている。

 

なにを言いたいか。  携帯電話の身体への悪い影響って、本当にあるのだろうか? 今生活空間には無数の電波が飛びかっているのが普通の状態。 磁力線を使った肩こり等を軽減するボタンあるいはネックレス状の医療機器もある。

 

放射線はともかく、磁力線は意外に身体には心配するほどの影響を与えないのかもしれない。むしろ農作物の見栄えをよくするための農薬のほうが問題なのではないだろうか・・・

 

 

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062-240519安中遠足侍マラソン

2012年05月19日 | 最近さわがれること

絶好の五月晴れに恵まれた5月13日に恒例の安中遠足(とおあし)侍マラソンを初めて見物した。

幕末の上州安中藩主 板倉勝明 が藩士の英気を養うために始めたとされ、日本最古のマラソンレース。 フルコースは安中から旧中仙道をたどり、県境の熊野神社までおよそ30kmで標高差約1100mの過酷なもの。 ゴールは峠と横川の関所跡の2箇所。上位は忍者装束をビシッと決めた本格的なランナーでしょうが、この大会の特徴はそれぞれ工夫をこらした仮装にある。 以下、目の前を通り過ぎていったいくつかをご紹介し、 採点は皆さんにお任せします。

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P1010529 少々写真が多すぎました。 最後まで見ていただきありがとうございます。

 

この馬鹿馬鹿しい仮装を恥ずかしくもなく大勢の目にさらす神経とエネルギーに感心する。 一方、こういう催しにまじめ(?)に参加する大勢の善男善女がいるかぎり、日本はきっとまた元気を取り戻すと思う。 

これをマラソンレースとするか、マラソン的仮装まつりと位置づけるかだが、後者とすれば、お祭りは見るよりも、参加してこそおもしろい。 参加者目線でみれば、沿道の観衆はまつりの面白さを味わえなくてお気の毒と思っているかもしれない。 でも祭りはやる者、見るもの一体となって初めて盛り上るものですね。  その点では快晴下沿道の観衆を魅了し、大成功でした。

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061-240512記憶との再会

2012年05月12日 | 街歩き

自転車でのぐるりん散策は意外な記憶に再会できる。 母校北小学校(きたこう」正門の門柱は昔のまま。 この前で「しんこ細工」や「わた飴」そのほか出店がよく店を開いていた。 校長先生がよく黙認していたものですね。

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これは「きたこう」で学んだ生徒の全てが記憶にある「きたこうのえのき」 一時樹勢が衰えたように見受けたけど、また元気になってきた。 60数本の年輪を加え、2回り以上大きくなったようにみえる。 当時あった二宮尊徳像と大きな石は撤去されている。

この樹を囲むように白線を引いて運動会が開かれ、 相撲の土俵もあった。 故人となってしまったが、T君とかS君は相撲が強く、 S君は身体が小さいのに得意技、内無双は切れ味が鋭かった。 彼は「オレのひいじいさんは高崎藩士だった」と言っていた。 水戸の天狗党との下仁田の戦いで戦死し、観音山の石段上の真言宗豊山派清水寺(正しい読み方はセイスイジとか聞いた)の脇に祭られている。

運動会といえば、上級生男子の入場は唱歌「箱根の山」を歌いながらの行進。 隊列の前が ”箱根の山は天下の険・・・” と先行する。 後は2章節後から ”箱根の山は・・・” と追う。 このとき前は ”かんごくかんもものならず・・・” と先行している。 輪唱というのでしょうか。  この勇壮な行進に下級生の私はしびれた。 

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元高崎女子高(単に「じょがっこう」といっていた)西通りのN島医院。廃業して随分経つな。 ここで一命を助けられた。

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「きたこう」の南は路地が4本くらい南に向かって伸びている。 そのうちの一本に今なお健在、「浅草湯」 一去年家の改装時に何回かご厄介になった。 それにしても銭湯の湯ってなんであんなに熱いのか?

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南への路地が東西に伸びる路地に突き当たり、それを西へ向かうと、昔と変わらない横丁が今も雰囲気を残す。20年ほど前にこの界隈は大火に襲われて大変でした。

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鍵型の横丁を路なりに進むと、「きたこう」に戻るが、その途中に眼医者さんがあったのも記憶にあり、風格のある門柱と表札だけが残り、「」の字が昔を感じさせる。

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そして、市の文化財にも指定されていると聞く末広町の教会と、レンガ造りの家。 遠くには平成のマンション。 生徒数の減少で廃校がうわさされていた東小学校は最近生徒数が増加しつつあると聞く。 これも平成のマンションのおかげか。

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というわけで、変貌著しい高崎も仔細に見て歩くと、昭和の雰囲気が結構残っている。 実際に住む方々は不便さもありましょうが、ブラブラ散歩人にはまだまだ残して欲しいなと勝手に思う次第。

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060-240505群馬のユニークな地名

2012年05月05日 | もろもろ

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埼玉県児玉郡神川町の梨園 4.25              会社の駐車場「べにかなめ」の80mの生垣 4.28

 

 

地名というのはそれぞれ由来があるはず。 行政の都合で合理的ではあるが味も素っ気もないものと違い、由来を調べて見るのも面白いかもしれません。

私が気付いた県内のユニークな地名のいくつかを紹介しましょう。

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図左 鼻毛石 ここに住むうら若いお嬢さんが、運転免許証にこの住所を書かれるのは少しばかり気の毒な気がします。

 

図右 盗人越え 吉岡町役場で調べれば、名前の由来が解ると思うが、何か山賊に関係でもあるのか?

 

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図左 戦場 これは歴史と関わっており、センバと読む。 戦国時代このあたりで甲斐の武田信玄と上州箕輪城主長野業政との合戦があった。 場所は桜で有名な小幡の町を通過して更に奥に入ったあたり。 周辺には山城の跡(狼煙台かもしれない)がいくつも確認されている。

図右 名無村  行政区分ではこの名の村はない。 藤岡市日野の一番奥まったあたり。 数件の集落があるのみ。

 

 

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図左 上古語父  カミコゴブ と読むようです。 何かアイヌの言葉のような雰囲気です。 アイヌは文字を持たなかったので、何の意味か解らないが当て字でしょう。

図右 三途川  極めつけは甘楽町の上信電鉄「上州新屋駅」の少し南を東西に流れている小河川。 なんの変哲もない川だが、群馬県公認の一級河川。 サイクリングの途中で看板を見た時の印象が強烈。 川の向こうが彼岸でこちらが現世か? その逆か?

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059-240504携帯電話を落とす

2012年05月03日 | 旅行

すこし間があいてしまったが、桜の季節に身延山の桜を愛でに小旅行。 その帰途愛用の携帯電話がないことに気がつく。 結論からいえば、前回のカメラ紛失に続き。今回もまた世の中の善意に救われた。 

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山高神代桜 千年の時を経てなおけなげに         桜と冨士

こんな経過でした。

1. 帰途山梨県清里高原付近でないことに気付く。 コールしても着信音なし。

2. 「104」 で甲府警察署の番号を聞き電話。(連れ合いの携帯電話が活躍) 

3. 「どのあたりで落としたと思われます?」 「下部温泉から神代桜の間と思われます」 「北杜警察署が管轄です。番号教えますから紛失届けを」

4. 北杜警察署に連絡。 住所氏名、電話番号、製品の特徴、落とした思われる場所、時間等の聴取を受ける。 「お聞きしました。 受付番号は10番です。 ドコモに連絡する際受付番号が必要です。」

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絵はがき風ななってしまうが  白糸の滝  と  身延山のしだれ桜

5.購入した高崎東ドコモショップに連絡。「今どこにあるかを位置情報で確認します(こんなことができるんだ)。このまま少し待ってください。」 ・・3分後・・ 「残念ですが応答ありません。 停めますか?」 「そうしてください」 通信を停止状態にする。「5時には戻れるのですぐ店に伺います。」 

6.高崎に戻り、すぐ店に直行。 「紛失保険に加入していますね。 ポイントも溜まっているので5千円ほどで代替機が用意できます。 警察への届けはしてありますね。 その際の受付番号は」 「10番です」 「3日後に代替機が自宅へ送られてきますから、受け取ったら店にきてください。 電話帳のCD/ROMはありますか?」 「あります」

7.3日後、代替機が届く。全く同じ機種。 ありがたい。 店に持参し電話帳も復元した。

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いつかは登ってみたいと思っていた甲斐駒ケ岳 体力的にもう無理ですね。右は身延町付近の富士川(群馬の川と違い枯れススキがない)

8.一件落着と思っていたら、1週間後、ドコモから書面届く。「届出のあった物件が北杜警察署に届いている。保管してあるので連絡をとること。」とある。

9.北杜警察署に連絡。 改めて特徴を聞かれる。 「受け取りに来られますか? 本人確認をして直接に渡すのが原則なんですが・・」 「遠いのでちょっと行けません。」 「それならば宅配便で送りますが、その前に書類が必要なのでそれを送ります。」

10.2日後、その書類が届く。 本人確認のための運転免許証の写しを添え、必要事項を書いて北杜警察署に送り返す。

11.更に3日後、着払いの宅配便にてあきらめていた携帯電話が手許に戻る。

12.ドコモに届けた際、紛失したものが出てきたら送り返して欲しいとのことだったので、早速に送り返して、事件(?)は決着する。

警察とドコモの連携が見事。 官は何かと批判されるが、現場レベルの事務連絡は素晴らしい。 我々民間も見習わなければ・・・

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